タンザナイトの夕暮れ時(上) 6 (6)

恐らく最初の持ち主かもしれない麗華は幸せな結婚生活を送っているようだった。夫の裕二は愛妻家で必ず定時には帰り、一緒に食事をしている。

麗華も家事を甲斐かい甲斐がいしくやり、裕二の帰りを待つ。生活は派手ではないにしろ、裕福に入る程度の家庭に思えた。

思い出は麗華の妊娠のところまで見えた。私は休憩を取ろうと思い、思い出の途中で手を離す。


時刻を確認すると深夜1時だった。8時間くらい見ていたかもしれない。

身体のりはこれが原因だったのだろう。私はため息をつき、スマホを見た。

特に誰からの連絡もないのを確認し、私は台所の冷蔵庫を開けた。思い出を見るという行為は想像以上にカロリーを消費する。

長い思い出を見た後は大概、深くて長い眠りにつくことになる。

一番長かったのは一週間だ。思い出を見続けて目を覚まさなかったら私は死ぬのだろうか。

それはそれで恐い。もしかしたら、思い出を見るという行為は寿命を削ることになるのだろう。

これだけのエネルギーを使うのは確実に寿命を削っているとしか思えない。

私には解らないことだらけだ。この能力の終着点はどこにあるのだろう。

今度、能力の話を潔叔父さんに聞こうと思った。


**********************


暗闇の中で、声がする。闇が私の視界を支配して、何も見えなくしているのか。

私自身がその闇に身を投じたのか。


「いたずらに思い出を見るたびに、君の思い出が消えるとしたらどうする?」

その声は一方的に私に話しかけてきて、次第に大きくなってくる。低音のようで響く声は私の耳元まで着た。私のすぐ隣でささやくようだった。

「思い出は綺麗なものばかりじゃないよ。君が思い出を見る代わりに、一つずつ思い出が消えるんだ」

声が聞こえるだけで姿は見えない。私の脳内に呼びかけているのだろうか。

声の主は一体誰だろうか。声は問い続ける。

「聞こえているんでしょう?ねぇ」

「聞こえているよ、何?誰?」

私は声に反応した。声が笑う。

「あははは。聞こえているなら反応してよ」

「だって。姿が見えないから」

「姿見えなくても声がしたら反応しなきゃ」

「反応しろって。勝手ね」

「勝手か。そうかもしれない。君がこの能力を得たのだってまぐれに過ぎない。さて、さっきのこと。君が思い出を見る代わりに、君自身の思い出が一つずつ消えるってことだけど」

「何それ?」

「何それって。そのまんまの意味だって。消えているよ、君の思い出」


目の前が真っ白になり、私は目を覚ました。

どうやら、私が見たものは夢だったらしい。

妙な夢だ。

「君が思い出を見る代わりに、君自身の思い出が一つずつ消える」。

不気味な言葉だった。思い出が消える。

私の思い出はいくつか消えているのだろうか。私はこの能力のバグが妙に納得いった。

何かを得て、何かを失う。そうなるのは世の中のつねだ。

私は例え、記憶が失ったとしても思い出を見続けるだろう。

それが私の決めたことだからだ。

思い出が消えるということは、アルツハイマーのようなものだろうか。

だとしたら、私の脳内にはアミロイドβ《べーた》が蓄積ちくせきされているのだろうか。全く解らないが、それにおびえて思い出を見る行為をめるわけにいかない。


私は気を取り直して、朝の支度をして川本宝飾店に向かった。

お店を開店すると、いつもと変わらない様子だった。

ただ、違っていたのは、二年ぶりに南海みなみ啓一けいいちが来店したことぐらいだ。

「お久しぶりですね。南海さん」

「ええ。川本さん、お元気でしたか?」

「何とか。二年ぶりに着てくださってびっくりしました」

二年ぶりに再会した南海は頼れる男性の雰囲気だった。ここに初めて来た時の頼りない雰囲気は微塵みじんもなかった。

「ちょっと色々あって。仕事が。本当に。あのう」

「どうしました?」

「実はり入ってお話が」

「お話?」

「少し二人だけで」

南海は思いつめたような様子だった。話したい内容の詳細は解りかねるが、重要な気がした。

それは恋愛的な内容ではなく、深刻なものだろう。さっするにあたり、思い出の関係だろうと思った。

「解りました。では、今いらっしゃる他のお客様がお帰りになったら、準備中にしますね。お待ちいただけますか?」

「はい。ありがとうございます」

南海は安心したような表情を浮かべた。


タンザナイトの夕暮れ時(上) 6(6)了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る