アメジストの涙 (中) 3
学校のチャイムが鳴り、生徒たちは各々に自身の席に着いた。
教室に担任の水山が入ってくる。水山の表情は強張っていた。
「皆、おはよう。もう知っていると思うけど、江波さんが入院中だ。回復を祈るばかりだが。お見舞いに関してはご家族に迷惑が掛かる。行かないように」
生徒たちは水山の言葉に、ざわつく。女子生徒が言う。
「先生、私たちは、江波さんのために出来ることないですか?」
「うーん。回復を祈ることしかできない。それだけだ。あと、マスコミ等々が学校にも来ている。金銭を渡してきて取材が来るだろう。決して受けないように」
水山はマスコミの注意喚起をしてきた。そういえば、ここに来る前、「江波がどんな生徒」かを聞いている人がいた。恐らく、それらのことだろう。
「じゃあ。折鶴作るのはどうですか?一人、一匹です」
同じ女子生徒が言った。他の生徒が言う。
「えー。それって意味なくない?気休めじゃん」
「そんなことないよ」
「おーい。静かに。とにかく、今は静かにしておくこと。もし、江波に何か渡したいものがあったら先生のとこまで持ってくるように」
水山は騒ぐ生徒を
ホームルームが終わり、一日の授業が始まった。
クラス内は特に問題もなく過ごしていた。
しかし、休憩時間中、他のクラスの生徒が江波のことを探ってきていた。
野次馬に対して、応対する人までいた。
事件に巻き込まれると、人権が無くなる。
このことをまじまじと感じた。
被害者の情報がクローズされすぎる。
私はテレビの報道は見ていないが、その様子だと刺された江波と母親のことが洗いざらいされているだろうと予測ができた。
休憩時間中、笹山は私の元に来た。
「やっぱ嫌な感じする。さらし者にされているみたい」
「そうだね」
私はクラスメイトが、他のクラスの生徒に江波のことを話している様子を見る。
「……梨々香、本当に大丈夫かな」
「祈るしかないよ」
私は笹山の目を見て言った。笹山は涙目だった。
こうして、一日の授業が終わり、私と笹山は職員室に向かう。
水山は自分の机で、何やら資料を作成していた。
「先生。すいません」私は水山に声を掛けた。
「おう。どうした。川本と笹山」
水山は私が笹山と一緒にいるのを珍しがった。
「あの、梨々香の入院先、教えてください」
笹山は緊張しながら言った。水山は苦い表情を浮かべる。
「ごめんな、それは教えられない。笹山がいくら、江波の友達だったとしてもだ」
「どうしてですか?」
笹山は引き下がらない。
「どうしてもだ。解るだろう?マスコミ等々が学校に集まっている。入院先がわかってしまえば、更に集まってくるだろう。そこに生徒を向かわせるわけにはいかない」
笹山は水山の言い分がわかり、唇をかみ締めた。
「どうしてもですか?」
笹山は再び言った。
「私からもお願いします」
私は頭を下げた。水山は驚いてる。
私が普段から、人と関わらない上に一生懸命になっているからだろう。
「おいおい。頭上げてくれ。お願いだ。先生も気持ち解る。だから、江波に伝えたいことや渡したいものがあったら俺に託してくれ」
水山は譲らなかった。私は最終手段に出る。
今こそが【物に触れると過去が見える】能力の使い時だと思った。私は、水山を見る。
「どうした?」
水山は聞く。
「なんでもないです」と答えると、おもむろに水山の机のペンたてを触った。
触った瞬間にゆっくりと見えてくる。
水山が朝、出勤し、この机で作業をしているところだ。
学年主任が水山の机に近づいてくる。
「水山先生、江波さんが大変なことになりましたね」
「ええ。本当に。数日前に虐待が発覚し、お母さんと供に実家から通っていたので。大丈夫かと思っていたのでしたが」
水山は責任を感じているようだった。学年主任が言う。
「家族の問題ですから。教師がどこまで出来るかも難しいですよね」
「そうですね。とかく言う私もあまり父とは。すいません」
水山は自分の父親との折り合いが合わないことも、江波に対する同情心が増していたようだ。
「入院先の連絡が入ったんですが、水山先生はお聞きになられました?」
「入院先はまだ教えてもらっていないです」
「解りました。では、お教えしますので、メモいいですか?」
「解りました」
水山はメモ帳を取り出し、ペン立てからペンを取り出す。
「C区5丁目3-11 笹島病院 」
学年主任が言った。
「C区5丁目3-11 笹島病院と」
「あ。あと、マスコミに知られないようにしてくださいね」
「解りました」
水山はそのメモをカバンに仕舞った。学年主任が水山の肩を軽く叩く。
「請け負って早々に、こんなことになって水山先生も大変でしょう。何か困ったことがあったら私含め、ベテラン方を頼ってください」
「すいません。ありがとうございます」
水山は頭を下げた。
そこで思い出は見えなくなった。私は江波の入院している病院の住所を暗記した。
【C区5丁目3-11 笹島病院】。
私はペン立てから手を離す。水山はその様子に驚く。
「え?どうしたの?」
「なんでもないです。ただ。私もこのペン立て使っていて、お揃いだなと」
「そうか。これ、ユニーバスジャパンで買ったのだよ」
水山は自分との共通点に少し喜んでいた。
「へぇ。そうなんですね」
私は買ったときの思い出ではなく、丁度、江波の入院先を知る場面の思い出が見えて幸運だと思った。
もしかして、次にこれを触ったら、それを買ったときの思い出が見えるのだろうか。
私はふと思った。
笹山は私の行動をきょとんとした顔で見ていた。
「川本さんって急に何かするから驚くよ。私」
笹山が言った。
「そんな急かな?」
「急だよ。ねぇ、先生?」
笹山は水山に同意を求めた。
「そうだな。突然だし、笹山や江波とも急に仲良くなっているから俺、驚いているよ」
「え?あーえっと」
私は何を言えばいいか解らなくなった。
その様子を笹山と水山は笑う。
「川本さん、本当、不思議。でも、私、川本さんが居てくれてよかった」
私はその言葉に嬉しくなった。
「え?あ、ありがとう」
「良かったな。川本」
水山は私に微笑んだ。私は恥ずかしくなり、どうしていいか解らなくなった。
「とにかく、先生、無理言ってすいませんでした」
笹山は頭を下げた。私もそれに
「おう。頭上げろ。解ってくれればいい。明日もな」
「はい。先生」
笹山は元気に返事をした。私と笹山は職員室を出た。
職員室を出て数歩行ったところで、私は笹山に言う。
「入院先、先生は教えてくれなかったね」
「うん。でも、仕方ないよね」
笹山はしょんぼりした声色で言った。
私は先ほど、見えたことをどのように言えばいいか考える。笹山が言う。
「梨々香は、水山先生が好きなのだけど、先生って彼女いるのかな」
「彼女か」
私は美術の時間の際に見えた水山の彼女、加奈子のことを思い出した。
「きっと彼女いるよね。だって大人だし。私たちは子供だから」
「そうだね」
彼女のことは、正直に言うべきじゃないと思った。黙っておくべきなのかもしれない。
けれど、笹山と供に笹島病院へは行くべきだと思った。
「あの。あのさ、江波さんの入院している病院さ、解ったのだけど」
「え??どうやって?うそ?」
笹山は驚いている。きっとどうやって知ったのかと思ったのだろう。
私は適当に嘘を
「えっと。先生の机の上にあるの見ちゃって」
「え?あったの?どこに?入院している病院は?」
笹山は私の肩を掴む。興奮しているようだ。
「えーと、ちらっと見えて。その。病院の名前は笹島病院で、住所がC区の5丁目3-11」
「おお、凄い。ありがとう!じゃあ、一緒にこれから行こう」
「ただ、マスコミに勘着かれないようにしないと」
「そうだね。どうしようか?一回、家に帰って着替えてから駅で待ち合わそうか?」
笹山は頭をかく。私は笹山の提案が最良だと思った。
「解った。笹島病院だと、藤駅が近いよね。今の時間は16:34だね」
私は時間を確認するために校舎内の時計を見る。笹山は首を縦にふった。
「じゃあ、藤駅で17:00は大丈夫?かなり時間ないけど」
「了解。速攻で帰るわ。じゃあ。後で」
笹山は急ぎ足で、校舎を出て行った。私はこの後が無事であることを祈った。
朝は冷静に辺りを見れなかったが、今、校舎を見ると、夕方の時間でも学校関係者でないような人が校舎の前に数人いた。
私は校舎の窓から覗く。恐らく、全校生徒に「取材を受けないように」と注意喚起がされているものの、それを破る人がいる。取材を受けている生徒がいた。
私はため息を着く。自分も声を掛けられても逃げ切る方法を考えた。
校舎を出るときに、全力疾走してた。声を掛けてきていたのは解ったが、走る速さについていけず、諦めたようだ。私は安心する。
無事に家に帰ると、母親の由希子が私を心配した。
「大丈夫だった?」
「うん。なんとか」
「そう。本当気の毒だったね」
私は母親の言葉に無言で頷いた。
「あの。江波さんの入院している病院に行くことにしたから」
「大丈夫なの?」
「うん。場所解ったし」
「そう。じゃあ、気をつけてね。何か遭ったらすぐに連絡しないさいね」
「わかった」
私は急いで二階の自分の部屋に向かうと、制服から私服に着替えた。髪を整え、頭には帽子を被る。口にはマスクをした。
「行ってきます」と声を掛け、家を出た。
市内で起こった江波家の事件は、少しばかり騒ぎにはなっていた。
ざわついている空気を感じる。私は何かに触って余計なものを見たくない。
神経を尖らせ、藤駅に向かった。
途中にある花屋で、私はお見舞いの花束を急いで購入した。藤駅には既に笹山がいた。
笹山は私を見つけると嬉しそうに近寄ってくる。
「川本さん。予定より早く着いてさ。行こう!」
「うん。行こう」
笹山は私の手を握った。私は突然のことで、少し驚く。
笹山はそんなことはお構いなしに、手を引っ張った。券売機の前に行くと、笹山が言う。
「ここの藤駅から、野海駅まで220円だね。私が出すよ。川本さんはいいよ」
「え。そんなの困るよ。自分の分は自分で出すよ」
私は拒否した。笹山は譲らなかった。
「いいの。いいの。私の友達を助けてくれるから」
笹山は発券機で二人分の乗車券を購入した。その内の一枚を私に渡してくる。
「あ。ありがとう」
私は受け取った。
「どういたしまして」と笹山は言いながら笑った。
電車は待ち時間も無く、すぐにやってきた。私と笹山は一緒に座る。笹山は嬉しそうだった。
「ねぇ。川本さんは、何人家族なの?」
「私と両親の三人家族だよ」
私は電車内の椅子になるべく手を触れないように座った。笹山はそれを見つめた。
「へぇ。そうなんだ。私はね、四人家族だよ。私と両親と、弟。弟が生意気でさ」
「知らなかった」
私は先日見た笹山の思い出から、家族構成を知っていた。
けれど、初めて知ったふりをした。
「ねぇ。川本さんは
「潔癖?うーん。どうして?」
「ほら、だって極力、物に触れないようにしているよね?」
「ああ、そっか。うーん。そうかもしれないね」
私は本当のことを言うわけにもいかず、潔癖症だということにした。
「そっか。色々大変なんだね」
「うん。ま、気になるって言えば気なるかな」
私は笑顔で言った。私と笹山は、野海駅に着くまでの間、他愛のない会話をして過ごした。
笹山は、本当に良く笑う元気な人だった。江波のことを本当に心配していた。
私は江波の回復を心から願う。
更に、これから見る江波に起こった出来事を冷静に受け入れなくてはいけない。
そう思うと、少し震えた。
野海駅に行くと、
築30年くらいの建物で、来年には立て直しの計画が入っているらしい。
玄関にはその旨を伝える文面が書かれた看板があった。
笹島病院の前には、どこからか聞きつけたマスコミが数人いた。
その内の一人が私と笹山に気付く。
「ねぇ。君たちは、
私と笹山は顔を合わせる。笹山が言う。
「あなたには関係ないですよね?」
笹山は睨む。笹山の凄みに、マスコミの人は
「すいません」
「では、急いでいるので」
笹山は強い口調で言うと、私の手を引っ張った。
そのまま、一目散に笹島病院の受付に向かった。
受付に向かっている最中、笹山が言う。
「マスコミってどうやって
「多分、もらす人がいるからじゃないかな」
「そうだよね。お金に目がくらんで」
笹山は嫌悪感を示す。私も笹山の言葉に共感した。
私と笹山は笹島病院の受付に着く。
「
私は病院の窓口で言った。受付の看護師が申し訳なさそうに言う。
「申し訳ございません。只今集中治療室です。そして、ご遺族の許可がないと」
「そうですか」
笹山は残念そうな顔をした。私と笹山は成す術が無かった。
看護師の女性が言う。
「案内することは出来ませんが、もし、江波さんに何か渡したいものがあったら預かります」
「そうですか。じゃあ、この手紙を渡していただけますか?」
笹山は手紙を看護師に渡す。私はここに来る前に買った花束を渡した。
私たちが受付で看護師とやり取りしていると、年配の男性がやってきた。
「すいません。あの、売店はどこにありますか?」
「あ。三島さん。売店は二階の奥になります」
看護師が案内した。私は【三島】と聞き、江波の祖父の名前が【三島】だったことを思い出す。確か
「あの。初めまして、三島重雄さんですか?」
「え?そうだけど。何かな?」
やはり、江波の祖父の三島重雄だった。三島は優しそうなおじいさんだった。
よく見ると、少し江波にも似ている気がした。
アメジストの涙(中)3(了)
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