タンザナイトの夕暮れ時(上) 8(8) 

私は南海みなみにティッシュ箱を差し出す。南海は無言で涙を拭う。

「……みっともない姿をすいません」

「いいえ。いいですよ。そうですね。一方通行の想いは辛いです。でも、それでも良かったってこともあると思いませんか。恋というのは良くも悪くも人を充実させるものだと思うんですよ。両思いになるなんて簡単には行かない。そう割り切ってみればいいのはないでしょうか。私も片思いしていましたから」

私もある種、森本に片思いをしていたのだろう。全く自覚もなかったが、私は恐らく森本から告白される前から、好きだったのかもしれない。

自覚してすぐに告白されたから、期間としては短い。片思いの辛さを経験しているとは言い難いだろう。

「そうなんですね。僕はえられるかわかりません。でも、来美くるみのために何かしてやれないかって思います。それが来美にとって迷惑かもしれないですが」

「じゃあ、もう答えは出ていますよね」

「そうですね。でも、なぜ、来美は思い出を見られるのが嫌なのでしょう。僕は想像が全く着かないのです」

「そうですね………。私も解りかねます」

「なんか、すいません」

「いいえ」

「あ。それじゃあ、僕、帰りますね」

「はい。また何か、あったら着てくださいね」

「ありがとうございます」

南海は私に挨拶をすると、店を出て行く。井川はなぜ、過去を見るのを止めてほしいのか。

私はここで、井川がりょうとの結婚をしない理由が真学まなぶじゃない気がしてきた。

ひとまず、思い出を見ない限りには答えはわからない。私は店の看板を営業中に変えた。今日の業務を無事に終わらせようと思った。


************************************


12月の宝石、タンザナイトを広めたのはアメリカの宝石商ティファニーだと言われている。

ティファニーが初めてタンザナイトを見たとき、どんな感想を思ったのだろう。

私はこの宝石を初めて見たとき、忘れられなかった。透き通るような青だけど、どことなく寂しさや儚さを感じた。けれど、その中でも強さを感じる宝石にように思えた。

私は今日の業務を終えて、タンザナイトのネックレスを丁寧に宝石受けに置いた。

白い手袋を填めると、私はタンザナイトのネックレスに触れる。

ゆっくりと画面が映し出される。今度は別の女性が、タンザナイトの最初の持ち主、麗華れいかと喋っている場面だった。


鮎子あゆこ。このタンザナイトのネックレスを売って、お金にしなよ。裕二ゆうじにも言ってあるから大丈夫」

「そんなことできないって。これ、裕二君が麗華の結婚記念日に渡したものなんでしょう」

「そうだけど。でもね。親友が困っている時に助けられないっていうのが嫌なのよ。鮎子は私の生涯の親友よ」

タンザナイトの持ち主、麗華が親友の鮎子と話しているらしい。話の流れただけでの判断だが、鮎子は借金を抱えていて、そのお金を補うために、麗華が売れと言っているのだろう。

「生涯の親友。そう思ってくれているのは本当に嬉しいよ。でもね、私は親友に迷惑をかえたくないの。だから、それはできない」

「確かにこのタンザナイトのネックレスを売っただけじゃ、微々たるものだろうけど。でも、あなたは今困っているじゃない。助けるのが当然よ」

麗華は鮎子を助けたい一身なのだろう。けれど、麗華がそのネックレスを大事にしていたのを知っているからこそ、鮎子は戸惑っている。

「で、でも。やっぱだめだよ」

「あ。解った。解った。じゃあ、私、今日は帰るね」

「うん。本当、ごめんね」

鮎子は麗華を制止するも、振り払う。

「いいって。頼ってほしいからね。いつでも言ってね!」

「ありがとう」

鮎子は麗華の気遣いが身に染みたのか、涙を浮かべる。麗華は鮎子を軽く抱きしめた。

麗華は鮎子の背中を優しく触った。麗華は鮎子から離れると、微笑みながら部屋を出て行った。


思い出はゆっくりと切り替った。


今度は鮎子が涙を流し、タンザナイトのネックレスを眺めている場面だった。

前回よりも少し老けた様子で、手には指輪をしていた。鮎子の夫らしき男性がやってくる。

「大丈夫か」

「うん」

「君にとっての麗華さんは大切な友人だったからな」

「本当に大切で。麗華はこのタンザナイトを売って、私にお金を寄越したの。私が買い戻したら麗華は驚いていたよ。でも、凄く喜んでくれて」

夕暮れのような色をしたタンザナイトを鮎子は見つめて、涙を流す。夫が鮎子を抱きしめる。鮎子は夫の肩に顔を押し付けた。

「麗華さんと君の歴史はずっと長いんだろうな。少しだけ羨ましいよ。麗華さんはこのタンザナイトを君にって」

「これ、本当は裕二さんが麗華に結婚記念日に渡したものだったんだ。私は最初、断った。でも、裕二さんは「君が持つことに意味がある」って強くおっしゃって」

鮎子は夫から離れると、タンザナイトを手に取る。タンザナイトはきらめいた。その煌きがまぶしく見えた。鮎子は麗華との思い出を夫に話し続けた。麗華と鮎子は本当に大切な親友だったのだろう。まだ恐らく若かくして亡くなった。

「なぁ。麗華さんの息子君はどうだった?」

「まだ三歳で小さいからよく解らないけど、ママが亡くなったことは理解したみたい。辛いよね」

「そうだな」

麗華の息子は三歳らしい。まだまだ母親が必要な時期だ。そんな時期に麗華は亡くなってしまった。彼女が亡くなってしまった原因はなんだろうか。

「麗華はずっと、私とおばあちゃんになるまで生きると思っていた。病とずっと闘っていて、それでもそんな辛さも見せなかった。本当にこのタンザナイトのような人だったよ」

鮎子は涙をぬぐい、鼻を吸った。

夫はそんな鮎子をやさしく見つめた。麗華は何かの病気でなくなったらしい。

思い出を見る行為の中で辛いのは、先ほどまで元気にしていた人が死んでいたりすることだ。

これまで見てきた麗華は溌剌はつらつとして美しかった。慈悲じひぶかく美しい。そんな女性だった。

「僕は麗華さんを本当に知らない。けれど、君が話す麗華さんの様子から素晴らしい人だったのが伝わるよ」

健人けんと。麗華は私の憧れだったんだよ」

「何か、けるなぁ。本当。君と麗華さんの関係は」

鮎子は夫の健人の手を握る。鮎子は微笑んだ。健人は照れくさそうにした。

「でもね、麗華が死んで辛いけど、健人がいてくれて本当に良かったよ」

健人は鮎子を優しく抱きしめた。

こうして、タンザナイトのネックレスは鮎子の手元に渡った。鮎子は健人から身を離すと、笑いかける。

「夕飯食べようか」

「ああ。そうだな」

二人は夕飯を食べるために、タンザナイトを仕舞い、居間に消えて行った。最初の持ち主、宮川みやかわ麗華れいかは素敵な人だった。

断片的な部分しか見えていないが、鮎子の話も含めて優しい人だったのだろう。暖かくて優しく、綺麗な人。麗華の息子はどうなったのだろうか。

この先、麗華の息子の様子は思い出から見えるのだろうか。まだまだ解らないことだらけだ。


タンザナイトの夕暮れ時(上)8(8) 了


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