しかし、ところで、また、つまり。
竜児
1-1
第1話 黙って私と接続しなさい!
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もしも、目の前で女の子が悪そうな奴らに絡まれていたらどうすべきか?
答えは簡単。見なかったことにして逃げる。これに限る。
だって相手は体格や人数の優位をカサに着て、嫌がる女の子を都合よくコントロールしようとする悪辣非道な連中だ。そんなことをしてはいけないと正論をかざしてみせても、拳という肉体言語で物理的にお口にチャックされるのが目に見えている。当然、見ず知らずの人のためにそんな目に遭うのは非合理だ。さっさと目を背けてしまえば多少の罪悪感は残るものの傷跡は残らない。
仮にこちらに相手の拳以上の武器があって返り討ちが可能だとしよう。しかし、そんなことをしたとてその女の子が自分に惚れてくれる幸せな展開に進むわけでもない。せいぜい「今日こんなことがあったの~怖かったよぉ~」と彼氏に報告する話題の一つとして消化される程度のもの。連絡先でも聞こうものなら「名乗る程のものではございません」と断られるだろう。つまり、リスクを冒して助けに入ってもメリットは何一つないのである。
──このように、拝島背理は論理的に結論を下した。
だが、我ながら完璧だとほくそ笑む余裕はなかった。現実はそう理屈通りに動くものではなかったのだ。
ここは四階から屋上へと続く階段の上。とはいっても屋上への扉は施錠されており、生徒の立ち入りは禁じられている。扉の手前には六畳ほどのスペースがあって、年に一度使うか使わないかくらいの物品を置いておく倉庫として活用されている。一応小さな窓から光は差し込んでいるが、蛍光灯は取り外されているので薄暗い。
滅多に人が立ち入らない場所。それゆえあまり人に聞かれたくない会話を繰り広げたり、一人になって考え事をしたりするには最適だ。五人組の男子生徒は前者の目的で女の子をここに呼び出し、背理は後者の目的でここに上ってきた。
秋頃にここから運び出されるであろう体育祭の得点板の裏で、背理は息を殺している。このまま黙って身を潜めていればトラブルに巻き込まれずに済むのだが、問題は背理の尿意が限界に近いということ。さらにトラブルの種が転がっているのはトイレへの通り道だということ。残ろうが出て行こうがオチは悲劇になることが決まっている。文字通り袋小路というわけだ
「悪いことは言わない。ボクの論隊に入りたまえ」
おそらく五人組の暴漢を率いるリーダーである男の声が、ビシッと通った鼻筋の下から放たれる。言葉遣いは上品で容姿端麗。別に脅すようなことをしなくても女性には困らなそうな男に見えるが、どうやら彼が欲しがっているのはここにいる女の子の心や体ではなく能力のようだ。
なんにせよわざわざこんなところで会話している以上、きっと目撃者には優しくない。
「でも、アンタたちじゃ私に釣り合わないみたいよ」
アンタたちが下、私が上。
そう聞こえるように彼女は威圧的な態度を示した。下手に出たり、許しを請い願ったり、先延ばしにしたり、彼女が独力でこの窮地を脱する方法もありそうだったが、どの選択肢もプライドが許さないといったところか。
──などと分析している余裕はそろそろ消え失せそうだ。背理の膀胱の中で新陳代謝の結末がガオーガオーと吼えたてる。そろそろ野に放してやらねば飼い主に牙をむくか檻を破壊するか……。
「ボクの専権序列を知っての言葉かい? 確かに、入学直後にして専権序列10位に輝いた君ほどではないが、クラス内で君に次ぐのはボクだ」
「序列なんて関係ないわ。こんな辺鄙な場所に連れてきて、脅すように要求を押し付ける。その行動が人として低俗で、相成れる予感がしないの」
まるでいい大人に切符の買い方を教えるように、どうしてこんなこともわからないのと批判めいた目を向けながら懇切丁寧に説く。背理と違い、彼女はこのシチュエーションをまるで恐れていないのだ。
「……言ってくれるねぇ。人が腹を割って話しているというのに。せっかくだからもっと深く割ってボクの切実な感情をご披露しようか」
結構よ、と彼女が言い切る前に男は二の句を次ぐ。
「わざわざこの場所を選んだのは理由がある。このボクが自分から誰かに何かを請うなど滅多にないから少し気恥ずかしかったんだ。いつだってボクは求められる側にいた。そして求められれば期待の何倍も優れたアンサーを提示してきた」
「知ったこっちゃないわ」
彼女は聞こえよがしに舌を打つが、男は気に留めず話を続ける。
「そうして培ってきたプライドを曲げてまでこうして君にお願いをしている。どうか検討を賜りたい」
ご高説虚しく彼女はたった一言。
「プライドなら私にもあるわ」
アンタと組むのは私のプライドに障る、という一文が省略されたにも関わらず彼女の意思は明確に汲み取れた。
話せば話すほど拗れていきそうだ。背理はどっちでもいいから折れてくれとただただ祈るばかり。
そうだ、いっそ愉快な掛け声とともに彼らの間に躍り出て、小粋な鼻歌でも垂れ流しながら下からも垂れ流せばお開きになるだろうか。殴りつけてやるにはあまりにばっちい存在になり下がればいい。絶句させれば非難されることもない。今後の学生生活は暗黒に染まるだろうが……。
いや、背理の未来はとっくに真っ暗なのだ。多少自暴自棄になったところで誰が責められよう。
「いいのかい? ボクの論隊に入らないということは、今後ボクの論隊と戦う羽目になるということだ」
顔を隠してやれば大丈夫か? 正体不明の漏らし屋さんになれば……。
「アンタたちに負けるなんてありえないと思うけど」
パンツを頭から深めにかぶってしまえば誰かわかるまい。
「君一人強くても『縛接闘議』ではまるで意味がないよ。不憫だがその時がきたらいじめてあげよう」
面白い都市伝説として語り継がれるかもしれないが、それだけのこと。
「どんなポンコツと組もうがアンタには負けないわよ! なんなら今から……」
想像したら面白い。想像したら…………想像したら…………。
ププッ。
正体不明の笑い声は、白熱する言い争いを中断させた。
しまった……。まさかこんな時に自分の想像で笑ってしまうとは。しかもくだらない下ネタで。
そう悔やんでも時すでに遅し。女の子がスタスタと歩いてきて得点版の裏を覗き、背理を発見する。
「……」
声をあげて驚いていい場面のはずだが彼女は落ち着き払っている。向けられた瞳は冷たく、物理的にも精神的にも背理を見下す。
「……どうも」
観念して立ち上がった背理に寄せられたのは暴漢たちの困惑の表情。何を言うべきか迷って口をパクパクさせているだけ。永遠とも思える長い静寂の末、最初に口を開いたのは女の子の方だった。
「こいつでいいわ」
遠慮なく背理に人差し指を向けて指名する。
「こいつと組む。そんで今アンタたちに勝つ。勝負よ」
勝手に話を進める。
「……正気かい? 今ここで『縛接闘議』を? このボクと?」
ハリウッド映画のような大げさでわざとらしい仕草をつけて呆れてみせる暴漢のリーダー。しかし彼女はその身振りに視線を向けることはなく、少し茶色がかった瞳には背理だけが映されている。
「なんでこんなとこにいたのかはこの際どうでもいいわ。アンタもD組よね? 名前は知らないけど見覚えはある。まだどこにも入ってない?」
「そ、そうだけど、え? 今からやんの? 二人で?」
「そう言ってるでしょ! こんな形でメンバー決めたくなかったけどしょうがないわ。今日から卒業までよろしくね」
「待てよ! 冷静になった方がいいって! こういうのはもっと慎重に相手を選んでだな!」
「もう決めたの!」
「勝手に決めるな! つーか俺トイレ行きたいんだよ!」
「じゃあアレ出して! やるわよ!」
「話聞けよ!」
「いいから! 黙って私と接続しなさい!」
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