タンザナイトの夕暮れ時(上) 7 (7)

そういえば、井川いがわ来美くるみのアクアマリンの指輪を持ってきたのは南海だ。

もしかしたら、井川に関することを話したいのかもしれない。その予想は当たるのだった。

「川本さん、本当にすいません」

「いいえ。構いませんよ。お茶をご用意しますね」

「すいません」

私は南海を来客椅子に座らせる。お茶を用意すると宣言した後、私はちらりと南海の横顔を見た。南海は私の視線に気付くことなく、ぼんやりと正面を向いていた。

給湯室で紅茶をこさえ、南海に差し出した。

「あ、すいません」

「いいえ。あの、それでお話とは?」

「僕が言うのも可笑しいのですけど、来美の元彼が川本宝飾店にあずけたタンザナイトありますよね?」

「タンザナイトのネックレスのことですか」

「それの思い出を見てくれって言われていますよね?」

やはり、井川のことだった。私はお客さんからの依頼を簡単に開示かいじするわけにいかない立場だ。

南海が質問してきたのは、井川の希望かもしれない。けれど、優先されるべきは持ち主の意向いこう

「お客様の情報を開示することは出来ません。南海さんの頼みであっても」

「そうですよね。僕、来美から言われたんですよ。来美が僕を好きだって言ってきて。よく解らないんですけど、来美が僕を恋愛的な意味で好きなんて有り得ないですから」

南海は少しだけかげりのある表情だった。井川は何がしたいのだろうか。

「そうですか。南海さんは井川さんをどう思っているのでしょうか」

「あ、いや、なんていうか。僕、以前、川本さんに好きだって言いましたよね。本当にすきでした。でも、今思えば来美が初恋だったかもしれないです」

南海は照れくさそうだった。その感情は本物に思えた。南海は井川が本当に好きなのだろう。

「私は思うんですよ。南海さんは以前、私を好いてくださいましたが。本当の気持ちは井川さんにあったんですよ。ずっと」

「そうですか。僕、正直、何度も思いをかき消したんですよ。年も8つくらい離れているし、来美にとっては近所のお兄さんくらいにしか思っていないし。でも、藤川君と別れて、いきなり僕を好きだって言ってきて。正直、嬉しかったんですよ。でも、それがどうも本気じゃないようで。それに加えて、今回のタンザナイトのことも話してきて」

「そうでしたか」

「井川さんは何と話していたのでしょうか?」

「藤川諒君のタンザナイトのネックレスの思い出を見られてしまうことを気にしていました。藤川君に知られたくないとかで」

「それはまた、なぜ?」

「それが僕にもわからないんですよ。僕にも。僕は藤川君と面識があります。来美が僕に紹介してきたことがあって。何かチャラそうに見えて、かなり硬派こうはな人でした。見た目とのギャップが凄いって印象でした」

南海の言っていることは納得だ。新太郎しんたろうのシャツから見えたりょうの様子はそんな風体ふうていだ。チャラそうに見えて真面目。外見で損をしていたのかもしれない。

「そうですか。でも、私は藤川さんと契約を結んでしまいました。ですので、その願いは叶えられません」

「そこをなんとか」

「無理ですよ。持ち主に交渉しなくてはいけません」

「やはり、そうですよね」

南海は沈んだ表情だった。私はどうにも出来ず、ただ南海を見つめた。南海が口を開く。

「多分、来美は藤川君が好きですよ。嫌いになんてなっていない。それだけは解るんです。だって、アクアマリンの彼氏をずっと引きずっていましたが、藤川君と付き合っているときは明るかったんですよ。本当に元気で」

南海の井川に対する思いは本気のように見えた。井川のことをずっと見えてきたからこそ、微かな変化も気づきやすい。南海が健気けなげで切なく思えた。

「そうですか。私が言えたことではないです。ただ、井川さんご自身が藤川さんと交渉すべきだと思うのです。私の依頼主は藤川さんで、井川さんではないので。ただ、井川さんが藤川さんを本気で思っているなら婚約をすればいいと思うのです。でも、何かしらのそれがあるのでしょう。それができない事情を知られたくないということでしょうか」

「そういうことになるかもしれないですね。僕は来美の気持ちが解らない。多分、来美は僕を利用している。僕がここに来て、川本さんにお願いするのを想定していたと思います。それでもいいんです。僕は来美が元気で過ごせるならそれで。でも……。想像以上に辛いなと思いました」

私はこの時、南海の姿がかつて、井川が片思いをしていた姿と重なって見えた。どんなに相手を想っても伝わらない。

この恋が実ることはないのだろう。それは辛いことのほうが多い。

南海の頬から涙が滴った。


タンザナイトの夕暮れ時(上) 7(7) 了

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