琥珀の慟哭(下) 17 (47)

 

 南田みなみだ弘一こういちは看守の宮野の声で、目を覚ました。


「おい。起きろ」

「はい」

「面会だ。支度をしろ」


 宮野は相変わらずの無表情で、余計なことを言わなかった。

 南田はそれについて何も思わない。むしろ、宮野の持ち物に触れて、過去が見えるほうがよほど恐いと思えてきた。支度を始める南田に、宮野が言う。


「お前は本当にこれでいいのか?」


 南田は動きを止めて、宮野を見る。宮野から目を離し、自身の支度を続けた。


「本当に……これで」

「宮野さん。伊藤さんの差し金か知りませんが、黙ってもらえますか?」

「……そうだな」


 ここで宮野の表情は少しだけ感情が見えた。南田は宮野を一瞥すると、言葉を言う。


「宮野さんも色々な方をお見掛けしたと思います。あなたご自身も被害者家族なのでしょう?だとしたら、加害者を憎むほうであるべきなんですよ」

「お前の言い分はよくわかる。俺も加害者を憎んだ。けどな。お前の場合は本当に殺ったように見えないんだ」

「もう。これ以上、首突っ込まないでください」


 宮野は黙って、南田を見た。南田は宮野を激しくにらみつける。宮野は怯んだ。


「悪かった」

「……とにかくもう、いいんです。終わりです。あと、面会って誰です?」

「弁護士の古川呼人ふるかわよひとさんだ」

「古川さんか……。俺、会いません。面会を拒否してください」


 南田は宮野に向かって強い口調で言った。宮野は南田を見つめた。


「わかった」


 宮野は南田のもとを離れていく。南田は支度を止めて、その場に座り込む。

 南田はこれでいいんだと自分の中で、何度も繰り返した。



****************


 華子が裕次郎と結婚したのは、柿澤コーポレーションへの復讐だった。

 衝撃的ではあるが、華子が楠田を応援する気持ちが強い理由を見た気がした。

 柿澤家は華子の恩師に一体、何をしたのだろうか。

 楠田は全てお見通しのようで、驚く様子はない。華子はぽつり、ぽつりと恩師の話を始める。


「私の恩師は中学一年生の時の担任でした。私は兄と一緒に荒れていました。学校に通わず、毎日のように仲間とたむろしていました」


 華子の目は遠くを見ているようだった。

 楠田は華子の顔をじっと見つめ、コーヒーを一口飲む。


「女の先生で、青井あおい静子しずこという人でした。最初はうざいって思っていたんだけど、私のことを本当に心配してくれて………」


 華子は涙で言葉が詰まり始めた。余程のことがあったのかもしれない。

 華子は言葉に詰まりながらも、続ける。


「静子先生には私と同じくらいの子供がいました。家族もうまくいっていて、学校の先生であることを本当に心から幸福に思っていました。天職だと。だけど、そんなある日。そんなある日のことです。柿澤美貴子を学校で指導したばかりに」


 私は嫌な気分になった。想像は着いたが、美貴子はそんなことをする人間だろう。自分の気に入らない人を排除する。楠田が言う。


「柿澤美貴子さん、つまり、裕次郎さんのお姉さんですよね。それが原因で学校をクビになり、しかも、学校の先生もできなくなってしまったということですよね?」


 やはり、楠田はすべてを見ていた。楠田の話に華子は首を縦に振る。

 つくづく胸糞が悪くなった。その後の先生はどうなったのだろうか。

 華子の暗い表情から易々と想像がついた。


「そうなの。で、先生ができなくなった静子先生は塾の先生になった。だけど、そこでも柿澤家は邪魔をしたわ」


 楠田は唇を噛み締めた。

 恐らく、楠田は華子の恩師の静子のその後まで見たのだろう。

 華子は静かに続ける。


「先生は弱っていき、仕舞には精神的に病んでしまった。そこからは本当に地獄でね。先生は私のこと解らなくなってしまって」


 華子の悲痛な表情は痛ましかった。楠田は華子を見つめた。

 華子は涙を拭いて、水を飲んだ。


「南田君はもう全て見たんでしょう?」

「……あ。まあ、そうですね。見ました。俺は華子さんを失望しませんよ」


 華子は楠田の言葉が少し嬉しそうだった。美貴子の悪どさのほうが強烈に思えた。

 華子と美貴子の対立はかなり前からあったのだろう。


「ま、裕次郎さんが私を気に入るとは思わなかったけどね。裕次郎さんと知り合ったとき、「静子先生の仇」とは思っていたけど」


 華子は昔を思い出しているようだった。

 若いころの華子は確かに、目麗しい女性だった。

 可憐という言葉が似合う感じだ。


「まあ、この話は終わりにしましょう」

「そうですね。あの、磯貝さんのことは大丈夫なのでしょうか?」

「そうね。色々あるけど、何とかなるでしょう。今の柿澤の社長はゆうだから。私はそれの補佐」


 私は祐に任せことで、問題が起きたのではないかとすら思えてきた。

 本当に大丈夫なのだろうか。

 祐の異様なまでの世間体を気にする様からするとかなりのトラブルを巻き起こしそうな空気を感じる。

 やはり、祐が原因なのだろうか。楠田は華子を心配そうに見た。

 楠田の心配はそれ以外にあるように見えた。何を心配しているのだろうか。


 思い出は切り替った。今度は華子が祐と話をしている場面だった。

 祐が華子に怒鳴っている。恐らく、祐は世間体を気にしすぎているからだろう。


「お母様は何を考えているんですか?」

「……仕方ないじゃない。だって」

「大体、お母様が問題じゃないですか?違います?」


 祐は華子を責め立てる。何を責めているのか、それが解り難い。

 先ほどの楠田と華子のやり取りからすると、磯貝の件だと解る。


「お母様がお父様と結婚したのって」

「……勘のいい祐なら気付くと思ったよ」

「お父様の前に一度、結婚して子供を作りましたよね」


 私は衝撃的だった。楠田の心配はこのことだったのだろうか。

 華子の表情は暗く、思い出すのも辛そうだった。



琥珀の慟哭(下)17 了

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