琥珀の慟哭(下) 11 (41)


 その後、日名子ひなこは家を出て行ったのか、姿が見えない。

 華子はゆうと供に二人暮らしになったようだ。

 場面が切り替り、華子と祐が朝食を食べている場面になった。

 会話は少ない。朝食を咀嚼する音だけが響いている。

 

 華子は祐の顔を見る。祐は華子の視線を感じ、口を開く。


「日名子のことですか?」

「……まあ、そうなんだけど」

「何度も言うけど、日名子とは離婚だよ。お母様も甘くはないですか?」


 華子は祐の拒絶的な態度に言葉が見つからない。華子が黙ると、祐は続けて言う。


「大体、お母様が気に掛けた南田弘一でしたっけ?彼はどうです?問題、起こしたじゃないですか。何もしていないのに人を殴っているし。人を殺しただけありますよ」


 華子は唇を噛み締める。やはり祐の耳にも、楠田が三沢を殴った事実が入っているようだ。


「これに懲りて、お母様がやっている慈善事業もお止めになったほうがいい。僕は前から、疑問だった。柿澤をここまで大きくした人が、なんでこんなことをしているのか」

「祐!あなたには一生、解らないかもしれないわね。苦労を知らないあなたには」


 華子はお箸を机に叩きつける。祐は華子の思わぬ反応に少し、動揺する。祐は華子を見る。


「前にも話したよね。私が捨て子だったこと。これまで助けてくれた人のために恩返しがしたいって。それが私の生きる意味でもあるの」

「……それは偽善ですよ。お母様は人を知らない。人はそうそう変われないんですよ!」

「祐!あなたはどうしてそうなの!昔から、世間体のことばかり。それに完ぺき主義過ぎる。もっと、優しさはないの?」


 祐は華子の言葉を気にも止めない。祐は華子を母親というより、ただ育ててくれた人にしか思っていないように見えた。祐は笑う。


「お母様。それは僕が、お母様の本当の息子じゃないからですよ」

「祐。だけどね、あなたは紛れもなく私と裕次郎さんの子よ」

「止めてくださいお母様。僕はお母様が育ててくれたことは感謝します。けれど、所詮、乳母。だから、お母様の提案には共感できないんですよ」


 祐の表情には拒絶が見えた。華子は祐を理解しようと努力をしていたようだが、明らかな溝があるようだった。

 華子は祐を見て涙を流す。


「お母様。泣かないでください。僕はお母様の側にずっといますよ。けれど、お母様がこれ以上、柿澤の家の評判を落とすなら、それ相応のことは承知しておいてください」


 祐は華子の肩に手をおいた。祐は笑顔であるものの、目は笑っていなかった。

 心底、祐が腹黒い気がしてきた。華子は顔を上げる。


「評判?世間体?私のやっていることは、間違っていない!」


 華子は祐の手をのけて、椅子から立ち上がる。華子は祐を睨む。

 じっとにらみ合っていた。

 テレビが着けっぱなしになっているのか、ニュースが流れている。

 そのニュースが、【三沢みさわ清二せいじ】と言っていた。

 

 華子はすぐにテレビのほうを見る。

 三沢清二は楠田が殴ったボランティアの男性だ。


『警察は未成年者への強制わいせつ容疑で、三沢清二を逮捕しました。未成年の女子中学生を性的虐待したとして、NPO法人の男を逮捕しました。三沢清二容疑者(37)は不登校や、家庭に問題を抱える中学生を支援する活動をやっていました。三沢容疑者は犯行を大筋で認めているそうです』


 華子は目を見開き、ニュースを食い入るように見た。

 楠田が三沢を殴ったのは、これが原因だったのか。

 私も驚くばかりだった。楠田は理由もなく人を殴るような人でなかった。

 華子は涙を流した。祐が華子に話しかける。


「どうしたんです?一体?ロリコン変態のニュースが」

「……南田君は理由もなく、人を殴ったりなんかしない!」

「南田弘一ですか?そうですか。どうでもいいですよ。僕には関係ないです」


 祐はその場を去って行った。華子は涙を流した。

 楠田がその場ですぐにそれを言わなかったのは、相手の少女の気持ちを考えていたのだろう。

 私の想像以上に、楠田は優しい人なのかもしれない。

 華子は涙を拭い、朝食の食器の片づけを始めた。

 祐は仕事に向かったのか、その姿は見なかった。

 私はこの後、楠田と華子が仲直りをしていることを願った。



******************************


 南田はぼんやりと、仰向けに寝転んだ。

 何の変哲のない天井を見ても、どうにかなるわけでもない。


 この間の伊藤の壮絶な過去、未来が見えること、伊藤と宮野が親友だとか。

 頭がごちゃごちゃになる。あまり深く考えたくはないが、二人とも濃すぎる過去を持っていそうだ。


 南田は正直、これ以上、二人の過去を見たいと思わなかった。


 自分はこのまま、死ぬときを待つだけ。

 南田は天井を見ていると、涙が出てきた。

 このまま自分は孤独に死んでいく。

 けれど、それはとうの昔に、解っていたことだ。自分に死刑が課せられたことを名誉に思うべきなのだろう。


 いっそ、良心の呵責すらなく、極悪人になれたら、死刑すらも笑って受けれられるのかもしれない。

 南田は目を瞑る。


 しばらくすると、見たくもない幸田という看守がやってきた。


「おい。クズ。俺はお前の執行に絶対に立ち遭ってやるよ」


 南田は幸田の声を無視した。幸田は南田が反応しないのにいらだった。


「なんとか言ったどうだ?クズ?」


 幸田が格子のぎりぎりまで来てるのが解った。南田は起き上がり、幸田のほうに向かう。


「クズに話しかける幸田さん。奥様を鳴かした相手、解りました?奥様のお熱い夜の姿ってヌけますねぇ」


 南田は幸田を挑発するように言った。幸田は南田の服を格子の間から掴んだ。


「てめぇ」

「俺は事実を言ったまで。あはははははは。淫乱な奥様とどれくらいご無沙汰ですかねぇ」

「ックソ」


 幸田は格子の間から、南田の顔を殴った。殴られた南田は尻餅をつく。幸田が言う。


「お前、なめんなよ!」


 南田は幸田の顔を見る。幸田は南田の目が恐い気がしてきた。幸田は足早にその場を離れて行く。


 南田は幸田を憐れに思った。

 前に幸田の過去を見た。

 その時、本当に幸田の妻は不倫をしていた。

 それも不特定多数の男性と性的関係を持っていて、成人向けのセクシー女優のようだった。


 淫乱でそそるような肉厚的な、熱をもてあましているような人だった。


 単純に幸田とその妻の生活は、妥協のように見えた。

 形だけの夫妻、世間体が大事だから離婚しない。

 

 だから、妻は結婚していようが、不特定多数の人と関係を持つ。


 南田は自分には関係ないと思い、考えるのを止めた。

 南田は幸田が、自分に突っかかってくるのは、憐れな自分を認めたくないのだろうと思った。


 憐れな自分。可哀相な自分。南田は一旦、認めてしまえば楽だろうと思った。

 幸田がそれを良しとしないのは、エリートとしてのプライドだろう。

 南田は幸田がつくづく憐れだと思った。南田はふと、自分の中にある優越感に浸った。


琥珀の慟哭(下)11 了

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