エメラルドの嘘 (下)


 私はエメラルドの指輪から、手を離し、宝石受けに置いた。美川は私を見る。

 美川はその指輪を売るのを躊躇ためらっているようにも見えた。

 エメラルドの指輪は年季が入っているものの、丁寧に扱ってあり、傷は少なく、状態は良い。


「おいくらくらいになりますか?」

「そうですね。5万2,000円くらいでしょうか」

「わかりました」


美川は少し暗くなる。私はこれを本当に買い取ってよいものだろかと迷う。


「本当にいいのでしょうか?」

「何がですか?」

「これを買い取ってもいいのですか?」


美川はしばし沈黙した。静かな時間が流れる。美川は再び、口を開く。


「ヒカル。いや、私の元彼氏なのですけど、別れた後、5年後くらいに再会したんですよ」


あの別れの後、再会していたらしい。じゃあ、そこでよりを戻しても何も可笑しくない。

何故、よりを戻さなかったのだろうか。


「そうなんですね」

「けれど、好きな人がいるって……」

「そうなんですね。好きな人……」


森本には別に好きな人がいるのか。

つまり、今はその人と森本は付き合っているのだろう。私は少しちくりと痛む感情に平常心を保とうとした。


「だから、振られました」


美川はぼんやりと言った。


「そうですか」


私は美川が可哀相に思えた。私は少しがっかりした。その様子に美川が笑う。


「なぜ、ショック受けているんですか?」

「だって美川様が素敵な人なのに。何だか」

「有難うございます。でも、もう、いいんですよ。私、好きじゃないので」

「そうですか」


【好きじゃない】という言葉とは裏腹に美川は涙が出ている。

まだ森本が好きなのだろう。

私は強がる美川に何を言えばいいのか解らなかった。


「で、ヒカルの好きな人がどんな人か、知りたかった」

「どんな人なのでしょうね」


美川はなぜか、私を見つめた。私は理由が解らず、困惑する。

その表情は穏やかそうに見えた。


「とても心の優しそうな人で、私は諦める決意がつきました」


美川は清々すがすがしい表情を浮かべた。


「そうなんですね」


美川の表情は明るくなった。私は安心した。

私は森本と仕事で関わっていると言うべきか迷う。

けれど、言わないほうが良さそうに思えた。

店の扉が開き、お客さんが入ってきた。 私は反射的に挨拶する。


「いらっしゃ」

「よっ。川本」


店に入ってきたのは、森本だった。

とても気まずく、私はどうしたらいいか解らなくなった。 森本は美川に気づく。


「久しぶりだな。絢子」

「ヒカル。ヒカルは店長さんと知り合いだったのね」


森本は美川に近づく。 改めて、森本と美川が並ぶと絵になった。

凄くお似合いで、二人の思い出を見た後だと余計に苦しくなった。


「あの、私、いないほうがいいですよね。ちょっと奥行ってきます」

「いや。いいよ。遠慮するな。この前はすまなかった」


森本は私を引きとめた。美川はきょとんとしている。私はとにかく気まずく思えた。


「この前って?」


美川は森本に質問した。


「ああ。川本に捜査を協力してもらっている」

「へぇ。そうなの」


美川は興味津々に私を見つめた。

私は目を反らす。 この状況で、どう対応すればいいか解らなくなった。

やはり、私は奥の部屋に行こうと決意する。


「やっぱ。奥の部屋行きますね。他のお客さん来たら、店長は不在中って言っておいてください」


私は逃げるように、店の奥に向かう。給湯室に行った。


絶対に二人っきりにしたほうがいい。



もしも、この後、二人がよりを戻したとしても、私には関係ない。私は自分に言い聞かせた。


自分の心の中にある、感情は一時的なものだと言い聞かせる。

一度、気付いてしまった感情に蓋をするのは難しい。

けれど、相手が美川なら諦めがつくような気がした。私は息を吸った。


*********************************************


「ねぇ。川本さんって素敵な人ね」


美川は森本に言った。森本はため息をつく。森本は少し困った表情を浮かべた。


「絢子は知っていて、ここに来たのだろう?」

「そうだよ。貴方の好きな人がどんな人かと思って」


美川は森本の肩に手を置いた。

美川は森本の表情を笑う。森本はタバコを上着から取り出す。


「じゃあ、川本にその指輪を見せたのか?」


森本は宝石受けのエメラルドの指輪を見た。


「そうよ。ちょっと意地悪だったかな?」

「……おい」


森本は頭を掻く。美川は川本が【物に触れると過去が見える】ことを知っていたらしい。


「過去が見えるんでしょう川本さん。けど、いいじゃない。反応見た限りだと、ヒカルにも脈ありっぽいよ。だから、大丈夫」


美川は笑う。


「はぁ?川本がそれ自体に気づいているかは解らないぞ」


森本はタバコを吸う。美川は森本の表情や、動揺している様子が面白くて更に笑う。


「何かヒカル、変わったね。昔はクールなほうに見えたよ」

「刑事になってなりふり構わなくなった……」

「巡査から刑事になったのね。あ、そうそう。私、今度、ハリウッド映画で台詞のある役もらったの」

「凄いな。まだ演劇やっていたんだな」

「うん。日本で演劇教えながらね。私も負けてられない!」

「頑張れよ」


森本は微笑んだ。美川は少しだけ赤くなった。美川は森本の袖を掴む。


「だから、貴方も川本さんにちゃんと伝えなさいね。私が引いた意味がない」

「ああ。必ずな」


森本はタバコを灰皿ケースに入れる。美川はその様子を見つめた。


「じゃあ、私、帰るね」

「あ。このエメラルドはどうする?」

「うーん。どうしよう。やっぱ持って帰るわ。思い出は上塗りできないから」


美川はエメラルドの指輪を仕舞う。


「本当に会えなくなるわ」

「そうだな」


美川は森本に抱きつく。森本はそれを受け入れ、抱きしめた。

美川はすぐに離れ、「さよなら」と言って店を出て行った。


森本は川本のいる奥の部屋を見る。

後で、弁解しておく必要があるかもしれない。

けれど、少しでも嫉妬してくれているとしたら、自分にも可能性があるかもしれない。

森本はそう思いながら、再びタバコを吸う。


しばらくすると、川本が店に戻ってきた。


「あれ?美川さんは?」

「絢子なら、帰ったよ」


森本は川本を見る。川本は目が合うと、目を反らした。


「そうなんだ。エメラルドは持って帰ったんだね」

「ああ」


川本は森本がいつも通りで安心した。

森本は川本を再び見る。


「何?」

「いや、何でもない。なぁ、過去が見えるってお前にとってどんなものだ?」


川本は森本がいつになく真剣なのに少し驚く。少し考え込み、川本は口を開く。


「……そうだね。悪いことも良いこともある。過去が見えるのだけど、私は何も出来ない。もどかしい苦しさもあるけど、見えることで誰かを助けられるなら私は見続けようと思ったよ。確かに目を覆いたくなる酷いものも見える。けれど、素敵な思い出も見える。私に授かったこの能力は宝物だと、今は思えるよ。だって、もう会えない両親を見ることができたのだから」


川本は壁に飾ったレプリカの真珠を見つめた。

森本は川本の穏やかな表情を見て、改めて自分の思いを再確認した。


「なぁ。今度、飯行こう」

「ん?どうしたの?何かあったの?」


川本は何かあったのかと思った。 事件の関係のことだと思ったらしい。

森本はため息をつく。


「いや、何もない。ただのこれまでの迷惑かけた分だ」

「なんだ。気にしなくていいのに。捜査協力費貰っているし」

「相変わらず鈍感だな」


森本はぼそりと言った。


「ど…鈍感って」

「まあ、いいよ。今度、飯行くぞ。じゃあな」

「え?えー?」


森本は店を出て行った。川本はその後ろ姿を見つめる。

美川とはどうなったのか、川本は聞くに聞けなかった。

けれど、森本の誘いに少しだけ嬉しくなった。


エメラルドの嘘(下)(了)

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