トパーズの憂鬱 (下) 6


 二人の間に少しだけ沈黙が出来る。和義が言う。


「いいよ」

「ありがとう」


 美砂子は緊張から解き放たれた表情を浮かべた。

 さっきまで乏しかった美砂子の表情が豊かになった。

 和義は久しぶりに見た美砂子の喜ぶ顔に少し嬉しくなった。


「和義、本当にありがとう」

「いいや、いいよ。文芽さんと話したいこと沢山あるだろうし」


 和義は美砂子が自分のことを文芽に話すのだろうと思っている。

 もしかしたら、既に文芽に話している可能性もあるだろう。

 和義は自業自得と思いつつも、苦しい胸のうちがあるようにも見えた。


「そう。最近は幹正くんに会っているの?」

「いいや。あいつとは」


 和義は苦い表情を浮かべた。

 美砂子はその原因を解っているがゆえに、申し訳ない気分になってくる。


「ごめん。私のせいだよね?」

「いいや。あいつが変なこと言うからな」

「もう、やめよっか、あの話は」



 美砂子は朝食を食べ終えた食器を持ち上げ、台所の流し台に向かう。

 和義はその後姿を見つめた。

 幹正は文芽が犯人だと和義に吹聴。それを信じた和義は美砂子と喧嘩をした。

 本当の犯人は誰なのだろう。

 私はもう犯人が誰よりも、美砂子のこの先が大事だと思った。


 和義は支度を終え、「行ってくる」と言い、家を出て行った。

 美砂子は台所で食器を洗う。水の音と、美砂子が食器を洗う音が鳴り響いた。


 食器洗いを終えた美砂子は、由利亜のベッドに向かう。

 由利亜はすやすやと眠っているようだ。

 美砂子は「おはよう」と由利亜にいいながら、頭を優しく撫でた。

 由利亜は無意識に美砂子の指を掴んだ。

 由利亜はゆっくりと目を開けると、美砂子の姿に安心したのか、笑う。

 美砂子は微笑んだ。


「お腹、空いたかな?」


 美砂子は由利亜に話しかける。

 由利亜はそれが解ったのか、こくりと頷いて、「きゃっきゃっ」と声を上げた。

 美砂子と由利亜の絆が見えたような気がした。


 私は優しい気持ちになった。


 そんな中、思い出は再び、切り替った。


 見えてきた思い出は美砂子と由利亜が文芽のマンションに泊まっている場面だった。

 夕飯を終え、文芽と美砂子が紅茶を飲みながら、話をしている。


「そうか。そんなことがあったんだ」

「うん。そうなんだ」


 美砂子が文芽に和義との出来事を話し終えた後のようだ。文芽は不快感が拭えない表情を浮かべている。

 和義の行動は肯定など出来ない。


「美砂子はどうしたい?」

「わからないんだよね。ただ、和義と別れて暮らす。これが想像できなくて。でも、それは今、由利亜を抱えているし、自分の生活が出来るかどうかのことでそう思えているようにしか思えないし」

 

 美砂子は自分の感情を包み隠さずに言った。

 その言葉は嘘を言っているようにも思えなかった。


「そうか。もしかしてさ、私が原因だったりしない?【嫌がらせ】の犯人が和義くんかもしれないって余計なこと言ったからさ」

「そんなことないよ。ただ、和義に『俺のことを愛しているか』と言われた時、思い当たる気がしたんだよね。ちゃんと和義に応えていたかどうか。本当は和義を何も思っていないんじゃないかって」


 美砂子の真剣な表情を文芽は心配そうに見つめた。

 文芽はただ黙って話しを聞く。美砂子は続ける。


「和義の行動は行き過ぎていたし、あの時は本当に恐かった。でも、同時に気付いてしまったんだよね。私は和義を必要としているんじゃなくって、遊作を必要としているのじゃないかって」


 美砂子は苦しそうに言った。文芽は美砂子の肩を抱く。


「そうか。じゃあ、どうするの?」

「ゆっくり時間をかけて話すつもり」

「叶井さんとはどうなったの?」

「和義に連絡を消されて少し経過してから、遊作のほうから連絡があったの。で、事情を話して、連絡だけしている感じかな」


 美砂子はぼんやりと話した。


「じゃあ。和義くんには隠しているってこと?」


 文芽は少しだけ驚いているように見えた。


「うん」

「大丈夫なの?でも、今日も私と会うことをよく承諾してくれたようにも思えるけど」


 文芽は和義の行動を含めて、美砂子が大丈夫なのか心配になってきた。美砂子は少し表情を暗くした。


「大丈夫大丈夫。和義も私に申し訳ないことしたって後ろめたく思っているみたいだし」

「そうなの?和義くんは離婚したくないのかもしれないね」


 美砂子は静かになった。文芽が言う。


「やっぱ、和義くんと別れてから、叶井さんと連絡取り合ったほうがいいと思うよ」

「………だよね。どうしよう」

「まあ、とにかく様子を見よう」


 文芽は美砂子の肩を優しくおいた。美砂子は心から心配してくれる文芽がいて安心したようだ。

 美砂子のこれから先、何があるか解らない。美砂子は死んでしまうのだろうけど、

 その死が不幸なものでないことを私は願った。


 美砂子は携帯のバイブが振動しているのがわかったのか、カバンを漁る。

 美砂子はカバンから携帯を取り出し、その画面を見た。

 画面には遊作からのメールが届いているようだ。その画面は見えなかった。


「誰から?」


 文芽が美砂子に質問した。


「遊作からだよ」

「なんて?」

「明日開いているかだって」

「まだ止めておいたほうがいいんじゃない?」


 文芽の言うとおりだと思う。美砂子と和義の仲は溝が出来ている。

 けれど、夫婦関係は継続されており、離婚はしていない。

 和義の許可を得ずに会うことは良くないことだ。


「でも、和義には私が遊作と連絡取り合っているのを知らないから」

「それとこれとは別だよ。知らなかったとしても、美砂子と和義くんは夫婦なのだから」

「そうだよね」


 美砂子は文芽の説得に改心したようだ。これで完全に美砂子は和義への思いがなくなった。

 当初は予測など着かなかったが、これも仕方のないことなのだろう。


 お似合いのように見えた美砂子と和義。私は二人が乗り越えて欲しいと思っていた反面、もう無理じゃないかと思っていた。

 とにかく、これ以上、最悪な状況にならないことを祈るしかないと私は思った。


 私の心配を他所に思い出はゆっくりと切り替った。




トパーズの憂鬱 (下) 6 了

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