アメジストの涙 (上) 2

江波の無事を願っても虚しい。江波の父親が、手を出さない補償がないからだ。

あの一瞬だけ見えた江波の父親は鬼のようだ。

明日は、アメジストのレプリカのネックレスを渡すついでに話してみよう。

私は心の中で誓った。


私は自分の部屋に戻り、江波から貰った包み箱を意を決して触る。

何も見えなかった。少し安心する。

一度見えたら、二度は見えないのだろうか。


法則があるのかも解らない。もう一度見たいと思ったら、もしかしたら、見えるのかもしれない。

包み箱を開けると、入っていたのはビーズで出来たバッチだった。


丁寧に作られており、黄色のビーズで綺麗に向日葵ひまわりが作られていた。

繊細で壊れそうな造りは江波自身の心情が表れているようにも思えてくる。

私はそれをカバンに付けた。

母親から貰ったアメジストのレプリカのネックレスが入った包み箱をカバンに入れた。


次の日、私はいつも通り学校に行く。江波はお休みだった。

江波は体調を崩しているらしい。

私は本当に調子が悪くて休んでいるのだろうかと心配になった。

放課後、私は江波と仲の良い生徒のささやまいくに意を決して話し掛ける。


「ねぇ。あのさ、突然なのだけど、江波さんのご住所って解る?」



私に突然、話掛けられた笹山は驚く。私をじっと見つめる。


梨々香りりかの?川本さんって梨々香りりかと仲良かったっけ?」


笹山は私を不思議そうに見る。


「いや、その。渡さないといけないものがあって」

「そうなの。ああ、じゃあ、梨々香にこれ返しておいて」


笹山は江波のノートを渡してきた。


「今日の分のも書いておいたし、あと別紙に今日の分のノート書いたからコレも」

「うん。解った」

「で、住所だけど……」


私は江波のノートと、笹山の書いたメモを触った途端にまた見えてきたのだ。

つくづく、この能力がこの時はいまいましく感じた。


映し出されたのは、笹山の家での出来事が映し出された。

笹山の家族は父親、母親、弟がいるらしい。

笹山は部屋で勉強している。そこに母親がやってきた。


「勉強頑張っているわね。これお茶ね」

「うん。ありがとう」


母親はお茶を笹山の机に置く。笹山は素っ気ない応対だ。


「これ、友達の江波さんのノート?」

「うん。そうだよ。凄いよね」

「本当、凄いわね。解りやすいし、見やすいわ」


母親は江波のノートをめる。笹山はそれを少し悔しそうに見えていた。


「……私には……出来ない」

「うーん。家の家系だと無理かもねぇ」


母親は笹山の心折るかのように言った。笹山は唇をゆがませた。

母親はその様子に気づいていない。こうやって親が子供の可能性を潰している。

笹山の心情が流れてくる。

ふつふつと芽生えてくるさいしんが苦しくなってきた。


「ごめん。お母さん、ちょっと集中したいから」

「あ。ごめんね。でも、頑張ってね。母さん応援しているから」


母親は笹山の部屋から出て行く。

母親が戸を閉めた後、笹山は大きなため息をつく。

笹山は小さく「うるさいなぁ」とつぶやいた。



笹山は江波とツーショットの写真を引き出しから取り出す。

すると、写真をハサミで切り始めた。


「アンタと仲良くしているのは、自分が先公から目をつけられないためだよ」

とぶつぶつとつぶやいている。


私が見たくなかったのはこれだ。


表向きは仲良しのふり、裏側では仲良くない。

けれど、笹山の場合、少しだけ可哀相にも思えた。

 笹山はハサミで写真を切った後、泣き始めた。

自分のやっていることに罪悪感を感じたのだろう。


きっと笹山にとって江波は憧れの存在で、大事な友達なのだろう。

それと同時にさいしんを抱いてしまう相手なのだろう。

胸が苦しくなった。けれど、これは誰しも持っている感情にも思えた。


思い出はそこで見えなくなった。私は笹山を見る。

住所を言ってくれていたが、メモを取り忘れた。


「メモしてないじゃん!」

「あ、ごめんなさい。ぼけっとしちゃって」

「もう。川本さん、しっかりして!住所はA区5丁目の3-2だよ」


笹山は少し怒り口調で言った。私はメモを取る。


「ごめん。ごめん。笹山さんにとって江波さんは大事な友達なんだね」


笹山は少し照れた。少し早口で言う。


「なに?急に。そうだけど。ま、私も心配だったし。でも、梨々香りりかから絶対に家には来ないでって言われているから」

「そうなの?」

「うん。来たら絶交するとか言われてさ」


恐らく、江波は笹山に自身が虐待されていることを知られたくないのだろう。



「そうか。解った」

「うん、お願いね」

「ありがとう。じゃあ、また明日ね」

「うん。川本さん」


私と笹山は別れた。私はメモを確認する。5丁目ならば、学校からは近い。

大きい本屋さんの隣を過ぎて、3、4軒目だろうか。

中学生のころは、スマートフォンが無かった。

道すがらの地図を確認しながら行く。

5丁目は立派な住宅が並んでいる町内だった。


比較的新しい家が並んでいる。私は【江波】という名札の家を探す。

順に探していくと、【江波 Enami】という名札の家を見つけた。

その家は大きめで、広い庭のある和風の家だった。

インターフォンから、思い出が見えないことを願った。【見えるな】と心の中で願う。

私はインターフォンを押す。私の願いが通じたのか、思い出は見えなかった。


しばらくすると、江波の母親が出る。


『はい』

「あの、梨々香りりかさんと同じクラスの川本リカコです」

『学校のお友達?わざわざありがとう。あがってちょうだい

江波の母親は鍵をかいじょうした。

江波の母親は家の戸を開けて、出てきた。江波の母親は私を見ると微笑んだ。


「川本さん、ありがとうね」

「いえ。突然、来てしまってすいません」

「梨々香もきっと喜ぶわ」


江波の母親にうながされながら、家の中に入った。

家の中は、外装通りの家だった。壁には書家が書いた言葉が飾ってある。

和風の上品な家。そんな印象だった。


江波の母親は、私を居間に案内した。

私は正座をして座る。江波の母親が言う。


「今からお茶を持ってくるから、待っていてね」

「なんか、すいません。あの、これ笹山さんから江波さんのノートと、今日の分の授業のメモ。あと、私から先日のプレゼントのお返しです」

私はカバンから江波のノート、授業のメモ、包み箱を江波の母親に渡す。

江波の母親は微笑む。


「ありがとう。川本さん。梨々香りりか、川本さんと話しできたの喜んでいたよ」

「そうなんですね。あの、梨々香さんの調子はどうですか?」

「少し無理をしてしまって、熱を出していたの」

私は熱を出して休んでいたのかと安心した。


「無理ですか」

「まあ、うちの人がね」

「ただいま」

玄関のほうで声がした。その声の主は、江波の父親だ。

江波の父親は不機嫌そうに居間にやってくる。江波の母親は顔をこわらせる。


「ごめんなさいね。川本さん」

 江波の母親は緊張し始める。その様子はひしひしと伝わった。


「いや、こちらこそ急に来てすいません」


江波の父親は私に気づくと、一瞬鋭い視線を向けるも、表情を変えた。


梨々香りりかのお友達?わざわざ家の娘のためにありがとうね」


江波の父親は張り付いたような笑顔で言った。私は少し寒気がする。


「あ、あの。こちらもお世話になってまして。梨々香さん、とても優しくて」

「へぇ。そうですか。それは有難うございます。自慢の娘ですよ」


私は江波の父親の威圧感に息苦しくなった。江波の父親が言う。


「あの、お名前は何ておっしゃるのですか?」

「私は川本リカコといいます」

「そうですか。梨々香とこれからも仲良くしてやってください」


江波の父親は頭を下げる。私は慌てた。


「江波さんのお父さん、頭を上げてください」

「あ、それはそうと母さん、川本さんにお菓子出してあげたのか?」

「すいません。ただいま


江波の母親は急いでお茶の用意をしている。江波の父親はていしゅかんぱくであり、自分の思い通りに人を操りたいのだろう。私は恐くなってきた。


江波の母親は、紅茶とクッキーを机に置く。


「どうぞ。川本さん」

「ありがとうございます。頂きます」


私は紅茶の入ったティーカップを持つ。思い出が見えてこないことを願った。

さっき願えば見えなかった。それにならう。



見えるな。見えるなと念じた。幸い見えることはなく、少し安心する。


「川本さんのご両親は何をやっていますか?」

江波の父親は私に興味を示している。恐らく、探りを入れているのだろう。


「私の両親は、宝石の買取販売をしています」

「へぇ。じゃあ、結構お金持ちなほうだね」


江波の父親は紅茶を飲む。私をジロリと見る。

その視線は突き刺さるように感じる。


「いや、特に金持ちではないです」

「そうか。いずれはそれを継ぐつもりなのかな?」

「今はまだ考えてなくて……」


私は目を反らし、小さく言った。


「そうか。けれど、十五歳なら進路とか考えるよね。うちの娘には公務員に成ることにしているんですよ。公務員なら不況になってもやっていけますからね」



江波の父親は私を値踏みしているように見えた。自分の子供に相応ふさわしい友達かいなかを見ている。江波が笹山に【家に行ったら絶交】というのは、友達が値踏みされる危険性を懸念してのことだったのだろう。

私は早くこの家を出たいと思った。


「そうですね。私も真剣に考えないと。あの、今日は有難うございました。帰りますね。梨々香さんに『プレゼントありがとう』とお伝えください」

「いいや、こちらこそ有難う。梨々香の貴重な話を聞けてよかったよ」

「では、これで」



私は立ち上がる拍子に、机を触ってしまった。

自分の迂闊さを呪う。その途端、思い出がゆっくりと見えてきてしまった。


ゆっくりと写し出されたのは、昨日の食事の後の場面。

江波は両親との食事が終わり、居間でくつろいでいた。

江波の父親が言う。


「さっき勉強せずに、何を作っていた?」

「と……友達に渡すビーズでバッチ作っていたの」


江波は緊張した面持ちで言った。江波の母親は心配そうに見つめる。



「……そうか。今度の模試、成績悪かったら、解っているな」

「……はい」


重たい空気が居間をおおっている。私は苦しくなってきた。この後、最悪なことが起きなければいい。その願いは虚しく終わる。


「あ、あと。お前は担任の水山みずやま恭一きょういちと言う男を気に入ってるようだな?」


江波の父親は睨むように言った。


「……どうして」


江波は青ざめる。江波は震えて、湯飲みを落とす。湯飲みのお茶が飛び散る。江波はそれを慌てて拭いた。


「教師が若いからってうつつを抜かすな!それだから、勉強に支障が出る」


江波の父親は江波の胸ぐらを掴む。

江波の母親が「止めてください。お父さん」と言ったが、江波の父親は無視する。

江波の父親は、左手を突き上げ、江波の頬を平手打した。


「っ痛。殴る必要ないじゃん。先生と成績は関係ない!」

「私に口答えするのか!誰に食わせてもらっている」


江波の父親は更に、江波を殴ろうとする。


それを江波の母親が止める為に江波の父親の腕をとるが、振り払われる。江波の母親は突き飛ばされ、壁に打ち付けられた。


江波の父親は江波に蹴りを入れる。江波はぐったりとしてしまった。

私は苦しくなり、すぐに机から手を放した。


「あの。梨々香りりかさんに会わせて下さい」


私はゆっくりと、江波の父親と母親に向かって言った。江波の父親は一瞬、眉をひそめた。


「風邪が感染うつると大変なので、会わせられません。ごめんなさいね」


江波の父親は威圧的な空気を醸し出しながら、ゆっくり言った。私は少し怯む。江波の母親は焦っている。



「どうしても、どうしても駄目なんですか?」

「それは駄目なものは駄目だよ、川本さん。ごめんね」


江波の父親は譲らない。私は江波が本当に熱を出して休んだわけではないと確信した。

ここで、私がぐずると、江波が大変なことになると思った。


「変なこと言ってすいません。私はこれで」

「これからも、梨々香と仲良くしてくださいね」


江波の父親は微笑みながら言った。江波の母親は心配そうに私と江波の父親を見た。

私は嫌な気分の中、江波の家を出た。


江波を救うにはどうしたら、いいのだろうか。

私は家に帰る道の中、それをずっと考えた。


家に帰ると、母親の由希子が私を心配した。


「ねぇ。江波さん家から電話があったんだけど」

「電話?」


私は驚いた。直感的に江波の父親が私の家に電話をしてきたと思った。

先ほどのことが気に入らなかったのだろう。


「江波さんのお父さんから……もう家に来ないでくれって」

「………」


私は唇を噛み締める。母親は私の顔を覗き込む。


「なにが何が遭ったの?」

「……実は。その」

「ねぇ、もしかして、【物に触れると過去が見える】ことが原因?」


母親は恐る恐る聞く。

私はうなづいた。母親は青ざめる。


「江波さんの家庭事情を見てしまって……」

「家庭事情って?」

「あの、その江波さんがお父さんから虐待されているというか」

「虐待。うそ、そんな酷い」


母親は目を丸くし、動揺している。母親の動揺は大きく、落ち着きをなくしていた。


「うん。見えてしまって……どうしたらいい?」

「どうしたら。そうね。児童相談所に連絡しないと」


母親はタウンページを開いた。


「リカコ、それはどれだけ見えたの?」

「模試の成績が悪くて殴っていたり、先生への好意を咎められて体を蹴られていた……今日休んでいるのも虐待っぽい」


私は思い出すだけでも辛くなった。

母親は児童相談所のページを見つけると、私に見せる。


「これ。今すぐに架けたほうがいい?」


私は戸惑とまどう。今通報すれば、確実に児童相談員が江波の家に来るだろう。

その時、江波の父親は虐待の事実を完全否定してくるに決まっている。その後は?その後の江波はどうなる?


「他に救う方法は無いよね?お母さん」

「……そうね。私も初めてのことで戸惑ってる。でも、その子は今、どうしているの?」

「さっき江波さん家で見えたのは、今日、学校を休む前の晩のことだったの。夕食後、顔を殴られ、体を蹴られていた。で、私が江波さんに会いたいと申し出たら断られたから」


母親はその話を真剣に聞き、苦痛の表情を浮かべる。


「じゃあ、やっぱ行政に任すしか」

「……だよね」


私と母親はしばらく、考え込む。母親は言う。


「解った。いざとなったらお母さんも協力するよ。何が出来るか、解らないけど」

「ありがとう」

「じゃあ、今から連絡するね」


母親は、江波家のことを児童相談所に通告した。


その晩、私は江波のことで頭がいっぱいだった。

江波は無事なのだろうか。怪我も、どの程度しているのか。

その晩は気になり過ぎて、中々、寝付けなかった。


アメジストの涙(上)2(了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る