アクアマリンのため息(上)
幸福とは何だろうか。 幸福の感じ方は、人それぞれだ。
私はいつものようにお店を開ける。
午前中のお客さんの入りはいつもと変わらない。
一つ違うことは、先日の男性が再び来たことくらいだ。
男性の名前は、
「改めてよろしくお願いします!」
「あ、はい」
南海は明るい性格のように見えた。
「今日はどうしました?」
「今日は、友人に頼まれた宝石を買い取ってもらいたくて来ました!」
私は宝石受けを用意する。私は手に白い手袋を
「アクアマリンの指輪です」
南海は指輪が入っている箱を取り出し、蓋を開けた。
アクアマリンは、青色のベリル(緑柱石)で、3月の誕生石だ。
アクアマリンの意味は、ラテン語で【海水】。
海に投げ入れると瞬時に溶け込んでしまうと言われていた。
古いヨーロッパの船乗りたちは、この石を海の力を宿した御守りとして大切にしていたらしい。
南海はそれを私に差し向けた。私はそれを丁寧に箱から取り出す。南海が言う。
「これ、友人の
「そうなんですね」
私は指輪を触る。
思い出は映画館のスクリーンに写し出されるように見えてきた。
この指輪の持ち主、井川がゆっくり写し出された。
井川は女性で、黒髪の綺麗な人だった。
聡明な顔立ち、優しい雰囲気で私は何故か、安心した。
憶測に過ぎないが、何となく酷いことが起きない。そんな気がした。
アクアマリンの指輪は誕生日プレゼントらしい。
「お誕生日おめでとう。
「ありがとう」
やはり、指輪は特別な人へのプレゼントだ。
プレゼントしている男性の顔がゆっくりと写し出される。
男性は体格が良く、スポーツマンのように見えた。 日焼けで肌が褐色で健康的。
しかし、顔立ちは甘いマスクという表現が
正統派イケメンかもしれない。
井川はプレゼントを喜んでいるものの、何か違うことを思っているように思えた。
男性は井川に申し訳なさそうな顔をする。
「長いこと、
「いいよ、
男性の名前は真学。真学はなぜ、井川の告白を保留していたのか。
それは真学に他に好きな人がいたということだ。
それはとても複雑で、井川が心配になった。
「確かに俺は……。止めよう。俺さ、
真学は真剣だった。 その姿は美しく、儚いようにも見えた。 井川は涙を流す。
「ありがとう」
「俺がはめてあげるよ」
真学は箱から指輪を取り出し、井川の指に填めた。
井川は口に手を当てて、感激した。
これから二人が幸せに暮らす。そんな妄想を描いても指輪を預けられた時点で違うのだろう。
けれど、この指輪を井川は手放す。
私はこれからその原因を見ることになる。
思い出の途中で、私は指輪から手を離す。
南海が私を見る。
「どうしました?」
「やはり、川本さんって素敵だなと」
「え?」
私は恥ずかしくなった。
「何か、急にすいません」
「いいですよ。あの、井川さんは今どうしていらっしゃいますか?」
「井川と俺は、近所の幼なじみでして。彼女は何を考えているか、わからない子でね。今大学四年生で多分だけど、初めて出来た彼氏?からのプレゼントらしくて」
南海は井川を自身の妹のように話した。
南海と井川は、少し年の離れた気の触れた仲なのだろう。
「そうなんですね」
「
「そうですか」
「ええ。俺、驚いて。あの子はいつも、本ばかり読んでいて、恋愛には興味なさそうに見えていたのに。大人になったんだなと思いましたよ」
南海は【元彼から貰ったもの】という情報だけ知っているらしい。
「やはり、別れた?のですね?」
私は【別れているだろう】と解っていた。
あんなに井川は喜んでいたのに、別れるに至ったのは、真学が原因なのだろう。私は残念に思った。
「全然、元彼氏のことを言わないからどんな人か解らなくて。ただ、
「そうですか。それは少し、可哀相ですね」
「でしょう。でも、仕方ないですよね」
「そうですね」
私はとにかく、思い出のその先が気になった。
「じゃあ。ちょっと鑑定を続けていいですか?」
「ええ。どうぞ」
私は再び、アクアマリンの指輪に触れた。
再び思い出はゆっくりと、見えてきた。
今度は井川が
「真学?合宿どう?順調?」
「ああ。伊豆大島での合宿、ハードだけど何とか」
真学は伊豆大島で合宿しているらしい。何の合宿なのだろう。
体格が良かったから、何かのスポーツであることは確かだ。野球なのか。
「全国水泳の大会、頑張ってね」
「頑張るよ。頑張ったら、また何処か行こう!」
「うん。行く!」
井川は目を輝かせている。
真学は水泳の選手らしい。水泳の合宿をしていたようだ。
あのがっしりした体格は、水泳の全身運動によるものなのか。私は納得した。
「凄い喜んでいるなぁ。俺、プレッシャーだわ」
「そんな。プレッシャーなんて架けてないよ」
「あははは。じゃあ。また」
「うん。おやすみ」
時刻は夜の時間らしい。真学は電話を切って自分の部屋に戻ったようだ。
井川は真学との電話を夢心地で顔がにやけていた。
なんだか淡い少し恥ずかしい気分になってくる。
このまま、井川が上手くいけばいいのに。
何かがあってそれは終わることは決定的だ。
私はその最後を見ることが出来るのだろうか。
思い出を最後まで見るのが恐い。私はそんな思いを抱えたまま、思い出を見続ける。
切り替わった思い出は、井川が友達とカフェで談笑している場面だ。
夏の暑い日で井川はタオルで汗を拭っている。
友達はレモンスカッシュを飲んでいた。
「ねぇ。来美と真学くんってどこまでいっているの?」
「え。どこまでって?」
「もう。とぼけないでよ。したの?」
井川は唐突な質問に動揺をしている。ガールズトークをしているようだ。
「してないよ!」
「えー。してないの?」
「あ、当たり前じゃん」
井川は落ち着かせるために、水を飲む。友達は井川の顔を見た。
「真学くんって長いこと、他の人、好きだったんでしょう?」
「………うん」
井川の表情は憂鬱になっている。真学が井川の告白を保留していた原因の人だ。
「それってさ、誰だったの?」
友達は切り込んでくる。恐らく、井川と親友なのだろう。
「……お兄さんの奥さん」
私は衝撃を受けた。
真学はお兄さんの奥さんに恋をしてしまっていたのか。
それは辛い恋だろうと思った。
好きになった理由はわからないが、素敵な人なのかもしれない。
「えー!」
「ちょっ、声が大きいよ!シー!」
敬子の声で、カフェのお客さんが一斉に視線を向ける。敬子は目が合ったお客さんに少し頭を下げた。
「なんだかどこかのエ……ごめん」
「今、変なこと言おうとしたよね?下品なこと言わないで!」
「だって何か」
「これ以上、言うなら
友達の敬子は少し下品だ。
真学は兄の妻への思いを伏せて、井川と付き合うに至ったのだろう。
「ごめんごめん。だって何かドラマみたいじゃん」
「ドラマか。でも、真学は多分、まだ真理子さんを好きだと思う」
井川の目は潤んで揺れた。敬子は井川を心配する。
「いいの?本当にそれでいいの?」
「……そりゃあ、私を好きになってほしいけどさぁ」
井川はアイスコーヒーのストローをかき回す。氷の音が響く。井川は黙る。
敬子が井川を見つめて言う。
「じゃあさ、頑張ってみなよ。その真理子さんだっけ。お兄さんの奥さんだし。どうこうなるはずもないじゃん」
「……そうだけどさ。それは解っているんだけど………」
「けど?」
「真理子さん、かなり良い感じの人で。何か私は」
真学の好きな人は余程、素敵な女性なのだろう。
どんな人か気になった。この先、その女性が見えるのだろうか。
「良い人でもさ、遠慮する必要ないよ!」
「そうだけどさ」
「そうだけどじゃない!」
敬子は井川に克を入れているようだ。
井川はそれに負けて、返事をする。
「解った!」
「じゃあ、善は急げ!」
「善は急げって」
「だーかーら!お兄さんとその奥さんに【私が彼女です】って紹介してもらわないと!」
敬子の強引さに少しだけ、私は驚く。
井川はその勢いに飲まれる。
「うーん」
「それぐらいやらないと!」
「でも、真学は」
井川はもじもじとした。
「来美が強引に行けば上手くいくんじゃない?」
「そういうものかな」
「そういうもの!さ、早く電話っ!」
敬子の勢いに井川は負けた。これくらい恋に積極的になれば上手くいくのだろうか。
井川は敬子に言われ、スマートフォンを取り出す。電話を架けるようだ。
「あの、真学?」
敬子は井川の電話の様子を見つめる。
私は井川を心から応援したくなった。井川は緊張している。 真学は何を言っているのだろうか。
「うん。そう。え?」
井川は真学から何かを言われたらしい。
少し動揺している。敬子が心配そうに見つめた。
井川は敬子と目が合うと、「心配しないで」というアイコンタクトをした。
「うん。うん。わかった。じゃあね」
井川は電話が終わったらしい。敬子はテーブルから乗り出すように井川に聞く。
「ねぇ?何どうなったの?」
「あの、それが。今度、真学のお母さんの誕生日らしくって」
「誕生日。それで?」
「誕生日パーティーをやるとかで、私も来てほしいって」
「えー!やったじゃん!」
敬子は大声で喜んだ。敬子の大声に他のお客さんが再び見る。うるさいと思ったらしいお客さんが敬子を睨む。
敬子は「すいません」と会釈をした。
井川の表情に元気がない。
「何で元気ないの?」
「真理子さんも来るって」
「ナイスタイミング!これでアピールだよ!」
敬子は井川の肩を叩く。井川は敬子を見た。
「うーん」
「とにかくファイト!」
真学の母親の誕生パーティーに、井川と真学の好きな人、真理子が参加する。
どんな空気になるのだろうか。
いよいよ、真学の好きな人が見れる。
私はざわつく心を落ち着かせた。
見れる確証はないけれど、私は期待した。
アクアマリンのため息(上) (了)
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