アメジストの涙(上)1 (1)
人は生きていく内に、様々なものを抱えていく。
私はいつものように川本宝飾店を開店した。
平穏に過ごせることだけでも、本当は幸せだ。
ただ私に課せられた【物に触れると過去が見える】能力は、神様からの授かり物だったのかもしれない。
知りたくない観たくない。
耳を塞ぎ、心を閉じたくなることもあった。
それでも、私は見続けることをあの時、誓った。
あれは中学三年生のときだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
13年前。
私は市内の中学に通っていた。
【物に触れると過去が見える】能力は、その頃、自分でコントロール出来なかった。触れば触るほど見える。
だからこそ、自分を悪く言う人のことも解った。
昨日までは「また遊ぼうね」と明るく言っていたのに、家では私のことを「暗くて陰気」と悪口を言っている。
それが解った私は、人と積極的に関わるのを止めていた。
いつしかクラスでは孤立し、単独で動いていた。
いじめに似たこともあったが、私が無反応で何もしなかったら何時しかなくなった。
私はつまらない毎日をひたすらやり過ごした。
授業中の発言以外は、学校では喋らない。
そんなことはざらだった。
そんな時だ。担任の
その代わりに
「本日から、産休の加山先生に代わりました。水山恭一です。よろしくお願いいたします」
水山は25歳の若い先生だった。
身長があり、クラスの女子生徒は誰しも水山にちやほやした。
私は勿論のこと、水山に気を掛けることはなかった。
うっかり触って嫌なものを見たくないと思っていたからだ。
その為、私がクラスで孤立していることには何も気に留めなかった。
けれど、
かつての学校ドラマの【金八先生】に憧れているらしく、熱血教師になりたいようだ。
ある時のことだ。
「今から、好きなように友達同士で互いの似顔絵を描いて下さい」
という提案をしてきた。
私は勿論のこと、友達がいない。
だから、自分の似顔を自分で描こうとしていた。
そんな時、水山は私に話しかけてきた。
「川本は誰か一緒にやる子いないの?」
「……はい。けど、別にいいので」
私は水山と目を合わせずに言った。
水山は私を気にかけて言う。
「そうか。だったら、俺を描いてくれよ。俺は川本を描くよ」
「いや、いいです」
「そんなこと言うなよ」
水山は私の肩に触れた。
水山は自分の持っているスケッチブックを私に渡してくる。
私のスケッチブックと交換した。
私は水山のスケッチブックに触れてしまった。
するとその思い出が見えてきた。
触ってしまったと後悔は遅く、思い出は見えてくる。
ゆっくりと映し出される。
その場面は、水山はここに来る前の出来事か。
この中学校に加山先生の代わりに赴任することが決定して、水山が喜んでいる。
「聞いてくれ。
「そうなの。念願だね。おめでとう」
「でも、期間だけどな」
水山は加奈子という彼女と一緒に話をしている。部屋は水山の部屋らしかった。
「これでお父さんを納得させられるわね」
「ああ。そうだ」
水山は希望に満ち溢れている。その様子を加奈子は幸せそうに見ていた。
水山はそれほど、教員に憧れていたのだろう。
思い出は再び、切り替わった。
今度はこのクラスの担任になって、生徒の状況を把握したぐらいの場面だ。
水山は悩んでいる。何を悩んでいるのだろうか。
「どうしたの?恭一」加奈子は心配そうに見る。
「実は、うちのクラスの生徒で一人、孤立している子がいてさ」
恐らく私のことだろう。水山は私のことを気にかけている。正直、気にかけなくてもいいのにと思った。
「そうなの?でも、その子だって色々、事情があるかもしれないじゃない?」
「そうかもしれないけど。何か、人関わることに消極的になりすぎているというか」
水山は沈んだ顔で言った。
私は確かに、人と関わることに消極的だ。
それは、嫌な過去を見たくなかったからだ。普通の人には見えない過去。
それを見たくなかったからだ。
私は水山から渡されたスケッチブックを返す。
「あの。私、自分のスケッチブックに先生の顔描きますね」
「え。ああ」
水山はスケッチブックを返され、落ち込んでいるように見えた。
「あの。スケッチブック、自分のやつのほうが描きやすいので」
スケッチブックを返したことについて弁解しておいた。
「そ。そうか。じゃあ、頑張って描こうな」
水山は拒否されたわけではないことに安心したようだ。
水山と私は互いの似顔絵を描く。
似顔絵は中々、描くのが難しい。輪郭やその人の特徴を捉える。
絵が描きなれていないと、似顔を描くのは難しい。
私は苦戦しながらも水山の絵を描いた。
水山も私の絵を描き上げた。
「出来ました」
「こっちもできたよ」
私は水山を描いたスケッチブックのページを破って、水山に渡す。
水山はそれを受け取る。
水山も自身のスケッチブックから、私を書いたページを破り、私に渡してきた。
「よく出来ているじゃん」
水山は嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。先生もかなり上手いですね」
水山が描いた私の似顔絵は白黒写真のような絵だった。画力は相当なものだ。
「ああ、昔は漫画家を目指したこともあったんだよ」
「そうなんですね」
私は水山が私を描いたスケッチブックのページを触る。
そこから再び、過去が見えてきた。 もう見えなくていいのに、見えてくる。
この能力がうざったく思えた。
今度は水山が両親と食事をしながら話している場面だ。
「恭一。教師生活はどう?順調?」
水山の父親が言った。水山の父親は頑固そうな雰囲気だ。
「ああ。上手くやれているよ」
「お前が堅実的な道を選んでくれてよかったよ」
水山の父親は自分の息子を誇らしく思っていた。水山の母親も嬉しそうだ。
「確かに教師は楽しい。でも、俺さ。やっぱ漫画家の夢、諦めきれない」
「まだそんな
父親は椅子から立ち上がると、水山の
「寝言じゃない。俺は本気だ。現に高校生の時から投稿していた」
「高校生の時から投稿して何年経過しているんだ?受賞もしていないじゃないか!」
父親は水山を批判した。水山は涙を流す。
「確かに十年近い。でも、俺は」
「またそんな寝言を言っていたら、
父親は水山を睨む。母親が言う。
「お父さん。そんな風に言わなくも」
「そうやって夢を追いかけてダメだったらどうするんだ?俺は知っているんだぞ。夢破れた後が悲惨なほうが多いって」
「そんなの父さんの独断と偏見だろう!」
水山は反論した。水山は父親を睨む。父親は水山を睨み返しながら言う。
「私の友人に、夢を追いかけて破れたやつがいる。その後、どうなったかは知らないが。でも、非現実的な夢を追うより、現実的な夢を追うほうがいいに決まっている」
水山の父親は苦い表情を浮かべる。
「けれど、一度もチャレンジせずに【あの時、目指していれば】と思うより、やってみて駄目だったほうがより後悔がないと俺は思うよ」
水山は屈することなく反論した。 水山は続けて言う。
「父さんだってないの?」
「私にはそんなものはない」
水山の父親は水山を遮断するように言った。
食卓の沈黙が続く。 水山はため息をつく。
「教師は続けるよ。ただ漫画はこれからもやっていく」
水山は啖呵を切った。水山の決意は相当なものに見えた。
思い出はそこで見えなくなった。
***********************************
私は水山が描いてくれた私の似顔絵を机に置く。
水山が言う。
「川本は将来の夢、あるか?」
「夢ですか。考えたこともないです」
私にはそれを考える余裕がなかった。
黙り混んでいると、水山が言う。
「今は無くても、これから先、見つけたら早々には答えを出さないでほしい」
私は水山を見つめた。
水山の言っていることは、実体験からなのだろう。夢を追うのはリスクが伴う。
「解りました。先生」
私は水山に向かって頷いた。水山は嬉しそうだった。
「川本はてっきり俺を嫌ってるかと思ったよ」
「いいえ。単に人が苦手なので」
「そうか。苦手か」
「はい」
「苦手を克服するのは難しいが、何かあったらいつでも相談乗るよ」
水山は明るく言った。水山の明るさに少しだけ、眩しく感じた。
きっと、水山には裏表がないのだろう。
直感的にそう思えた。
私は視線を感じる。どうやら、私と水山がやり取りしているのを女子生徒が見ているらしい。
なんとなく、面倒なことに成らなければいい。
そう思ったが、私の願いは通じなかった。
その日、家に帰ると、母親の由希子が嬉しそうに私に話しかけてきた。
「リカコ、あんた友達出来たんだね!小学生以来じゃない?」
「友達?」
「何とぼけているの?同じクラスの
母親は嬉しそうにした。
クラスメイトであり、クラスを仕切っている生徒だ。クラスの中でも可愛い部類に入る。
なぜ、その生徒が私に電話を寄越したのだろうか。
おおよそ見当がつくのは、水山の関係だろう。
「江波さんね。解った。電話するよ」
私は連絡網を確認し、江波に電話を架ける 。親しくないただのクラスメイトに電話を架けるのは、気が引ける。
「江波さんのご自宅ですか?クラスメイトの川本リカコです」
私は江波の自宅に電話を架けた。出たのは、江波梨々香だった。
「川本さん?私!電話ありがとう」
「江波さん、どうしたの?」
私は江波と
急に電話を架けてきたのは水山のことだろうか。
「私、全然、川本さんと話したことなかったからね」
「そうですね」
私は何を言えばいいか、解らなかった。
「今日、先生と絵描いてたよね?」
江波の目的は、やはり水山のことだったようだ。私は隠さず言う。
「うん。何か先生が気を遣ってくれてね。絵を描いてくれた」
「そうなんだ。へー」
「何か先生は、漫画家目指していたこともあるらしい」
「そうなんだ!知らなかったー!教えてくれて、ありがとう」
江波は明るい声で言った。
江波は余程、水山が好きなのだろう。水山に加奈子という彼女がいることは隠しておこうと思った。
「うん。じゃあ、またね」
「あの、もし、何か先生のこと知ってたら教えてね!」
「いいけど、私は多分、先生とはあまり話さないと思う」
「えー。どうして?」
「いやぁ、何となく」
説明する気はなかった。
言ったところで、面倒になるからだ。
「そっかぁ。まあ、川本さんにこれまで何があったか解らない。けど、水山先生は悪い先生じゃないと思うよ」
私は水山の性格を知らない。
けれど、【物に触れると過去が見える】のは他の人の嫌なものを見るはめになる。それを避けたかった。
「うん。ありがとう」
私は電話を一方的に切った。
私は電話機を見つめた。
江波は悪い人じゃないと思う。
けれど、関わるのは止めようと思った。
それから次の日、水山は私を気に掛けた。朝の時間、校門は交代制で先生が見守る。
その日は水山だった。
朝の校門で私を見つけると、挨拶をしてきた。
「おはよう。川本」
「おはようございます。先生」
私は早口で水山を通りすぎる。
他の生徒は水山の前で立ち止まり、しっかり挨拶をしていた。
後ろで私のことを言っている声が聞こえてくる。
「何で川本なんか気にかけているんだろうね」
「さぁ。美術のとき、先生に描いてもらってたよね」
「ずるいよね」
勝手に嫉妬されても困る。私は単純にそう思った。とにかく何も反応しないのが一番いい。
足早に教室に向かう。自分の席を確認すると、一目散に座る。
辺りを見ると、今度は江波が来た。
「ねぇ、おはよう!」
「え!あ、おはよう」
江波が私に話しかけたことで皆が驚いている。
「昨日はありがとうね」
「別に何もしてないし」
「先生のこと、知れたからさ」
「そうなの」
私は目を合わさずに江波に向かって言った。江波は私の顔を
「何?」
「川本さんって結構可愛いね」
「え?」
突然の言葉に私は動揺した。江波は笑うと、鞄から何かを取り出す。それは何かの包み箱だった。
「これ、あげる」
「え?いいよ」
「いいから!」
「あ、ありがとう」
私は拒否をするのも酷いと思い、受け取った。触った瞬間に、思い出が見えてくる。
ゆっくりとスクリーンに写し出されるように見えてくる。
江波の家の様子だ。江波は三人家族らしい。
食事を三人でしている場面だった。
「今日ね、学校でさ絵を描く時間あったの」
江波が嬉しそうに話す。それを江波の父親は睨む。
「絵なんて描かずに勉強したらどうだ」
「お父さん、何もそんな言い方しなくても!」
江波の母親が言った。父親が更に言う。
「大体、この前の模試の結果はどうだ?成績下がってたじゃないか!」
「ごめんなさい」
江波は涙目で謝罪した。父親は苛立ち、椅子から立ち上がる。
父親は江波の頬を数回殴る。
「っ痛」
「これ以上痛くなりたくないなら、さっさと勉強しろ!」
父親は烈火のごとく、怒った。
「お父さん、いつもやりすぎですよ!」
母親は父親の腕を掴み、抗議した。父親は母親をにらむ。
「うるさい!お前は責任取れるのか!」
「お母さん、もういいよ。私が悪いんだし」
江波は涙を流しながら、自分の部屋に戻っていく。
江波は泣いている。私は言葉を失う。
江波は泣きながら、水山の写真を見ている。きっと、江波にとって水山が心の支えになっているのだろう。
そこで思い出は見えなくなった。私は包み箱から手を離す。江波が私を見る。
「どうしたの?」
私は江波の腕にある
「いや、あの、その江波さん、その傷は?」
「えーあーちょっとね」
江波はそれを隠す。
「そう。そっか」
「ごめん、友達のとこ行ってくる」
「うん」
江波は父親から虐待をされているのだろう。腕の
私はどうするべきか。江波の相談に乗るべきなのか。
それとも。私は重苦しい気分の中、その日をやり過ごした。
私は家に帰ってからも、江波が気になった。
学校での江波は、絶対にそんな雰囲気を出さない。
江波は先生たちからの評判が良く、模範生徒と呼ばれるくらいだ。
江波はきっと、そうやって自分の弱さを見せないでいるのだろう。
夕飯の際もそのことで頭がいっぱいだった。
「どうしたの?いつもより疲れた顔しているよ?」
母親の由希子が言う。
「いや。なんというか」
「やっぱ【物に触れると過去が見える】のってコントロールできていない?」
母親は私を気遣った。
「うーん。そうだね。易々と見れてしまって。見てはいけないものまで見えて。正直、辛いよ」
母親は涙目になっている。父親の十次郎も申し訳なさそうな顔をした。
「私はお前の気持ちを解ってあげられないけれど、何かあったらいつでも、私や母さんに言いなさい」
父親は私に向かって言った。父親の優しい眼差しは心が暖かくなった。
「うん。お父さん、ありがとう」
「学校では上手くやれているの?」
母親は心配している。心配はかけたくないが、嘘をつくのも気が引けた。
「うーん。一人が楽だからね」
「この前の江波さんとはどう?」
「何ていえばいいかな。何か包み箱貰っちゃって。お返しないと」
母親は安心したようだ。安心し、穏やかな表情になる。
「そう。仲良くなったのね。あ、そうだ。だったら、若い人向けにモニター商品のネックレスが家に納品されたの。それをプレゼントしたらどうかしら?アメジストのレプリカのネックレスよ」
「いいの?」
「いいわよ。リカコの友達だしね。後で渡すわ」
「ありがとう」
私は少しだけ気持ちが楽になった。
江波が家で、何事もなく過ごしていることをただ願った。
アメジストの涙 (上) 1 (了)
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