アクアマリンのため息(中)

私の期待を乗せて、思い出は切り替わる。

私の思いが通じたのか、場面は真学まなぶの母親の誕生パーティーだった。


「今日はありがとうね。私のために」


真学の母親が言った。真学の母親は、穏やかで優しそうだ。

今でも年相応の綺麗さはあるものの、昔は綺麗だったろう雰囲気がある。

名前は真紀子まきこというらしい。


「真理子さんも、忙しいのにありがとうね」

「いえ。おさん。プロジェクトが一段落したので大丈夫です」


真理子の外見は、とても繊細で丁寧な雰囲気だった。儚く美しい。

一目惚れはないかもしれないが、仕草が綺麗だった。


「しかも、真学が彼女を家に連れてくるとはね」


真学の母、真紀子は井川を見て、嬉しいそうにする。

真学は少し恥ずかしそうだ。真学の兄らしい人が笑う。


「真学って、愛想悪いくせにムッツリだよな」

「止めてくれ兄貴」


真学の兄は、真学をからかった。真学の兄は、真学と同じくらいたんせいな外見をしていた。

体格なども真学と同じ。けれど、少し大人びていた。

明るく包容力のありそうな雰囲気だ。


井川はその様子を嬉しいそうに見る。真理子もその様子を微笑ましく見た。


がわくるちゃんだよね? 俺は真学の兄で、っていいます。真学は何を考えているやつか解らないけど、仲良くしてやってくれ」

「はい。こちらこそ宜しくお願い致します」


井川は頭を下げた。真央は慌てる。


「そんなかしこまらなくていいよ!」

「なんか緊張しちゃって」


井川は照れていた。真央は井川を宥める。


「ま、解るよ。恋人の家族に会うっていうのは。あ、そうそう。真理子は来美ちゃんに会うのは、二度目だよね?」


真央は真理子を見る。真理子は井川の緊張を和らげるように微笑む。


「うん。そうだよ。来美さん、改めて宜しくです」

「はい!」


井川は力んでしまった。私は井川の空回りぶりに少し心配になった。この先は大丈夫なのだろうか。


「まあ、堅苦しい挨拶は終わりにして、お食事にしましょう!今日はお寿司と、オードブルを用意しました!楽しく食べましょう!」


真紀子は皆に食事するように促した。


「いただきます」と各々に言い、食事を始める。

真学の名字は【ひろさき】というらしい。誕生パーティーは、廣崎家でやっていた。広い一軒家で、綺麗だった。


真学たちの父は仕事で不在らしい。

誕生パーティーは、母の真紀子、真央、真理子、真学、井川の四人で行っていた。

真紀子は活発な人らしく、自身の趣味の話を始める。


「実は、昔、水泳やっていたのよ」

「そうなんですね。だから、真央も真学くんも水泳が得意なんですね」


真理子が言った。真理子と井川は、その話を興味津々に聞く。


「だから、私は真学が水泳選手になってくれて凄く嬉しいのよ。自慢の息子よ。井川さん、真学をよろしくね」

「あ、はい」


井川は小さく頭を下げる。真紀子は真学を溺愛しているように見えた。


「母さん、プレッシャー掛けるなよ」


真学は真紀子を見る。真紀子は真学を睨む。


「真学。井川さんを大切にしているの?」

「うるさいなぁ」

「真学くんはとても素敵で、私には申し分ないです」


井川は真紀子に向かって言った。真紀子は感激する。


「本当にありがとう。この子、水泳は得意だけど、感情を表に出すのが苦手だからね」


真紀子は井川の手を取り、感謝した。井川は驚く。


「母さん、ちょい落ち着けよ。来美ちゃん引いてるよ」


真央は真紀子を注意した。真紀子は真央に向かって言う。


「だって、真学は真央と違って、コミュニケーションがあれだから。友達少ないし」

「悪かったなぁ。母さんに心配かけて」


真学は憤慨する。井川は真学がいつもより、感情をぶつけているように見えて嬉しそうだ。


「ねぇ。真理子さんも驚いたよね?」


真紀子は真理子に話を振る。


「え。あ、そうですね。真学さんは無口なほうですけど、優しい人だと思います」


突然話を振られた真理子は動揺するも、当たり障りなく言った。

真学は少し照れているのか、落ち着きをなくす。

井川は真理子を見た。真理子は井川と目が合うと、微笑んだ。

何か妙な空気が流れているようにも思えた。その空気を察したのか、真央が言う。


「それはそうとさ、真学と来美ちゃんが付き合うに至ったきっかけは?」

「それ、私も知りたいわ!」


真紀子は身を乗り出すように興味津々だった。


「それ前に話さなかったか」


真学は少し照れている。井川は微笑ましくその様子を見つめた。真理子が言う。


「それって、もしかして、私と真央が結婚する前の学園祭ですか?」

「なんで、それを真理子さんが?」


真学は驚く。井川は顔をこわばらせた。何故、真理子さんが知っているのだろう。井川は真理子を見つめた。


「いや、その、結婚式のドレスの準備のときに、真央から聞いて」

「おいおい、兄貴!」

「わりぃ。だって、お前に彼女が出来たと思って。でも、あの時は付き合ってなかったんだろう?」


真央は頭を掻いた。真学はため息をつく。井川はその様子を見る。

井川は真学がまだ、真理子のことが好きなのだろうと思った。真紀子は井川のほうを向く。


「それじゃあ、1、2年くらいなのかしら?」

「そういうことになります。正確には、アンデルセン童話の【人魚姫】です。私はその話が好きで学校で本を借りてました。教室に忘れてしまって、それを真学さんが読んでいたんです。そこから共通の話題になって」


井川は思い出しながら言った。

井川が思い出している場面が、私の脳裏のうりに写し出される。

真学の姿は儚く美しく、井川はそれに心を奪われたのが解った。目が離せない。

井川の感情が流れてきた。井川の目を通して見えた真学との思い出は次のようなものだった。


井川と真学がアンデルセンの【人魚姫】の話をしている。

真学は人魚姫が、自分が王子様を助けたのに名乗り出ずに死ぬ。

このことをアンデルセンの自身の体験が入っていたのではないかと言っている。アンデルセンは同性愛者だったらしい。


「俺は同性愛者じゃないけれど、人魚姫みたいな出来事があったから人魚姫に共感する部分はある」

「ええ?海で溺れた人助けたの?凄いね!」


井川は真学の話を真剣に聞いている。


真学の話は、家族で海に旅行に行った際、真理子を助けたことだった。

けれど、真理子は、真央が助けたとずっと信じ続けているという。

この時からずっと、真学は真理子への思いを隠してきたのだろうか。


人魚姫のように好きな人の幸せのために、自分は身を引いた。

真学は辛くともその道を選んだのだろう。 私は胸が苦しくなる。


井川の話を聞いて、真紀子は感激する。


「ありがとう。そんなに真学のことを。母さん嬉しいよ」


真紀子は涙を流す。真紀子の様子に、井川が慌てる。真央は真紀子の涙もろさに少し呆れた。


「泣かないでください。私こそ、真学さんに出会えてうれしいです」

「母さんは真学のほうが大事なんだなぁ」


真央は冗談交じりに言った。 その言葉に真紀子は反応する。


「真央のことだって大切よ。ただ、真学は真央と違って非社交的だからね」


真学は「悪かったなぁ、非社交的で」とぶつりと言った。


「多分、お父さんに似たんじゃない。非社交的なのは」


真紀子は笑った。井川は真学の素顔が見れて、終始幸せそうだ。

私はこの先が上手くいくと思っていた。


誕生パーティーはどのくらいまでやったのだろうか。

昼の昼食を皆で食べて、デザートを食べている。

私はこの先が上手く行ってほしい。そう願った。

楽しい雰囲気の思い出を見ていたい。

そんな思いを無視するように、思い出は切り替わった。


切り替わった思い出は、誕生パーティーの片づけをしていた。

井川と真理子が台所の食器を洗って、片付けている。


「来美ちゃんはどこに住んでいるんだっけ?」


真理子が聞く。真理子は丁寧に食器を洗い、それを拭いた。


「三丁目です」

「そっか。じゃあ、私の実家と近いね」


井川は緊張している。真理子は緊張を和らげようと気を遣う。

井川は真理子にとって恋敵だ。苦しさがあるのだろう。

井川は何を言えばいいか、黙る。

真理子も何を話せばいいか解らず、共通の話題を探しているようだ。井川はその気遣いが解り、少し息を吸った。井川は意を決して言う。


「あの。私、真学さんからアクアマリンの指輪貰いました」

「そう。そうなの。へぇ」

「正式に付き合うことになって。私、ずっと片思いで」


私は井川を応援したくなった。井川は一生懸命、真学の彼女であることを宣言している。

真理子は少しだけ驚いていた。真理子は何を思っているのだろう。


「じゃあ、おめでとうだね」


真理子は笑顔で言った。


「あ、ありがとうございます」


空気が微妙になっている。そんな時だった。


「おーい。片付け終わった?」


真央が真紀子と共にやってきて、真理子に言った。


「あ、もう終わるよ。真央」

「今日はありがとうね。真理子さんも来美さんも」


真紀子が言った。井川は真紀子から名前で呼ばれたことに嬉しくなる。


「来美ちゃん。今日はありがとうね!真理子とも仲良くしてやってね」


真央が言った。真央の明るさは、雰囲気を変える。真央と真学、見た目は同じだが、全く性格が違う兄弟だと思えた。


「あ、はい」

「来美ちゃん、また一緒にお食事しましょうね!」


真理子は井川に笑いかけた。井川はぎこちなく返事をする。


「はい」

「真学はどこ行ったのか?」


真央が聞く。真央はきょろきょろと見渡す。


「あの、さっき、水泳のコーチから電話があるってちょっとベランダ行きましたよ」


井川はベランダのほうを見る。


「そうか。俺、ちょっと真学のとこ行ってくるわ」


真央は真学のいるベランダに向かう。


「もう夕方だし、今日はもうお開きにしましょうか」

真紀子が言った。

「はい。今日はありがとうございました」

井川が言った。

「真学に送らせようか?」

「いいですよ。真学さん、真央さんとお話しているみたいだし」

「そう。じゃあ、またね。また来てね」

「ありがとうございます」


真紀子の誕生パーティーは終わった。

私は真学と真央が何の話をしていたのか解らない。

好きになってはいけいない人を真学は好きになってしまった。

それを隠して、新しい恋に目を向けた。


そういえば、アクアマリンは「海に投げ入れると瞬時に溶け込んでしまう」といわれている。


まさに人魚姫のようだ。

真学が井川にこの指輪をプレゼントしたのは そんな意味が込められていたのだろうか。

あまりにも苦しく美しい恋を前に、私はこの先を見るのが恐くなった。

けれど、最後まで見ないといけないと思った。


アクアマリンのため息 (中) (了)








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