タンザナイトの夕暮れ時(中) 9(20)

今のりょうには井川の本心を表情から読む余裕などない。

諒は井川が顔を反らすことが、拒絶に見えたのかくちびるをかみめる。

「前にも話したかもしれないけどさ。真剣に俺に向き合ってくれたのって来美くるみだけなんだ。みんな俺のことを真剣に思ってくれなかった。来美だけだったんだ。ありがとう」

井川は諒の顔を見ない。顔を見れば決断が鈍るからなのだろうか。

諒は井川からの拒絶と捕らえたのか、少し震えている。

「あの、もう。行くね。さようなら」

井川は諒を置いて席を立ち、店を出て行く。

諒はその後姿を見つめた。二人の関係はこれで終わったのだろう。

そのシーンはこれまで見てきた思い出の中でもかなり、切ないものに思えた。

肝心な井川が諒との結婚を拒否する理由が見えなかった。

ここで思い出は終わってしまうのだろうか。私は焦って思わず、タンザナイトから手を離してしまった。

少しだけ息を吸う。次にこのタンザナイトに触ったら、思い出は見えてくるのだろうか。

このままで終わってしまうのかと思うと、私は落ち着いてられなかった。

深呼吸をして、再びタンザナイトに触る。ゆっくりと思い出が映し出されていく。

私は無事に別の思い出が見えてくることに安心した。


今度は井川が自身の部屋で手紙を開封している場面だった。

井川は受け取った手紙を開封して、その後の様子だった。

部屋にいる井川の表情は暗い。なぜ、そんなにも暗いのか。井川はベッドに寝転がり、手紙を放り投げた。手紙が見えてきた。


【井川来美様】

【突然のお手紙を申し訳ございません。私は藤川ふじかわりょうの姉で、藤川ふじかわ美樹みきと申します。少し前より、諒との交際を耳にしています。

諒はあなた様との結婚を所望しょもうしています。非常に喜ばしいことです。

けれど、井川様の素行と、家を興信こうしんじょにて調べさせていただきました。諒には相応しくないと私は思うのです。

あの子は今、消防士という危険な仕事をしていますが、将来的には藤川家の当主になるのです。

だからこそ、相手の女性はお家柄の良い人をと考えています。

これまでも様々な女性との交際を見てきました。どの人も相応しくない。

だからこそ、その女性に別の男性をあてがって、別れさせていきました。

勿論、貴女にも男性をあてがってきました。けれど、貴女はまったく揺るがなかった。だから、こうして手紙を出しているのです。

どうか、諒との結婚および、交際は諦めてください。突然の不躾ぶじつけなお願いであることを承知で申し上げております 藤川美樹】


諒が二股をかけられて振られてしまう理由が解ってしまった。

これまでの諒は、姉の美樹の送り込んだ男性たちにより交際相手を奪われていたらしい。

私は美樹が気持ち悪いと思った。

井川は少しため息をつくと、スマホを取り出す。誰かに電話をかけるらしい。


「あ。敬子けいこ?」

友達の敬子に電話をかけているらしい。すぐに敬子が出たのか、話し始める。

「ね、この前、バイト先でかなりの美男子に告白されたり、アプローチ受けたんだけど、れもこれも諒くんのお姉様がやったらしい」

【は?何ソレ?どういうこと?】

「だから、私が諒くんと別れてほしかったらしくてさ」

【うわ、またそれは凄い】

「うん。でね、前に諒くんが言っていた「俺は誰からも真剣に愛されない」って、もしかしたら、諒くんの恋人はお姉様の送り込んだ男性に奪われていたかもしれないね」

諒の姉の異常さに井川も引いているように見えた。

私自身も少しだけ引いている。いくら、家を継ぐからといえどやりすぎではないだろうか。

それに加えて、諒に家を継ぐことを確認しているのだろうか。真っ先に浮かんだのはそれだった。

【本当、それってクレイジーだね。でさ、来美はどうしたいの?】

「………正直、引いたよ。でもね、諒くんのことは好きだよ」

【そっか。それ聞いて安心したよ。真学まなぶくんのことをまだ引きずっていると思ったからさ】

「そうだね。真学のことは本当に好きだったよ。でも、それは過去のこと」

井川は真学のことを思い出しているのか、ぼんやりとかべを見つめた。

井川は真学のことが本当に好きだった。長い片思いだっただろう。

【変わったね、来美。諒くんのおかげ?】

「そうだね。諒くんは明るくて、一生懸命で優しいから。私は真学のことで諒くんを傷つけてしまったと思う。本当、最低だよね、私」

【しょうがないよ。私の所為せいでもあるから、失恋がいやされていない中で合コンに誘ったしさ】

「でも、敬子のおかげで諒くんに出会えたから。私は感謝しているよ」

【照れるなぁ。で、さ、これからどうするの?このことを諒くんに話すの?】

「うーん。話さないかな」

確かに諒に知らせることは告げ口に近いかもしれない。

それに加えて、家族との信頼関係の崩壊に繋がる。

井川はそう考えているのだろう。その優しさが仇になりそうな気がしなくもなかった。

【ちくり、みたいだから?】

「ちくりっていうかさ、家族の関係が悪くなるなと思って。それで。私には姉妹とかいないから、だから仲良くやってほしいし」

【そっか。来美らしいね】

「らしい?よく解らないけど、ありがとう。少し楽になった。また、連絡するね」

井川は敬子との電話を終えると、スマホを充電器に刺して机に置いた。

井川は次第に落ち着いてきたのか、ベッドに横になり眠り始めた。

井川が諒と結婚できない動機は姉の美樹によるものでいいのだろうか。

それだけじゃ動機として弱い気がした。私は井川の寝顔を見て、他の要因よういんがあるように思えてきた。


タンザナイトの夕暮れ時(中) 9(20) 了

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