琥珀の慟哭(中) 10 (21)


 その同情心は哀れみよりも、深く心の奥底から湧いてきた。

 特異な体質で、気味悪がられた楠田は孤独だったのだろう。

 何処までも底のない深淵しんえんをずっと、楠田は彷徨さまよっているのか。さっき飲んだオレンジジュースの苦味が口の中で広がった。


「あの。私と会っても大丈夫なのでしょうか?」

「楠田君から面会拒絶される可能性もあるかもしれません。でも、私はどうしても川本さんにお会いしたかった。華子さんから依頼されたのは私でした。「万が一、私と弘一君に何か遭ったら、このブレスレットの過去を見てくれる人を見つけてくれ」って」


 古川はこれまでの経緯いきさつを話してくれた。

 華子は最初、楠田の弁護士の古川を頼ったらしい。

 古川は楠田の能力が母親の弥生からの継承だと思った。けれど、それは検討違いで弥生に能力がなかった。

 弥生が古川に私のことを連絡したらしい。


「そうだったんですね」

「最初は本当に驚きました。楠田君以外に、そんな能力を持つ人がいるなんて。しかも、仕事の合間に警察に協力しているとか」


 古川は感激しているように見えた。

【物に触れると過去が見える】能力は本当の意味で珍しいものだ。それと同時に、この能力を持った人間にしか解らない苦悩がある。

 その苦悩との戦いは、この能力を持つ限り続いていくだろう。

 普通の人には見えない過去。それが見える。


「この能力は幸にも不幸にもなりえます。楠田君がもし、違う人たちに出会っていたらと思うと」


 楠田の圧倒的な能力はきっと、社会で役に立つものだっただろう。

 けれど、楠田の精神を支えるものがなかった。古川は唇をかみ締める。

 古川はアイスコーヒーを一口飲むと、口を開く。


「私もそう思います。弥生さんを責める権利は私にないです。けれど、もし、弥生さんが楠田君を棄てなかったらと思ってしまいます。私にも小学生の子供がいます。楠田君以外の少年も弁護したことがあります。犯罪に走る少年には色々なタイプがいます。信用できない大人の下で育った子供は、チャンスがあれば絶対に更正できる。私はそう思います。楠田君にとって華子さんとの出会いはそういうものだったんだと思います」


 古川はアイスコーヒーを一気飲みする。古川は時計を確認した。


「すいません。川本さん。私はもう家に帰らなくては」

「あ。大丈夫ですよ。もう遅いですしね。お話が聞けてよかったです」

「いいえ。こちらこそ。私は川本さんが力になってもらえるとのことで本当に嬉しいです。ありがとうございます」


 古川は椅子から立ち上がると、ぴっしりとお辞儀をした。私は慌てて、立ち上がり、お辞儀を返した。


「解りました。あの、宜しければ、古川さんの連絡先を教えていただけませんか?」

「私ですか?構いません。事務所の電話でも大丈夫ですか?」


 古川は自身のカバンを漁り、名刺のケースを取り出す。


「構いません。そちらを頂きます」

「解りました。これを。楠田君と華子さんのことで聞きたいことがあったら連絡ください」


 古川は自身の名刺を一枚、私に手渡した。

古川ふるかわ呼人よひと法律相談所】と書かれていた。

 事務所の住所はここから結構近い場所にあった。


「それではこの辺で。本日はありがとうございました。ここの御代は私が支払いますので」

「こちらこそ。ありがとうございました」


 古川はバーテンに御代を払い、店を出て行く。

 私は飲みかけのオレンジジュースを飲んだ。しばらく、店の中で過ごした。

 この日は私以外にお客さんは居なく、貸切みたいな雰囲気だった。

 バーテンはコップや、何か作業をしている。バーテンは私たちの話を聞いていたのだろうか。聞いていたとしても特に解らないだろう。

 バーテンは私の視線に気付き、話しかけてきた。


「確か。川本宝飾店の川本さんですよね?」

「あ、はい。そうです」


 私は以前、一度だけここに着たことがある。ショーシャンクは比較的、常連客しか来ない穴場的な店だ。


「川本さんの噂は以前から存じ上げています」


 バーテンは笑顔だった。


「そうですか。悪い噂じゃないことを願っています」


 私は少し苦笑いした。


「いいえ。全然。寧ろ、親切でその特殊能力をお持ちだとか」

「ご存知でしたか。お恥ずかしい」

「でも、若くして家業を継いで結構大変でしょう?」


 バーテンは何かを調理しているのか、野菜を切り始めた。

 野菜を切り終わると、冷蔵庫から調味料や、何かを取り出していた。

 私は何も頼んでいない。誰かに出前でも出すのだろうか。


「まあ。最初のうちは。でも、今は慣れた感じです」

「そうですか。僕も若い頃に両親を亡くして、ここの店主に育てられたんですよ。僕は今日、川本さんにお会いできて嬉しいです」


 バーテンは野菜炒めを作りながら言った。

 私はバーテンの声のトーンに癒された。


「嬉しいだなんて、光栄ですよ。では、私はそろそろ」

「あ。待ってください。僕からの厚意です。これ、食べてください」


 バーテンは野菜炒めを出してきた。


「え?いいんですか?」

「気にしないでください。どうぞ」


 私はバーテンの厚意に甘え、野菜炒めを頂いた。


「おいしいです。ありがとうございます」

「また。着てくださいね」

「はい。あの、お名前は?」

倉知くらちりょうです。よろしく」

「こちらこそ、よろしく」


 私は倉知から貰った野菜炒めを食べながら、少し話をした。

 倉知は私よりも若く、8歳下の20歳だった。

 話していてとても心地のよい青年だった。私は野菜炒めを食べ終わり、席を立った。


「じゃあ。これで」

「川本さん、ありがとうございました」

「いいえ。私も楽しかったです。ではまた」


 私はショーシャンクを出て、家に向かった。時刻は午後の8時になっていた。

 商店街は居酒屋やバー以外、午後7時を過ぎると閉店している。

 シャッターの閉まった商店街を歩くのは、少し静かだがなんだか気持ちが安らぐ。

 今日一日をどんな風に、誰と過ごし、何をしたのか。それを見届けた商店街の空気は穏やかに思えた。

 今日は家に帰ったら、もう寝ようと思った。


琥珀の慟哭(中)10 了

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