第6話 1・6 狙撃手の丘・1

 丘の麓へ到着する。

 麓から頂上まで、ゴンドラ式のロープウェイが走っていた。

 しかし運行途中で放棄されたのか、今もケーブルにゴンドラがぶら下がっている。

 だが、人の手が入ったのはそれぐらいだ。

 五百メートルほどの標高を誇る丘の殆どは緑に覆われている。

 更に、現在時刻は夕方。

 一面が赤く染まっており、人一人を探すなど、到底無理だった。

 それでも、僕はジッと丘を見つめる。

 いずれ訪れる、合図を待つ為に。

 やがて、丘の頂上に異変が出来上がる。

 番えられた矢の矢尻が、光を反射し、煌めいていた。

 狙いは僕ではなく、遠くで囮として動くシオだ。

 矢が放たれると同時に、僕は頂上を目指して走り出す。

 この一撃で、彼女は死んでいるかもしれない。

 だが、僕は迷いを捨て去り、道を登り始めた。

 ハイキング用途にも使われていたのか、道は石階段で整備がされていた。

 視界も開けていて、頂上を目指すならば、迷う事はない。

 だが、当然、狙撃手も、この道を易々と通らせはしない。

 山道には幾重もの罠が仕掛けられていた。爆弾の仕掛けられたワイヤー。木々の間に隠された銃を発砲させるためのセンサー。地雷すら埋められている。

 僕は、それら全てを突破する。

 避けられる物は回避し、無理ならば銃で撃ち抜く。

 まるでどこに何が待ち受けているかを知っているかのようだ。


「僕は、何者だ?」


 自分自身に問い掛けても、答えは返らない。

 だが、迷っている猶予も無かった。

 一秒でも早く狙撃手を止めなければ。到着が遅れるほど、シオを危険に晒す。

 何もかも、曖昧な感覚を背負いながら、僕は駆け抜ける。

 徐々に光が濃くなってきた。

 目の前に開けた空間が見えてくる。そこで木々に覆われる道が終わる。

 僕は、息を呑む。

 そして開けた空の下にある、丘の頂上へ足を踏み入れた。


「……」


 そこはキレイな場所だった。

 庭園のように整備された場所で、どこを見ても、島の風景が楽しめる。

 透明な空。大地には豊潤な自然が広がり、海は水平線が広がっている。

 圧倒的な自然に飲み込まれるような感覚。

 だが、そんな感傷を無くすように、ギィ。と耳障りな音が鳴った。

 ワイヤーにぶら下がるゴンドラが揺れている。

 その上に、一人の少女が立っていた。

 幼い。中学生ぐらいだろうか。着ているのは、ボロボロになった軍服だ。

 ボブカットの前髪に隠れがちな目が、僕を捉えていた。

 その手には、自身の体よりも大きな木弓がある。

 少女は弦を引き絞る。動きには全く無駄がない。

 プログラムされたような動きで、少女は、僕に狙いを定めた。


「君と、話をする為に来た」


 返事の代わりに矢が放たれた。

 それは、僕の靴を狙い澄まして貫き、地面に突き刺さる。

 足の指の間だ。肉体には触れていない。とんでもない精度で、彼女は僕を大地に繋ぎ止める。


「次、何か言ったら、脳を貫く」


 僕は手を上げながら、めげずに言った。


「殺し合いをするつもりはないんだ。僕は……」


 再び、矢が射られる。空に掲げた人差し指の皮膚が、紙で切ったように裂けた。


「忠告を……」

「聞けないよ。言うとおりにしたら、君を説得できない」


 再度矢を備えた少女は、今度は前言通りに僕の額に狙いを付ける。


「説得なら、無意味。あなたが、一緒に居た女に言ってた言葉なら、私も聞いた」

「聞いた?」

「私の心は、もう壊れている。だから、殺し合いを止める理由なんて、ない」


 少女は前髪に隠れた瞳に、陰を落とす。

 息を呑みながら、僕は告げる。


「だけど、人を殺したって、得られる物は何もないんだ」

「ある」

「……」

「敵を殺せばご飯が貰える。それと、人を殺すのを嫌がったら、今度は、私が殺されるだけ」


 少女は、言葉になんの感情も込めずに語る。

 その間も、引き絞った弓の弦は、微動だにしない。

 少女の体は、機械のように正確で、その心も、機械のように無機質に思える。

 でも、そんなはずがない。

 感情を無くすのと、押し殺すのは、全然違う事だ。


「君は、僕らの話を聞いていたんだろう?」

「そう」

「だったら、この言葉も聞いているはずだ。『自分の意思で、殺し合いをしているわけじゃない』って」

「……」

「その答えを聞かせて欲しい。君は、自分自身の願いで、殺し合っているの?」


 凍り付いていたように、動きの無かった少女の姿勢に、小さな震えが生まれた。


「もし、そうだと言うなら、どうして、僕を殺さない?」


 瞬き一つしなかった瞳で、まつげが揺れる。


「誰かが死ぬのが、悲しい事だって、君は、知っているんだろう?」


 少女はその言葉に、首を振ってみせると、そのまま矢を射った。

 けれど、あれだけ正確だった狙いが、この近距離で外れる。

 少女の目には、涙が浮かんでいた。

 服の袖で目元を何度も拭うが、涙は止まない。

 僕はゆっくりと、上げていた両手を下ろす。

 そして、泣きじゃくる少女を見上げる。

 その体は、空に掲げられる夕日に収まるぐらいに小さい。

 少女は言う。


「……あなたは、本当に、誰かを助けようとしているの?」

「うん」

「私は、本当に、それを信じていいの?」

「もちろん」

「だけど、私は……」


 少女は弓を構えたままだった。

 その体は強ばっているように見える。戦う事と戦いを止める事、そのどちらも恐れるように。


「今すぐに僕を信じる必要はない」


 求めるように手を伸ばす。


「それは僕の背中を見て判断して欲しい。ずっと一緒に来てくれるか、それとも貫き殺すか、君が決めればいいんだ」


 少女は怯えるように、体を強ばらせた。

 だが、その恐れは、すぐに動揺に変わる。

 突如、ゴンドラが動き始めた。

 足場が崩れ、少女は、引き絞っていた弦を離してしまう。

 狙いは僕に付けられたままだ。

 動きの封じられた僕は、それを、避けられない。

 自分の体に突き刺さろうとする矢を、僕は、震える瞳で見つめた。

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