第7話 1・7 狙撃手の丘・2

 狙撃手の少女の矢を、避けきれない。

 そう判断し、僕は僅かに姿勢を傾けると、脇腹に矢の一撃を受け容れる。

 痛みをコントロールしながら、矢の突き刺さった靴を脱ぎ捨てた。

 そのまま走り込み、振り落とされた少女の体を受け止める。


「あの……!」

「事故だって分かってるよ。心配しないで」


 痛みに耐えきれず、膝をつくが、僕は何とか笑って見せた。

 少女の体を手放し、銃を取り出すと、それを矢のシャフト部分に押し当てる。

 歯を食いしばり、シャフトを撃ち抜く。

 目眩がするほどの痛みがあるが、そのまま鏃の部分を引っ張り、体から除去する。

 消毒液を振りかけ、包帯で巻き付け、歯で噛み砕いた鎮痛剤を飲み込む。

 そして立ち上がると、心配そうに僕を見る少女へ、落ちていた弓を手渡す。


「僕は大丈夫。だから、準備して」


 夕闇に冷やされた風が吹き付けると、ザァと、水滴が空気中に浮かぶ。

 少女は、むせ返るような緑の匂いに、咳き込んだ。


「何。これ。油?」

「ああ。何者かの力だ。丘に生える、あらゆる植物から、オイルを抽出している」


 丘の斜面に目をやると、木々の葉や樹皮から流れ落ちた油が、地面を這っている。


「この丘の全域が、今、油にまみれているんだ」

「だったら、私を」

「そう。焼き殺す為に」


 僕は動き出したゴンドラを見た。

 すると、ワイヤーが経年劣化に耐えられないように千切れる。

 無数の金属製のカゴが、地面に落下する。

 衝撃が火花を生み、丘は一気に火で燃え上がった。

 少女は、自分の弓が燃えないように、体に抱きしめる。

 僕は四方を見て、退路がない事を確認すると、少女に問い掛ける。


「さっき、僕らの話を聞いてた、って言ってたよね。君は遠くの音を拾える?」

「……どういう意味?」

「僕の仲間と連絡が取りたい。出来る?」

「出来る。声を拾うのも、届けるのも」


 少女は弓を構え、矢を放つ。

 その鏃が地面に突き刺さると同時に、弓の弦が震え、楽器のように音を奏でた。

 矢がマイクのように音を集め、弓がその音を発するようだ。


「シオ。聞こえる?」


 しばらく間を置いてから、彼女の声が返ってくる。


『何が起きているの?』

「見ての通りだよ。地上からも、この丘の様子は分かるよね?」

『ええ。逃げ道が、どこにもない事も』

「なら、賭けに出るしかないかな」

『どうする気?』

「ゴンドラのカゴが近くに落ちている。それで、斜面を滑り落ちる」

『……賭でも、何でもない。そんなの、ただヤケになってるだけじゃない。いい加減、能力を使ったら? ここで出し惜しみしてたら、死ぬだけでしょう?』

「こんな状況になっても、思い出せなくて」


 シオは苛立ったように言う。


『力も無いくせに、どうして、こんな真似してるの。なんで誰かを助けようって思えるの?』

「後悔するからだよ」


 責めるようなシオの言葉に、僕は、ゆっくりと返す。


「何の力も無いって言葉で言い訳して、自分の本当にやりたい事を諦めれば、後悔しか残らない。……僕は、それを経験してるから」

『あなた、本当に、元の世界じゃ、英雄だったの』

「本物のヒーローだったら、こういうピンチで、力を発揮できるはずだけどね」


 僕は空笑いをしてから、息を整える。

 もう、煙が満ち始めている。喋る事が出来るのも、あと少しだ。


「シオ。最後にこれだけ、言っておきたくて」

『……』

「ありがとう。僕を信じてくれて」

『……私は、あなたを信じてなんかない』

「分かってる。だけど、言わせて欲しかった」


 シオからの返事はない。

 僕はゴンドラに向かおうとするが、その直前に彼女の声が聞こえた。


『出会ったとき、私は、あなたを殺すべきだった』


 涙混じりの声で、シオは言う。


『そうすれば、認めなくて済んだ。この私が、あなたと同類だって』


 世界に煌めきが生まれる。

 地上に光が穿たれた。それは一瞬のうちに文様を描き、丘全体を包み込む。

 魔方陣だ。絵画のように絢爛でありながら、機械のプログラムのように精密。

 まばゆく美しい光の地上絵は、しかし、その上に立つ者を見惚れさせはしない。

 魔方陣から、無数の氷柱が生まれた。

 その氷柱は針のような先端で、木々やゴンドラと言った、あらゆる存在を貫く。

 破壊から逃れられるものはいない。

 許された存在。生き残れるのは、僕と狙撃手の少女だけだ。

 全てが終わると、丘は、剣山のような形に変わっていた。

 辺り一面が凍てつくような寒さに覆われ、炎は収まっている。


「そうか。これが、シオの力」


 僕は、白い息を吐き出しながら言う。


「……ごめん」


 彼女に力を使わせた、その意味を思い知り、僕は項垂れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る