タンザナイトの夕暮れ時(中) 10(21)

思い出はここで見えなくなってしまうのだろうか。私の杞憂きゆうとは裏腹に思い出は再び、切り替った。

特に変わった様子もなく、井川は毎日を過ごしている。けれど、井川の母親の顔色が悪かった。

「どうしたの。お母さん」

「実はね。お父さん、会社をクビになったって」

「え?」

「だから、何か会社に来美くるみのことが問題になったって」

「ど、どういうこと?」

井川は自分のことが問題になったという意見に驚くばかりだった。母親が井川を見る。

「ねぇ。間違いだと思って黙っていたんだけど」

母親は数枚の紙と、写真を井川の前に出してきた。

その写真は井川が複数の男性と楽しそうに遊んでいる写真や、それを告発する内容のファックスだった。

「何、これ。どういうこと?」

「こっちが聞きたいわ。来美。これ、嘘よね?」

「嘘に決まっているよ。だって、私、彼氏いるからこんなことしない。それにこの人たち知らない………」

写真はよく見ると、合成で後ろ姿については似た人の写真を使っているようだった。

「来美。あなた、この服持っていたよね?」

「持っていたけどさ、私、そんなことしてないよ!」

井川は今にも泣きそうな顔をしていた。

母親は娘を信じたい気持ちと、衝撃的過ぎる内容と旦那のクビに混乱している。

井川は母親の肩に触れた。私はすぐにこれが、諒の姉、美樹の仕業ではないかと思った。同じように井川も思ったのか、母親の肩を持つ。

「お母さん。言っていなかったことがあるの。実はね」

井川は母親に諒の姉の美樹から、「諒と別れてくれ」と言う手紙を貰っていたことと、今回の嫌がらせが彼女の仕業じゃないかと話した。

母親は驚き、すぐにでも諒との仲を解消するべきだと迫った。けれども、井川の真剣な思いに母親は何も言わなかった。

「解ったわ。じゃあ、今回のことはどうするの?私としては名誉めいよ毀損きそんの裁判を起こそうと思うのだけど」

「お母さん。あのさ、私、諒くんと結婚を前提に考えているの。だから穏便おんびんに済ませたいの」

「穏便にって。どうするの?」

「私、諒くんのお姉さんに会ってみようと思う」

「会うって。大丈夫なの?」

井川は不安げな表情を浮かべていたが、すぐに切り替る。

覚悟を決めたようにも見えた。諒の姉は一体どんな人なのだろうか。

私は不意に諒の姉が、華子(琥珀こはく慟哭どうこく)の義姉あね美貴みきのような陰湿いんしつさを想像してしまった。

そもそも、男性を雇ってまで諒との交際を遮断しゃだんしようとする行為こそが陰湿かつ、悪質さを秘めているように思う。

これまでの諒の交際相手をそうやって排除していったのだろう。

私は諒が不憫ふびんに思えてきた。

「まあ、どうにかなるでしょう」

「どうにかって」

「とにかく、お母さんは何もしないでいいから」

「何もしないでいいって。本当に大丈夫?」

母親の心配を他所に井川は何か策があるようだ。

恐らくは証拠を掴むために探偵を雇うのだろうか。

井川がどのように諒の姉の美樹と対峙するのか、少しだけ見たい気がした。

井川が諒との結婚をしない理由が姉の美樹ということだけでも収穫な気がした。

思い出はゆっくりと切り替る。いつも通り、暗転しゆっくりと、思い出が映し出される。


今度は井川が女性と駅で話をしている場面だった。

「藤川美樹さんですよね?」

「そうだけど」

「やっとお会いできましたね。諒君のお姉さまにあえて光栄です」

「っふ。全然、そんな風に見えないけど、私への憎しみが見えるし」

美樹は井川を一瞥すると、鼻で笑い、威嚇するような口調だった。

井川はそれに屈する様子もなかった。

それだけ諒に対する想いは真剣だったのかもしれない。諒の姉の美樹の外見は栄えるものだった。

長いまつげに、はっきりとした二重、輪郭もよく、顔のバランスがいい。諒と似ているが、どことなく大人びていた。

「お姉さまは私と諒君の関係を終わらせたいんですよね?残念ですが、私は諒君を裏切ったりしません」

「どうだか。ねぇ。私が送り込んだ男性陣ってどうだった。良くない?学校のミスターなんとかに選ばれるくらいのイケメンだったんだけど」

美樹は井川を挑発するような態度だった。井川を挑発する美樹はどこかの映画スターのようにも見えた。井川が笑う。

「お姉さま。私は貴女を破滅させようと思えばできますよ。貴女は諒君のことが好きですよね?違いますか?」

「どういう理屈かしら?私は藤川家のことを心配した上でやっていることよ」

「そうですか。じゃあ、このことはこの写真と供に、諒君に知らせますね。あと、諒君のご両親にも」

「っつ。いいじゃないの?やれば、どんどんやりなさいよ?」

美樹は強気だった。その強気は恐さを感じたが、虚勢を張っているようにも見えた。

美樹は確実に諒のことが好きだ。けれど、それを知られてもどうってことないというわけでもなさそうに見えた。

私はうっすら嫌な予感がした。

「あー。でも。貴女がそうするなら、私はあなたに脅されて自殺未遂するわ」

「それって脅し?」

「さあね。どうかしらね」

「じゃあ、今から諒君に電話するね」

井川はスマホを取り出すと、素早く番号を押し始める。

「待って!解った」

美樹は大きな声で言った。その声は通りすがる人が見るほどの勢いだった。井川は驚く。

「なに?」

「解ったわ。貴女にはもう何もしないし、諒との仲も邪魔、しない。お願いだから、諒にも両親にも黙っておいて」

美樹は急に必死になって、膝まずき、井川に縋りつく。

先ほどの様子と打って変わって気持ちが悪い。井川はその様子を注視する。美樹の必死の様子に井川は少したじろく。

「本当に何もしませんか?」

「ええ。約束する。今約束するから!」

井川は美樹をじっと見つめる。美樹が一生懸命に懇願している様は端から見ると滑稽かつ、異様に見えた。

寧ろ、誤解を招くような雰囲気すらある。

「あのさ。じゃあ、少し離れてくれますか?あと、立ってください」

「解った」

「じゃあ、私と家族、そして私の関係者に一切危害を加えないって約束できますか?」

「する。するからさ。だから、諒には絶対言わないで」

美樹の懇願する様は真剣だった。井川は少しため息をつく。

しばらくの沈黙が続いた。井川が口を開く。

「美樹さんが諒君にしてきたことは酷いことだと思いますよ。いくら、兄弟で結ばれないからと言って諒君に近づく女性に男性をあてがうとか」

「あなたに!あなたになんてわからない。兄弟を好きになってしまった気持ちなんて。絶対に叶わない。諒が私を姉以上に思うことなんてないのだから!」

美樹の言葉は思った。むき出しの感情が荒々しく出ていて、心からの声だった。


タンザナイトの夕暮れ時(中) 10(21) 了

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