タンザナイトの夕暮れ時(下) 6(29)

思い出の消える速度はどのくらいなのだろうか。声の主は私の思いとは裏腹に面白そうに饒舌じょうぜつに喋る。

「君の愚かさはすごいよ。普通、見ようなんて思いわないって。自分の思い出が無くなるのに?」

「何とでもいえば?」

「まあ、でも、倉知くらちりょうの死を知ることができて君としては良かったわけ?」

「そうだね」

声の主のテンションは高い。笑っているのだろう。何がそんなに面白いのか。

声の主は私を茶化すのが好きなように思えた。基本的にバカにしているのだろう。

「さてさて。君の思い出はこれでいくつか無くなったよ」

「そう」

「あれあれ?何?冷静?へぇ」

声の主は私が動揺しないのが面白くないらしく、明らかにテンションを下げた。

茶化してくる相手の喜ぶ反応をするのは間違いだ。私は動揺しないことにした。

「ふーん。ま、いいけど」

「何の思い出が無くなっているの?」

「知りたい?」

やはり声の主は私の動揺が好きなようだ。私が動揺している姿を見たいのだろう。

私の質問に質問で返すあたりがそう思えた。

「それは君が起きたときに解るよ。さんいちぜろ

声の主と共に私の視界は更に真っ白になった。今度は違う声がする。


「……り…かこ」


目を見開くと、森本の部屋だった。森本が顔を覗き込む。

森本の部屋だった。私はどうやら意識を失っていたらしい。森本は私を心配している。

「大丈夫か?」

「うん」

「一回目はお前、電話出たよな。二回目の電話の時、電話に出なくて戻ってきた。そしたらリカコが眠っていた。眠っているだけで命の別状はなかったからベッドに寝かせた。一日くらい眠っていたぞ」

私はどうやら眠っていたらしい。その間に見た声とのやり取りの中、私の言っていたことは森本に聞こえていたのだろうか。

「私、何か言っていた?」

「ん?うなされていたようにも思うけど。大丈夫か??」

「そっか」

私の声は聞こえていなかったようだ。少しだけほっとした。森本は私の額に手を当てる。

「熱はないな」

「うん」

「ところで、思い出は最終的に見えたのか?。どうだった?」

「うん。倉知さんは自殺じゃなくて、事故死だった」

「そうか」

森本は少しだけ安心した様子だった。森本自身も倉知の死を自殺だと思っていなかったのだろう。

「倉知さんはタバコを窓際で吸っていたの。で、母親からの電話をしながら窓際に座っていた。で、電話を終えたのち、そこから転落した」

「かなりあっけない感じだったんだな」

「うん」

森本は少し暗い顔をした。その表情は倉知を憐れんでいるようにも見えた。私は森本に掛ける言葉を探すが、解らない。森本が口を開く。

「俺の仕事は悪を懲らしめることだ。俺は俺の仕事をしたけど、倉知は兄の所為で人生がだめになった。まあ、正確には世間の目だけど。苦々しいものだよな。倉知は何も悪いことをしていないのに」

「……そうだね」

森本と私はしばらく黙り込んだ。静寂の中、時計の音が時刻を刻んでいる感じがした。私が口を開く前に森本が口を開く。

「俺はお前に頼りすぎていたと思う。リカコの協力があったからこそ、冤罪えんざいの数を少しでも減らせた。本当にありがとう」

「いや、いいって。でも、私、もう思い出を見ることはできくなってしまったんだ」

「そうか。本当に見えなくなってしまったんだな。体調はどうだ?」

「うーん。大丈夫だよ。多分」

私は思い出が消えてしまったのか考えてしまった。私の表情を見て、森本は更に心配そうな顔を浮かべる。

「何か記憶が失われているか?」

「まだわかんないけど。今度、脳外科医に見てもらおうと思う」

「そうか。俺、付き添うよ」

「え?いいって」

森本は私の手を掴んだ。いつになく真剣な表情だった。

私は森本を抱きしめる。突然のことで森本は驚いていた。

「びっくりした」

「安心して」

「……お前がそういうことするの珍しくて」

森本はゆっくりと私を抱きしめた。森本の心音が聞こえてくる。

心地よい音に私はゆっくり目を瞑る。

これからの未来に何がっても耐えられる気がした。


タンザナイトの夕暮れ時(下) 6(29) 了



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