タンザナイトの夕暮れ時(下) 1(24)

理由は何となくだが、物に触れると過去が見える能力がなくなっているからだ。

普段から物に触れると思い出が見える。

ただ、それは意識しないで見た分の思い出はほとんどが忘れるし、覚えていない。

でも、いつも見えていたものが見えなくなるのは若干の違和感にも思えた。

それを森本に伝えたらどんな感情を抱くのだろう。必要としなくなるだろうか。一瞬、そんな不安が湧いた。

完全に思い出が見えなくなったら私の存在価値はどうなってしまうのだろうか。

そんな不安を知ってか知らずか電話が鳴る。


「はい」

【川本?おはよう】

「あ、おはよう」

噂をすればの森本ヒカルだ。朝に電話が来るのは恐らく、私が店を閉めたままにしているからだろう。

心配してくれているのだろうと思うと、少しだけ心がほっこりした。

【店、閉めているからどうしたかと思って】

「そっか。あのね、思い出を見る依頼を完了させていたの」

【で、どうだったんだ?】

「そうだね。結構疲れたよ」

【そうか。お疲れさん】

森本の声は優しい。私を労い大切に思っているのが伝わってくる。過去が見えなくなった私を森本はどう思うだろうか。それでも私は森本が好きだろう。

「ありがとう。あのさ、依頼人の件が終わったら会えるかな?」

【珍しいな。どうした?】

「話したいことあってさ」

【話したいことか。いいよ。リカコからの誘いが嬉しいよ】

「そんなに喜んでくれると思わなかったよ」

森本の声色に喜びがにじんでいるような気がした。温かくて照れくさいそんな空気を感じ、私は恥ずかしくなった。

【いや、本当嬉しいよ】

「そっか。じゃあね。また連絡する」

【おう】

電話を終えると私は深呼吸をし、朝の支度の続きをした。


***********************************

「川本宝飾店」に着くと、常連のお客さんの野々宮は私が入院したものだと思ったらしい。

店の前にいた野々宮は私の顔を見て「川本さんが元気そうでよかった」と言って、沢山のフルーツや健康によさそうなものを渡してきて帰っていった。

野々宮が帰ったすぐあと、川本宝飾店の春木がやってきた。

私は今朝、ここに来る前に春木に【思い出を見る依頼を止める】伝えた。詳細は後日伝える旨を説明したが心配で来たらしい。


「川本さんは本当に大丈夫なんですか?」

「ええ。まあ。多分、大丈夫だと思います。話すと長くなるので、また落ち着いたらお話します」

「そうですか。解りました。色々とあるかと思いますが、あまり思いつめないように」

春木は私を心から心配してくれているようだった。

人の親切に触れると心が温かくなる気がした。私の心配はこの後のことのほうが多い。

「じゃあ。僕はもう支店に戻りますね」

「はい。今日もよろしくお願いしますね!」

「では!また」

春木は支店に戻った。春木のいなくなった後、私は開店準備をした。

刻々と時間は経過し、ついに藤川ふじかわりょうが来る時間の1時間前にまできた。

いよいよ、諒に真実を伝える。それによって起きる得ることは容易い。私がそれをやっていいのか迷う。

諒の依頼として受けた以上、私にできることをやらなくてはいけない。

気合を入れるためにお茶を飲んだ。お茶の苦味が口の中に広がる。

 飲み終わったティーカップを仕舞うと私は諒を迎える準備をした。


刻々と時間は過ぎた。諒のやってくる時間になった。諒は店の入り口から入ってきた。


「こんにちは。川本さん」

「こんにちは。藤川諒さん。じゃあ、ここに座ってください」

私は諒を接客用の椅子に座らせた。諒は少しだけ緊張しているように見えた。

私は給湯室で紅茶を注ぐ。紅茶の香りが充満し落ち着いてくる。井川にとって諒にとってそれが良いことかは解らない。

私はタンザナイトのネックレスが入ったケースを諒の前に出す。諒はそのケースを見つめる。

「あの、どうだったんですか」

「ひとまず、お茶をどうぞ」

「ありがとうございます」

諒は静かに紅茶を飲む。静寂せいじゃくが店全体を包み込んだ。


タンザナイトの夕暮れ時(下) 1(24) 了

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