アクアマリンのため息 (下)
人の思いは簡単に割り切れない。
簡単に嫌いになれたら、どんなに楽だろう。
一方通行で上手くいかない。それも恋というものだろう。
私はふと思った。思い出はそんな私の思いを乗せ、切り替わった。
季節が変わり、冬のようだ。具体的に何月か解らないが、年の瀬に近いらしい。
井川と
「敬子がね、今度、スキー行こうっていっていてさ」
「スキーか。俺、全然出来ないよ」
「水泳できるなら、出来るよ!」
井川は楽しそうに友達の敬子の話をしている。真学はそれをただ聞いていた。
「あ、そうだ。クリスマスどうする?」
「……うーん。どこか行きたいか?」
「私は、真学と一緒に過ごせるだけでいいよ」
井川は真学に微笑んだ。真学は微笑み返すと、真顔になった。井川は心配する。
「どうしたの?」
「実は」
真学の話によると、真央が仕事の関係で来年の三月からシンガポールに行くことになったらしい。
それに真理子が着いていくのか、行かないのかで二人が揉めているそうだ。
真理子も仕事をしており、やっと一人前と認められたところらしい。
真央は「真理子についてきて欲しい」と懇願したが、真理子は「遠距離でも大丈夫
」と言い張っていた。
「そっか。それは大変だね」
「兄貴が折れればいいのに。真理子さんには真理子さんなりの理由だってあるのにな。ま、俺には関係ないけど」
真学は関係ないと言っているものの、大分、気になっている。
井川はそれが解り、苦しくなった。まだ真理子が好きなのだろう。
「お兄さんは何を心配しているのだろうね」
「さぁ。遠距離になっても別れない人たちだっているのに」
真学はコーヒーを飲む。井川は真学の顔を見る。
井川は、お兄さんの心配は真学に真理子さんを取られるのじゃないかと思った。
そう思えても仕方ないのだろう。
真央は真学が真理子のことが好きだと知っている。私は直感的に思った。
苦い思い出の場面から、再び、切り替わる。
雨が降っている。何が遭ったのだろうか。
本降りの雨は激しく、視界が見にくい。
雨が降る中、真理子が走っている。
それを真学が追いかけている。
何となくの想像だが、真央が真理子に酷いことを言ったのかもしれない。
やっと追いついた真学が真理子の腕を掴む。
「何が遭ったんですか?」
「真学くんには関係ないよ」
真理子は目に掛かる雨を手の甲で拭う。
「関係ない。そうかもしれません。兄貴は真理子さんが思っている以上に真理子さんのこと思っていますよ」
「うるさいなぁ。解っているよ、そんなの。放っておいて!」
真理子の表情は悲痛なものだった。涙なのか、雨なのか解らないが顔は濡れている。
「じゃあ、そんな顔しないでください」
「は?関係ないでしょう!
「俺が真理子さんを好きだからです。だから、真理子さんには笑っていてほしい」
真学は自分の想いを真理子にぶつけてしまった。
真学は真理子を抱きしめる。真理子は突然すぎて、状況を理解できない。
私はこの場面がなぜ、見えたのかと思った。
見える思い出は、持ち主のもの。
じゃあ、この場面を井川は見ていたのだろう。
車線の向こう側に井川は居た。
井川は傘を落とし、車線反対側の二人を見つめる。
二人は井川に気づいていない。
真理子はすぐさま、真学を引き離す。
「解っているの?私は真央の奥さんだよ?」
「解ってます。けれど、ずっと思っていました。この想いをどうにかする気はないです。俺は井川と別れます」
真学は真理子の目を離さない。その目はまっすぐで、迷いが無かった。
「私は真央と別れないよ」
「それでいいです。俺はそれを望んでいたのだから。兄貴のとこに戻りましょう」
真学は真理子の手を引く。真理子は少し、顔が赤くなっている。
井川はただ、その光景を見つめるだけだった。
井川の頬からは涙が
これで二人の関係は終わったのか。
真学は真理子に想いを告白した。
その想いがどうなったか。行方は解らないだろう。
井川は大丈夫なのか。私は心配になってきた。
真学は井川への気持ちが湧くことがなかった。最初から最後まで真理子が好きだった。
私は何とも言えない気分になる。
それでも思い出は見えてくる。
思い出は切り替わった。
年明けの三が日だろうか。初詣に井川と真学が行っている。
沢山の人がいる中、真学は井川をエスコートした。
二人の関係は修復出来たのだろうか。 私は少しだけ安心した。
けれど、その安心はすぐに崩壊する。
井川と真学は、賽銭箱にお金を入れ、祈願した。
目を瞑り。何を願ったのだろうか。
その後、二人は出店で焼き芋を購入し、公園で食べている。
「今年もいいことあるといいね」
「そうだな」
井川は真学を見る。真学は微笑む。
井川の様子に異変はない。ただ何か諦めのような空気が漂う。
「ねぇ。真学はさ、私のこと好き?」
「好き?ってそりゃあ、付き合っているからな」
「そう。ありがとう」
井川の目は潤んでいる。真学は動揺した。
真学は井川の涙の理由が解らない。
「何?俺、何かした?」
「心あたりないよね。真学はまだ真理子さんのことが好きなんでしょう」
真学は何も言えなくなった。図星だから否定が出来ない。
告白の瞬間を見た井川。目撃されたことを知らない真学。
井川は真学を見つめた。
「否定しないってことは……そうだよね」
「………ああ」
私は真学があまりにも酷い気がしてきた。
好きでもない人と付き合う。真学にとって、井川の存在はどんなものだったのか。
けれど、自分の気持ちに嘘はつけない。
あの告白や、それまでを思えば、真学の気持ちが変わることなどないように思える。
「………もう、疲れちゃった」
「……ごめん」
「真学が真理子さんのこと好きでいいって思っていたけど、思ったより結構辛かった」
「……本当、ごめん」
真学は井川を見つめる。井川は涙目で言う。
「さようなら」
井川は
真学はそれを追いかけるわけでもなく、井川は走っていく。
井川の指にはアクアマリンの指輪は無い。
井川はしばらく走った後、立ち止まる。
井川はポケットに入れたアクアマリンの指輪を触った。
こうして、井川と真学は終わった。
真学は真理子への思いをどうしたのだろうか。
最初から、真学は真理子への思いを断ち切ることは出来なかった。
私はやるせない思いを抱いた。
思い出はここで、見えなくなった。本当に終わった。
それから井川は留学を決めて、真学を完全に忘れようと思ったのだろうか。
私はアクアマリンの指輪から手を離す。
南海が私を見る。
「鑑定どうなります?」
「そうですね。結構使用した感じがあります。けれど、丁寧に扱っていたのではないかと思いました。ブランド品でもないので、時価は一万円弱くらいですか。買取になりますと、そうですね。2,000円くらいになります」
「そうなのですね」
私は丁寧に指輪を指輪箱に入れる。
上手くいかない恋のほうが多い。両思いの奇跡は簡単に起きない。だからこそ、色々な感情を知ることが出来るのかもしれない。
南海が言う。
「川本さんは、過去が見えるって本当なのですか?」
「ええ。そうですけど」
「やはり、そうなんですね。素晴らしい」
南海は私の手を取り、感激する。私は戸惑う。
「見えるだけで、何も出来ないですけどね」
「そうですか。で。来美はどんな男と付き合っていたんですか?」
南海は乗り出すように私に向かって言った。余程、気になっているのか興奮気味だ。
「どんなって。言っていいものかどうか」
「そうですよね。来美も隠したいですよね。けど、俺は来美を傷つけたやつが許せなくって」
「許せないですか。でも、井川さんとその彼氏さんの個人間の問題ですよ?」
南海にとって井川は大切な幼馴染だったのだろう。けれど、井川が真学と別れてしまったのは二人の問題だ。
「でも、こっ酷く振ったみたいな感じがするのです」
「どうして、そう思うのですか?」
「それは
やはり、井川にとって真学に振られたことは大きいことだったのだろう。
胸が苦しくなる。
恐らく真学の恋も上手くはいっていない気がする。
真理子が真央と離婚するようにも思えないからだ。真理子の性格を知らないが、真学からの告白を受け入れているようにも見えなかった。
「そうでしたか。でも、相手がどんな人だったか、私からは教えられません」
「解りました。じゃあ、せめて、どうして来美は振られたのですか?」
「振られた。井川さんは相手に好きな人がいるのを承知で付き合ったらしいのです。その相手も叶わない恋をしていたようで」
南海は私の話を真剣に聞いている。
「叶わない恋?」
「叶わない恋です。自分の兄の奥さんに恋をしてしまったようで。井川さんの元彼は自身の兄の奥さんを海で助けたことがあって。それを奥さんは兄が助けた思ったことがあったり。それを言えずにずっと思っていたようで」
「そんなことが……っうっ」
南海は涙を流し始めた。涙もろいようだ。
どんな人にも思い出はある。良い思い出も、悪い思い出も。ただこの恋が、井川にとって良いものであったと思いたい。
「恐らくですが、元彼さんが【アクアマリン】を選んだのも井川さんの誕生石であったこともありますが、「アクアマリンが海に投げ入れると瞬時に溶け込んでしまう」といわれています。これは、井川さんが好きな【人魚姫】が泡になって消えてしまうことに架けていたのもあるのでしょう」
「そうですね。
「二人とも結局は、叶わない恋を人魚姫のようにしていたのでしょう」
「……ぅううう。切ないです。俺はそういう恋をしたことないので、うらやましいです」
南海はかなり感激と悲しみで、涙をポロポロと流す。少し大げさにも思えた。
「そうですね。自分の思いを犠牲にして、相手の幸せを思う。中々、出来ることじゃないですよね」
「はい。俺は……俺は川本さんとそういう恋愛したいです」
「え?」
「ダメですか?」
「ダメですか?と言われましても………ちょっとすいません。突然すぎて」
私は突然すぎて、後ろに下がる。南海は真剣なようだ。私の様子に微笑んだ。
「すいません。友達からですよね。ま、また来ます!」
南海は慌てて、指輪を置いて慌てて出て行った。
「あ。ちょっと指輪っ!行っちゃったよ……」
私は指輪の入っている箱を見つめた。
私がこの指輪から見えた全ての人が幸せであることを、心から願った。
この指輪から見えた人々に会うことはない。それでも願わずにはいられない。
私は今日の営業を終了しようと思った。
閉店の看板を取り出し、シャッターを閉める。商品の管理、今日の売り上げを確認した。
片づけが終わると、私は店に鍵を掛けて買い物に出かけることにした。
川本宝飾店は商店街の中にある。 私は商店街を歩く。
特に変わり栄えもなく、平穏な空気が流れている。私はなんだか落ち着く。
二人のカップルの声が聞こえる。
「ねぇ。ちょっとこれ、美味しそうじゃない?」
「え?どれどれ。おお、いいね。入ろう」
「今日は甘いもの沢山食べたい!」
「おいおい、妊娠したからって食べ過ぎるなよ」
どうやら、このカップルは新婚のようだ。幸せなカップルに私は微笑ましくなった。
女性は妊娠しているようだ。新しい生命の誕生は喜びに溢れている。
「真央。絶対、この子、真学みたいな子にしようね」
私はカップルに振り向く。二人は真央と真理子だった。二人の会話に聞き耳を立てる。
当たり前だが、私は二人を知っているが、二人は知らない。
「ああ。アイツが俺たちを守ってくれなかったら俺たちは」
真央が言った。真学は死んだ?
どうして死んだのだろうか。私は歩く二人の後ろを着いていく。
「そうだよね」
「俺はアイツにコンプレックスがあった」
「二人は外見が似てるからね」
「だから、真理子が取られるんじゃないかって」
私はその先が気になったが、これ以上付きまとうのも怪しまれると思った。
私は咄嗟に偶然ぶつかったように真理子に軽く触れてみようと考えた。
「真央。私は」
真理子が何かを言っている最中に私はわざと軽くぶつかるついでに触る。
「あ。すいません」
「いいえ」
私は真理子にぶつかった途端に見えた。それははっきりと見えてくる。
もくもくと煙が上がっている。真理子は咳き込んだ。視界は悪い。燃え盛る紅色、黄色。有害な煙が舞っている。火事だ。廣崎家が燃えていた。
「ゴホゴホ」
「真理子っ大丈夫か!」
逃げ場を失った真理子に真央が近づく。
「うん。何とか」
「あっちにはもう火が着ている。どうしたらいい?」
「とにかく消防が来るまでの辛抱だ」
火の気は上がり、家の中は火の海だ。
二人は姿勢を低くし、一酸化炭素を吸わないようにしている。
じりじりと火の気が近づく。
「おい!二人とも大丈夫か?」
真学が二人のもとにやってくる。助けに来たようだ。
「何とか」
真央が返事をした。
「こっちへ。二人とも早く」
真学は二人を誘導する。火の気を避け、階段を降りていく。
燃え盛る火は弱まることなどなく、火の粉にまみれた家の柱が倒れそうになっている。
その柱が真央と真理子に落ちてきそうになる。
「危ない」
真学は二人を押し、自分が下敷きになり、犠牲になった。
私は思わず心臓が止まる気がした。
「真学!!!おい、真学!」
「っ。俺のことはいいから、二人とも逃…げろ」
「いやぁああああああ」
思い出はそこで見えなくなった。
私は涙があふれてきた。真学は死んだのだろう。
その火事で二人の犠牲になって死んでしまった。
私が泣いているのに気づいた真理子が言う。
「あの。大丈夫ですか?どこか痛いのですか?」
「あ。いえ。すいません。悲しいことを思い出しまして」
私は涙を拭う。真理子は私の背中をそっと触る。真央が言う。
「悲しいことか。そういうときは泣くのがいいよ。俺もさ、弟を亡くしてしばらく苦しかった。弟は俺の犠牲になったんだ。最後までアイツは」
真央は涙が出そうになるのをこらえた。真央は少しだけ震えていた。
「そうなんですね」
「ああ。でもさ、真理子が妊娠した。コイツを弟だと思うことにしたんだ」
真央は真理子のほうを見た。真理子の微笑は美しいものだった。
「そうなの。真学くんの生まれ変わり」
真理子は嬉しそうな顔で言った。その表情はさっき見た思い出よりも、素敵な顔だった。
「ま。そんなすぐに生まれ変われるか解らないけど。そう思っています」
「そうなんですね。何かすいません」
「いいえ。では」
真央と真理子は行ってしまった。
私は二人の後ろ姿を見つめる。
盗み見てしまったのに、二人は丁寧に私を励ました。
二人の心の広さに私は感激した。
真学は本当に人魚姫のように、自分を犠牲にした。
好きな人のために死ねた真学は幸せだったのかもしれない。
アクアマリンのため息 (下)(了)
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