第7話 お金の使い道
退院まで二週間もかからなかった。久保田さんは仕事を首になった腹いせで強盗を働き、錯乱して自殺ということになったらしい。なぜかその日はきちんと監視カメラが機能していたらしく、俺が過剰防衛をしたなどという容疑がかからなくて一安心した。退院してから三日後、俺は店に顔を出した。
「おお、お疲れー」
店にいたのは、昼間に勤務しているマネージャーだった。ボーイッシュな茶髪のショートヘアーは、店長よりも不思議と頼もしく見えた。
「病み上がりなのにえらく対応が軽いですね」
「若いんだから包丁の一本や二本大丈夫でしょう」
若さを何だと思っているんだ。
「あの、マネージャー、いくつかききたいことがあるんです」
「シフトのこと? 週七いっちゃう?」
どんだけ働かせる気だ。まあそれも重要だが。
「それもありますけど。ちょっと個人的なことです」
そこから俺はいくつかの質問をした。それからシフトの一覧を確認後、店を後にした。 どうやら強盗の件のごたごたもあって、俺の異動の件は忘れられているらしい。よって俺の復帰はさっそく翌日ということになっていた。一緒に入った山下は俺の安否を気遣ってか、掃除を一人ですべてやってくれた。腕は若干動かしにくいのもあり、正直助かった。 シフトはあんな事件があったというのに改善されることはなく、俺は今まで通り九時から一人だった。だが、この時間を待っていた。一番気になっていたことがある。あの幽霊はどうなっているのか。そのことを確かめるため、この瞬間が待ち遠しかった。
「おい」
そう話しかける。あの子からの返事はない。あの日以来カメラが正常に動いているとのことだ。ということは、あの子はもういなくなっているのかもしれない。仕事をするレジスペースが広く感じた。何事もなく接客と作業をするが、久しぶりの勤務のため一分一分が長く感じる。疲労感と同時にやってきたのは、胸に穴が開いたような孤独感だ。今まで働いていた相棒は、どこにもいない。煙草の受け渡しも、ファーストフードの廃棄も、商品の前出しも、雑誌コーナーの整理も、すべて俺一人がやることになった。これが普通なことはわかっている。けれど埋まらないこの孤独感は、いつまでも俺の心を抉ってくる。あの子は成仏したのだろうか。あの子のなんらかの信念は、達成されたのだろうか。そして、それに俺は、助けになることができたのだろうか。孤独感の次には後悔の念まで押し寄せてくる始末だ。外ではしとしとと雨の降る音が聞こえてきた。車の走行音が、いつもより遠く感じた。
そういえば、あの子がずっと分捕っていたニ千四百円は一体どこにいったのだろう。あの子がもういないとするなら、なんらかの形で使われているのか、もしくは考えられることは一つある。
レジを開く。千円札のスペースに札がやたらと多い。山下があがるときはこんなに多くなかった。今日はお客さんも少なかったため、金の出入りは少なかったはずだ。なのに明らかにお札の束が増えている。レジの過不足点検を開始した。間違えないように、数字を丁寧に打ち込む。
表示された金額は、マイナス二千四百円でもなく、プラマイのゼロ円でもなかった。
プラス四万七千六百円。
途中集金は一度もしておらず、両替もしていない。それに、山下が上がるときの点検には問題はなかった。電卓をレジの下から取り出し、計算する。
まずは二千四百円。俺は週に五回入っているため二千四百に五をかける。一万二千円となり、それが月に四回ということで四万八千。いや、一度だけ二千円となったから、そこから四百を引く。
あの子が今までぶんどっていた給料は、一円も違わずキャッシュバックされていた。
結局何のためにお金をためていたのか。入院中に見た夢を思い出す。あの風景で見たもの。そしてあの日、煙草の棚が動いた番号は、八十八と、二なことを。
一つの結論が出た。俺の妄想かもしれない。ただのエゴかもしれない。強くなる雨音を聞きながら、目を閉じ、あの子との日々を思い出す。短い間だったが、無口な隣のレジ打ちのことを。あの時間を無駄にしないためには、やるしかない。そう思った。
三日後の土曜日の昼間。今日はシフトに入ってない。だが店には用があった。なれない大きさのカバンを持っているため、肩が重い。レジでは田川さんがお客さんのお弁当を温めている姿があった。
「店長」
事務所では店長がいつも通り鼻歌交じりで事務作業をしていた。俺の声に店長は振り返る。
「どうしたの? ああ、異動のこと? ごめんごめん、ばたばたしてて」
俺がしゃべりだす前に店長は聞いてもいない言い訳をしてきた。
「そのことじゃないです」
今日はおふざけはなしだ。俺の真剣な様子を汲み取ったのか、店長もそれに応える様に真面目な顔になる。
「マネージャーに聞きました」
「うん」
「お誕生日、おめでとうございます」
その言葉が予想外だったらしく、店長は目を丸くした。バイトに誕生日を祝われた経験はないだろう。
「なーに? どうしたの、こんなおばちゃんが今日また一つ老けたっていうのに」
そう軽口をたたきながらも、内心は嬉しそうで、頬のゆるみは隠せていなかった。
「それで、これ、受け取ってもらえますか」
エナメル鞄のチャックを開く。中から取り出したのは、アンティークな茶色い、オルゴール機能付きの置時計だった。さっきまで驚いていた店長の表情は、まるでお化けでも見たかのように、顔が白くなった。
「娘さんからです」
俺は言った。
夢の中の話かもしれない。俺の妄想なのかもしれない。
夢の中で見た女の子。母親は俺の見る限り、髪が長く、ストレートだったころの店長だった。あの幽霊の女の子は、店長の娘だった。
八と八と二。ははに。母に。
「お金を貯めるために、バイトがしたかったみたいです」
店長はうつむいたまま、何も言わない。言葉を否定することなく、ただ聞き続けた
事故にあい、幽霊になった娘さんは、最初は何が何だかわからなかったのかもしれない。自分のいる現実がわからなくて、それでだんだんものを動かせるようになって、いつしか思い出したのだ。店長の、お母さんの誕生日のこと。自分にはお金が必要なこと。だから、少しずつ、きちんと稼いで、店長にあの時計を買いなおしてあげたかったのだろう。
「一生懸命、働いていました」
涙をこらえながら、俺は言った。
店長はしばらくうつむいた後、俺に背を向けた。
「そういうことか」
店長はしばらく無言になった。首を椅子の背もたれに乗せ、ぐりぐりと動かす。すんと鼻をすすり、目元を腕でこすった。
「ありがとう」
店長は言った。
それ以上俺は何を言えばいいかわからず、店を後にした。これでよかったのだろうか。店の外の青空を仰ぎ、考える。あの子の小さな努力を無駄にしないためには、これしかなかった気がした。
いつかお墓参りにいけたらなと思ったが、泣いて何もできなくなりそうで、それから店長に、娘さんのことを尋ねることはやめた。
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