トパーズの憂鬱 (中) 10


 私は次の日、店の看板に『お休み』の張り紙を出していないことを思い出した。

 朝の支度をさっさと終え、私は川本宝飾店に向かう。


 11月になると、今年の終わりが見えてくる。

 もうすぐ2018年が終わり、2019年へ。大人になるとそれほど、珍しさは感じなくなる。

 ただ当たり前がないことだけは、忘れたくないと思った。


 店のシャッター前に、人がいた。由利亜ゆりあだ。由利亜は私に気付くと、会釈した。


「おはようございます。川本さん」

「おはよう。ごめんね、まだ時間が掛かるよ」


 私は謝罪した。由利亜は首を横に振る。


「いいんです。私が無理なお願いをしているだけなので」


 由利亜は遠い目をしていた。由利亜はきっと、まだ文芽のところに帰っていないのだろう。

 私は何と声を掛ければいいか解らず、黙る。

 由利亜が私を見て言う。


「気を遣わせてしまってすいません。お休みするですよね?今日?」

「え?まあ、そうですけど。色々やることもあるので」

「そうなんですね!」


 由利亜は興味津々で言った。由利亜は初めて会った時より、化粧が薄くなっていた。

 心境の変化でもあったのだろうか。


 私は「ちょっと貼り紙しますね」と断りをいれ、シャッターに『お休みのお知らせ』の貼り紙を貼った。


「ねぇ。過去を見るのって辛いんですか?」


 由利亜は私に質問した。私は由利亜を見る。


「そうだね。辛いか辛くないかなら、辛いよ。当然だけど、皆良い思い出ばっかりじゃない」


 私ははっきりと言った。由利亜は私から視線を外さずに言う。


「……殺人とかも見えるの?」


 私はなにも言わずに首を縦に振った。由利亜は右手で口を押さえ、動揺する。


「いつまで経っても慣れないけどね」


 私は慣れるはずのない、感情を吐露した。由利亜は申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「由利亜さん、気にしないで下さい。私の個人的な感情で過去を見ているのですから」


 私は由利亜を宥めた。


「でも……」

「じゃあ、文芽さんの家に戻って下さい。それが私の願いです」


 由利亜は困惑した。目には少しだけ涙が出ていた。


「文芽さんは、あなたの実の母、美砂子さんのことを大切に思っていました。だから由利亜さんのことも大切に思っていますよ」


 由利亜はただ私の言葉を真剣に聞いた。由利亜は黙ってうなずくと、一礼をした。

 由利亜はきびすを返し、商店街を出ていく。私はその後ろ姿を見つめた。


 私は家に戻ると、すぐに手を洗い、白い手袋をした。

 ケースを金庫から出し、ケースからトパーズのネックレスを出した。


 一息をつき、トパーズのネックレスを触る。ゆっくりと見えてきた。


 美砂子が和義を文芽に紹介している場面だった。どこかのファミレスだろうか。

 若いお客さんで賑わっている。付き合い始めて間もないころのようだ。


 文芽は和義を見る。その目は少しだけ怖い。美砂子が言う。


「紹介、遅くなってごめん。一週間くらい前から付き合ってる彼で神坂和義みさかかずよしさん」

神坂和義みさかかずよしです!」


 和義は文芽に若干睨まれ、落ち着きがない。文芽は笑う。


「睨んですいません。いや、美砂子が変な奴に二股掛けられてたからね。私は美砂子の親友の戸松文芽です」


 文芽は丁寧に挨拶をした。

 名字が変わっていない。もしかしたら、文芽は結婚せずに、シングルマザーとして由利亜を育てのだろうか。


「でも、良かった。真面目な人っぽくて」


 文芽は安心した表情を浮かべる。美砂子は文芽に和義が認められたと思い、嬉しそうにした。


「ありがとう、文芽」

「一時はどうなるかと。でも、美砂子を支えてくれてありがとう」


 文芽は和義に頭を下げる。和義は慌てた。


「いや、その。こちらこそですよ。実は俺も美砂子さんと出会う前に振られてて。付き合ってた人じゃなくて、ずっと片想いで」


 和義は少しだけ恥ずかしそうに言った。文芽は微笑む。


「じゃあ、神様が引き合わせてくれたんだね」


 文芽は二人を見て言った。


「そうかもね」


 美砂子は嬉しそうだった。三人を取り巻く空気は和やかになっていった。

 

 特に大きな事件もなく、平凡に時間が過ぎていく。


 本来ならこれが普通だ。大きな事件が起きて、大変なことになる。

 私はこれまで、何かの事件に巻き込まれたものを見すぎていた。


 だからこそ、今見えている思い出に安心した。

 けれど、それはつかの間の瞬間だった。私の願いは最初から届かない。


 思い出は容赦なく切り替わった。



トパーズの憂鬱 (中) 10 了

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