琥珀の慟哭 (下) 16 (46)


 私はこれから目にするであろう、楠田くすだ華子はなこに遭った出来事が恐く思えた。いよいよ、楠田と華子の真実を知る。私は息を飲んだ。


 場面はゆっくりと切り替り、華子と楠田がカフェで話をしている。


「仕事はどう?上手くやっている?」

「ええ。おかげさまで。店長が移動になったらしく」

「そう。新しい店長とは上手くやれそうかな?」


 どうやら楠田を辞めさせようとしていた磯田いそだは異動になったらしい。

 これは華子による力なのだろうか。詳細はわからないが、楠田はあの後、上手くいっているようだ。


「はい。おかげさまで。店長は良くしてくれています。ただ俺は本当にこのままでいいのでしょうか」


 楠田は目を伏せた。楠田は江波えなみたちのことを思い出しているように見えた。

 華子が言う。


「江波さんには手紙を出しているの?」

「送っているんですけど。気休めにしか過ぎないし、自分が楽になりたいだけになっているんじゃないか。当たり前ですが、返信はないです」


 楠田の表情は痛々しいものだった。自分の罪を自覚して苦しみに耐えているようにも見える。あの事件を起こした当時は『改悛かいしゅん』や『反省』などが程遠いようにも見えた。

 楠田は本当に罪と向き合っているのだろう。


「…そう。難しいことよね。でも、楠田君は自身の罪と向き合っている。中々、できることじゃないよ」


 華子は楠田を励ました。楠田は少しだけ表情を和らげた。華子は楠田に何かを包み紙を渡してきた。


「これ。受け取って。もうすぐ誕生日よね。あなたのこれからを応援しているわ」


 楠田はその包み紙を触る。楠田は触った瞬間に顔をゆがめる。

 何か見てしまったのだろうか。楠田が沈黙する。華子は楠田の顔を覗き込んだ。


「何か見えたの?」

「あ、その」

「あなたには誤魔化しが効かないようね」


 華子は何かがあったようだ。それは仕事関係なのか、私は一瞬、ゆうの妻、日名子ひなこのことかと思った。


「揉めているのよ」

「断片的に見てしまったんですが、リゾートの件で揉めていますよね」

「そうね」


 華子は目を伏せた。楠田は華子の顔を見る。華子は一息を着くと、口を開く。


「沖縄のホテルの経営者、磯貝いそがい菊男きくおさんとね。彼は元々、柿澤コーポレーションの社員さんだったのよ。でもね、最近、経営が厳しくて業務提携をしてくれないかって提案を受けたのよ」


 ここで磯貝菊男が出てきたということは、この件が今回の大きなキーワードなのだろう。私は息を飲んだ。


「そうだったんですね。色々、大変ですね」

「まあ、そうなんだけど。それより、包み紙開けてみて、あなたに似合うと思うんだけど」


 楠田は華子を不安そうに見る。華子は楠田を安心させようと笑う。

 楠田は華子の言われた通り、包み紙を開ける。中身は時計だった。

 ブランドものではなく、実用性を重視したものに見えた。

 けれど、多少、高価なものであるには違いなかった。


「………これ、こんなものもらえませんよ」

「いいの。私の気持ちだから。要らなかったら、売ってもいいから」


 華子は懇願するように言った。楠田はそれを丁寧に受け取った。


「……どうして、俺にそこまでするんですか?」

「そうね。前にも話したけど、私は昔、人が信用できなかった。けれど、最後まで信じてくれた人がいたから。そういう人になりたいって前にも話したわね。もう、その人は亡くなってしまって」


 楠田は華子の過去をいくつか見ているのだろうか。

 楠田の表情には複雑なものが浮かび上がっていた。華子は楠田を見る。


「南田君は私を軽蔑するでしょうよ。もう、見てしまった可能性が高い」

「……軽蔑はしません。正直、驚きました。まあ、その。なんというか」

「軽蔑されても仕方ないもの。私はまともな人間じゃない」

「それって、華子さんが柿澤裕次郎さんと結婚した理由ですよね。その人のかたきを討ちたかったってことですよね?」


 華子は楠田の言葉に首を縦に振った。楠田は驚く様子もなく、華子を見る。


「そうよ。私の恩人を死に追いやった柿澤コーポレーションへの復讐で、裕次郎さんと結婚したのよ。南田君、呆れたでしょう。でもね、裕次郎さんは私を本当に愛してくれた。私は次第に、それに応えたいと思うようになったの。それは嘘ではないわ。だから、私にできることをこれからもやっていきたいの」


 華子の目は涙目だった。衝撃的だ。華子は復讐のために、裕次郎と結婚したという事実が信じられなかった。

 私が見た思い出の裕次郎と華子は仲睦なかむつまじいように思えた。けれど、それはもう華子自身が裕次郎を心から愛していたからだろう。

 驚くべきことだが、華子自身が楠田を助けたいと思う気持ちも、自分の中にある罪悪感からの解放もあるのかもしれないと思った。


琥珀の慟哭(下)16 了

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