タンザナイトの夕暮れ時(中) 11(22)

美樹みきはいつの間にか涙を流していた。

「叶わない恋ですか。そうですか。美樹さん。私も叶わない恋をしていました」

「あなたみたいな若い子が有り得ない。バカにしないで!」

「私にはりょう君と付き合う前、好きな人がいました。まあ、その人はずっと違う人が好きだったんですよ。でも、私はその人が好きで、やっと交際までこぎつけました。ダメでした。彼の心は最初から別の人にありました」

美樹は井川の話を黙って聞いた。井川が真学まなぶとの恋を語る姿は切なく見えた。

行き場のない恋心は辛いものだ。井川の表情は真剣だった。

「私の恋は終わりました。それに彼は死んでしまったので」

「っ……。何、その話。同情のための作り話?」

「作り話だと思うなら、それでいいです」

「わ、わかったよ。ただ私は諒を諦めるつもりないから」

美樹は強気な目を向けると颯爽さっそうと消えて行く。井川はその後ろ姿を見て少し笑う。

どうやら美樹は井川が諒との結婚を断念する理由じゃないように見えた。

私はなぜか、少しだけ安心した。では一体、井川が諒との結婚を拒む理由は何だろうか。

私はその行く末を見るだけしかできない。そんなことを思いながら、思い出を見続けた。


********

思い出を見る行為は想像以上にエネルギーを使う。

私は一息をつきたいと思ったが、なぜか、ここで手を離したらもう思い出は見えない気がした。

私は引き続き、思い出を見続けることにした。井川と諒をへだてたものが一体何なのか。思い出は再び、切り替った。


今度は井川が親と食事をしている場面だった。

これは父親がくびになった後なのか、それともそれよりも前なのだろうか。父親と思われる男性が険しい顔で井川を見る。


「お父さん。諒君とのこと許してもらえない?」

「藤川君ね。いい青年だと思う。だけれど、藤川君のお姉様を僕は許せないね。彼女のせいで、僕は会社をクビになりかけたからね」

父親にとって美樹は大敵だろう。井川の夜遊び写真を偽造し、父親の信頼を失墜しっついさせたのだから。

「そうだけど。お姉さん反省しているみたいだよ。私はまあ、お姉さんのこと苦手だけど、やっていけると思うんだよね」

「そういうものか。来美がそこまで言うなら、僕はもう何も言わないよ」

「そうね。私も許すわ。今度、うちに連れて着なさい」

「ありがとう!」

家族の食事会は上手くいった。私はほっこりした気分になってくる。

二人の結婚を両親は認めてくれた。ここまではきっと良かったんだと思う。

誰も絶望にさいなまれることもなく、幸せな映像を見ているようなものだろう。

祝福されているのに、なぜ井川は婚約を解消したのか。謎が謎を呼んだ。


ここで私の意識は飛んでいく。次第に視界はブラックアウトし、次の時には真っ白な世界が目の前に広がっていた。


「君の思い出はまた無くなる」

「君の思い出と引き換えに、誰かの思い出を見て疑似ぎじ体験たいけんできるというのは滑稽こっけいだよね」

あの声が好き勝手に喋っている。

「思い出が消えている」。今度はどの思い出だろうか。私には解らない。ただ確かなことはこの声は嘘を言っていない。

「ねぇ。今度は何の思い出が消えているの?」

私の問にこの声が素直に答えるのだろうか。無意味だが質問したくなった。

「うーん。そうだね。それは教えられないよね」

「教えられないか。どうして?」

「それは君の思い出だから、第三者が介入することはできない」

「こうやって人に呼びかけているわりには教えてくれないのね」

私は声に毒づいた。声は静かに笑い、何も言葉を発しなかった。ひたすらに笑い続けて、私は叫ぶ。

「いい加減にして!何なの一体!」

「何って、君は僕で、僕は君さ。それだけのこと。じゃあね」

声はそのまま、聞こえなくなった。私が次に目を覚ました時には何の思い出が消えているのだろうか。


私はこの時、初めて目覚めることの恐さを知った。


目を覚ますと、私はすぐにテレビをつけて日付を確認した。

早朝の5時34分で、日付は12月06日だった。


タンザナイトの夕暮れ時(中) 11(22)  了

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