アメジストの涙 (下) 3


 楠田が水山に包丁で向かう。

 動きは早い。水山は避ける。水山は楠田の包丁を持っている手を掴む。

 確か、楠田は携帯ナイフを持っていたはず。

 私は楠田を見る。


楠田は私に気がついたのか、ニヤリと笑う。

 楠田はポケットをわざとらしく触る。その挑発は何かを企んでいるようにも見えた。


「先生、楠田がポケットから携帯ナイフを出します」



 私は大声で言った。楠田は悪態を着く。

 水山は楠田から包丁を奪い、人のいない方の遠くに投げる。

 水山は楠田を殴った。楠田はよろける。


 水山は楠田のポケットから携帯ナイフを奪う。

 水山は楠田の襟を掴みながら言う。


「どうして、こんなことをした?」

「……先公には解らねぇよ。くそが」


 楠田は戦意を失う。楠田はぼんやりと空を見る。

 私は恐る恐る、水山と楠田に近づく。楠田は私に気がつくと、笑みを浮かべる。


「っへへへへ。お前さ、お前は俺と同じだろう」


私は一瞬、何のことか解らなかった。楠田の持っていた包丁を触る。思い出が見えてきたのだった。


 楠田が空き家に潜んでいる場面だった。

 楠田は空き家の茂みに潜んでいる。鬱蒼とした茂みは隠れ家にぴったりだった。

 楠田の憎しみ、苦悩が私の中に流れてくる。楠田は呟く。


「どいつもこいつも俺を」


 楠田は携帯ナイフで地面を刺す。「クッソ」と言いながら、地面に唾を吐く。

 警察のパトカーがやってくる。


「っ!」


 警察官が空き家にやってくる。楠田は即座に塀に登る。

 楠田に気付いた警察官が言う。


「お前が楠田弘輝くすだこうきか?」

「だったら?どうだ?」

「大人しくこちらへ来い」


 警察官は楠田を睨む。楠田は鼻で笑う。


「ここに通報したやつって川本か?」

「そんなのは知らない。いいから来なさい」


  楠田は警察官を無視し、塀から降りる。

 他の警察官が楠田に向かう。

警察官の攻撃を軽々しく避け、逃げた。楠田は電信柱に触る。

その瞬間、楠田はにやけた。


「川本ちゃん。お前も俺と一緒だね」


私は動悸が起こった。楠田弘輝は、私と同じ【物に触れると過去が見える】。



そこで思い出は見えなくなった。私は楠田を睨む。

楠田は笑い転げる。

水山は楠田と私を交互に見た。

楠田が言う。


「なぁ。お前も苦しかったよなぁ。見えるって」

「何のこと?」


 私はしらを切る。楠田は更に大声で笑う。


「あはははは。せいぜい、人の為にってか川本ちゃん。あー面白っ」

「楠田、いい加減にしろ」


 水山が言った。楠田は水山を見る。楠田は笑う。


「先生みたいな人間には何も解らない」

「お前に何があったか知らない。けどな、人に当たるのは大間違いだ」

「説教ならムショで聞く。熱血先生ー!」


 楠田はへらへらとした表情を浮かべる。


 パトカーの音が響き、警察官が乗り込んできた。


「動くな。楠田弘輝くすだこうき。お前を住居侵入および強盗殺人、殺人罪で逮捕する」


 警察官は水山と楠田を引き離した。

 刑事が楠田に手錠をする。私と水山は事情聴取を受けるため、パトカーに乗った。


 パトカーに乗ると、私と水山は隣に座る。水山が私を見た。


「なぁ。川本、楠田が可笑しなこと言ってたけど」

「先生、世の中には知らないほうがいいことが沢山あります」


私は静かに言った。水山は何のことか解らない表情を浮かべる。私は続けて言う。


「知らないほうが良かった。そう思うことが沢山ありました」

「それは川本がこれまで人を避けてきた理由なのか」


水山は真剣な顔で言った。私は首を縦に振る。水山が言う。


「そうか。何か解らない。けど、川本を思ってくれる人は沢山いるぞ」

「ありがとうございます」


 私は静かに言った。水山は深くは追及して来なかった。

 多分、触れてはいけないことだと思ったのだろう。

 私はその気遣いがうれしくなった。

 何も喋ることがなくなり、水山も気を遣い静かになった。


楠田は何故、間違った方向に行ってしまったのだろう。

 パトカーの中で私は思った。【物に触れると過去が見える】能力は幸福も不幸ももたらす。


その能力を生かすも殺すも、自分次第。

 私は自分の中で問う。その能力を生かすべきだ。警察署に向かうパトカーの車内の窓をぼんやり見た。


その後、私と水山は警察署で事情聴取を受け、解放されたのは、午後11時すぎだった。


 私の両親は連絡を受け、すぐに警察署に来る。

 特に母親の由希子は、私を心配していた。


「あんたは本当、無茶を」


 私を見て、泣きながら私を抱き締めた。


「ごめんね。お母さん」


 父親の十次郎も安心した様子だった。

 加奈子は私の勇敢な姿に感動しているようだった。


「まさかリカコちゃんまで行くとは思わなかったよ。恭一。リカコちゃんに助けられたんでしょう」

「まあ、何か楠田がナイフを出すだのとか。ありがとうな、川本」

「いいえ。先生も本当にお疲れ様でした」

 

 水山は穏やかな表情で笑った。

その後、楠田が逮捕されたことは、大々的に報道された。


楠田に刺されたのは全員で4人。

いずれも若い女性だった。重症を負ったものの、一命を取り留めた。


楠田の生い立ちから、江波親子を襲い、スーパーでの襲撃までをマスコミは報道した。

楠田の生い立ちは壮絶なものだった。


楠田弘輝くすだこうきを生んだ母親は男を作り家出。父親は完全に育児放棄。

父親は楠田を自分の兄に預ける。

つまり、楠田にとっての叔父だ。

そこで楠田は疎外されていた。マスコミはそこをクローズした。


楠田を預けていた叔父がインタビューを受けた。


【あいつは気味の悪い子だ。いつか何かやると思ってた】


インタビュアーが質問する。


『貴方は関係ないのですか?』


【私たちは他人だ。関係ない】


そのVTRを見たテレビのコメンテーターは不愉快な表情を浮かべた。

世論も楠田の生い立ちに同情的だった。


楠田は犯行動機を一切、黙秘した。

少年犯罪心理学者は、【自分の存在を肯定してくれない周りと思春期特有の何者でもない自分への鬱憤】と分析。


私は楠田が犯罪に手を染めたのは、【物に触れると過去が見える】が大きな引き金となったと思えた。


本当の親が自分を捨てたことを見てしまったのだろう。

更には人の嫌な部分まで見てしまった。

何を信じて何を生き甲斐にすればいいのか。


そこである時、楠田は江波えなみ梨々香りりかが実父から虐待を受けていることを知った。

同じ仲間だと楠田は思ったのだろう。


孤独な楠田は、江波に近づく。けれど、江波はそれを拒否。


ヤケクソになった楠田は、江波を襲おうとしたのだろう。

何もかもめちゃくちゃになり、スーパーで襲撃。


私は楠田の行動を勝手に推測した。全ては解らない。

おおよそはそんな感じだろう。


私は楠田を憐れに思った。

もし、違う人たちに出会っていたら?

楠田は違った行動に出ただろう。


もやもやとした気分になり、私は少年院送りになった楠田の更正を願った。


楠田の事件から、学校にマスコミが殺到したのは言うまでもなかった。

安全のため、引き続き、学校側は生徒及び、保護者にマスコミの取材を受けないようにと注意喚起ちゅういかんきがされた。注意喚起をしてもそれを破る人はいた。


楠田のフルネームはネット上に上がり、野次馬が学校にしばらくはびこった。

幸い、私のこと、江波と水山のことまでは流出することは無かった。


楠田は精神鑑定の末、責任能力があると認定された。

楠田の精神は錯乱さくらんしている様子もなく、正常であると認定。

少年院に二年の後、少年刑務所に送致されるらしい。

何年か後には社会に復帰しているだろう。私は、その時に楠田が【物に触れると過去が見える】能力を乗り越えることを願った。


その後、江波の意識は戻った。

中学の卒業式には間に合わなかったが、卒業後に退院したことを笹山幾子から聞いた。

退院後、事件のトラウマから、祖父の三島重雄と共に県外に引っ越したらしい。

その知らせのハガキを高校二年の時に貰った。


あれから13年が経過した今でも江波とはやり取りをしている。


元気でやっているだろうか。あの時の決意を私は決して忘れないだろう。

私は店を閉める準備を始めた。


準備を始めた際、一人のお客さんが来た。その人は杖を突いていた。


「すいません。もう終わりなんで」


私はその人の顔を見た。その人は私の顔を見て笑う。

「川本さん」

「もしかして、江波さん?」


江波は首を縦に振った。江波は昔と変わらなかった。

ただ違うのは、足を悪くしていたことだけだ。

江波は刺されたことで、足を悪くした。


「元気そうだね」

「うん。江波さんも。良かったら入って」

「うん。ありがとう」


私は江波を店の中に招き入れた。

その後、私と江波は昔の話や、これまであったことの話に花を咲かせた。江波は結婚し、幸せにやっているようだった。結婚の報告を私に直接したかったらしい。

私は江波が幸せそうで、心の底から嬉しくなった。


「もう江波さんじゃなくて、津山さんだね」

「うん。でも、名前で呼んでほしい」

江波は結婚して津山つやま梨々香りりかになった。津山は笑う。


「わかった。梨々香さん。そうだ。レプリカのアメジストのネックレスはどうしている?」

「あれ、実はまだ持っているの」

「え!!!」

私は驚いた。


「だってそれが私とリカコを結びつけてくれたから」


梨々香の表情は穏やかだった。

「なんか恥ずかしくなってくるね」

「フフフフフ」

「あ、そうだ。私が渡したのはレプリカだけど、アメジストには癒しの効果や、マイナスのエネルギーをプラスに変える力があるんだよ」


私はアメジストの効力を思い出した。

もしかしたら、このレプリカのアメジストのネックレスが力くれたのじゃないかと思えてきた。


「そっか。じゃあ、感謝しないとね。今持ってきているよ」

「うそ!マジで!」

「うん、見る?」

「見る!」

梨々香は嬉しそうに自分のカバンからアメジストのネックレスを出すのだった。



アメジストの涙 (下)3(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る