エメラルドの嘘(中)

 私は美川に悟られないように、冷静を装う。

 美川は私の顔を覗き込む。


「何か鑑定しているのに話かけちゃってすいません」

「いえ。いいですよ」

「鑑定してください」

「はい」


 私は再び、触る。


 思い出の続きは、先ほどの場面だった。

森本は優しそうな表情で、美川に笑いかけている。

美川と森本の関係は良好だったのだろう。

 森本は箱を取り出し、テーブルに置く。


「これさ。絢子の誕生日プレゼント」

「え。何?これ?カルティエ?」

 

美川はとても喜んでいる。森本は愛しく優しいまなざしで美川を見つめた。


「そんな喜んでもらえると思わなかった」

「だって、ヒカルからのプレゼントだから嬉しいに決まってるじゃん」

「なんか恥ずかしくなってくるな」

 

 森本が照れている。私は見たことない森本の表情に複雑な思いでいた。

 美川は嬉しそうに箱を開ける。

 出てきたカルティエのエメラルドの指輪に叫ぶ。

 周りのお客さんが、美川の声に気づき、視線が二人に向かう。


「うそ!これ、いいの?」

「ちょっとお前、喜びすぎだろう」

「高かったんじゃないの?」

「え、まあ、高かったけど。バイト沢山して稼いだ」


 森本はドヤ顔で応えた。美川は目を潤ませた。森本は突然のことで、動揺する。


「え?どうした?」

「だって、私のために」

「そりゃあ。お前のことが」

「ことが?」

「……好きだからだよ」


 森本は早口で言った。

 私は何だかこの二人が上手くいかなくなった理由がわからない気がしてきた。こんなに上手くいっているのに?

 そういえば、私は森本の容姿を冷静に考えたことがなかった。

 森本は背丈もあるし、顔もそれほど悪くは無い。

 寧ろかっこいい部類に入るだろう。


 私は何故か胸が痛くなる気がした。

 森本の元彼女が美川みかわ絢子あやこという美女。

 森本と美川は絵になるような気がしなくもない。


 私の複雑な思いとは裏腹に、思い出は再び切り変わる。


 今度は二人で旅行をしている場面だ。沖縄旅行に行っている。

 現地でオープンカーを借りて、公道を走らせていた。

 森本が運転し、美川が隣に座っていた。


「ねぇ。沖縄の海って本当に綺麗ね」

「ああ。そうだな。絢子が長期の休みを取れてよかったよ」


美川は大学に通いながら、別に何か仕事をしているのだろう。

それは読者モデルなのだろうか。私の予測は当る。


「うん。ただの素人読者モデルにカメラマンさんが気に入ってね。今度、写真集出さないかって」

「凄いじゃん。やるなぁ。芸能人じゃないの?」


森本は笑っている。美川の表情は少し暗くなっていた。


「この間、芸能事務所に入った。けどね」

「けど?どうした?」


車は信号機の赤で停車した。


「これから先、私をモデルから女優として売り出そうとか言っていて」

「へー。やってみたらいいんじゃない?」


森本は何でもないようだった。美川の不安が何となくわかる気がした。美川は苛立った。


「簡単に言わないで。そしたら、こうやってデートも出来なくなるよ?」

「それは大げさじゃないか?」

「でも、付き合っている奴がいるなら、別れろって」

「そんなことまで言うんだな、芸能事務所って」


森本は驚く。美川は解っていない森本に不満げだ。


「うん。だから、読者モデルだけやって芸能事務所との契約は解除しようかなと」

「そうか。俺はどんな選択を選ぼうとも、絢子の味方だよ」


森本は真剣な表情だった。美川は森本の言葉に感動し、森本の肩に頭を置く。

甘い時間が過ぎているように感じた。私は二人の関係がうらやましく思えた。

森本はこんなに一途な人だったのか。


私は森本の新たな一面にただ、衝撃を受けるばかりだった。


私は出来るだけ、二人の情事じょうじを見たくないと思った。

今は自分の思いに気づきたくない。強く願った。


そんな願いもあってか、切り替わった思い出は二人が大学の学食で喋っているところだった。

季節は冬で、二人は厚着をしている。

美川はクリスマスが近いことに浮かれている。


「ねぇねぇ。クリスマスどうする?」

「食事いこうか」

「いいね。じゃあ、ヒカルのおごりね!プレゼント交換もしようよ」


二人は楽しそうに話している。

こんな順調なカップルに一体何が起こったのだろう。

二人が別れる原因が想像出来ない。

私はただこの行く末を見つめることしか出来ない。

二人が楽しそうに話している中、美川の友達がやってくる。


「ねぇ。絢子。絢子。ちょっとごめん」

「なに?けいちゃん」

「アメリカに留学するって本当?」


森本はその言葉に驚く。森本は美川を見る。

美川は森本に向かってうなづく。


「そうだよ。ごめんね。ヒカルにいつ話そうか迷っていて」

「そうか。それはあれか、モデルの?」

「うん。あの芸能事務所、結局辞めなかったの。で、女優としてチャレンジみたいな。演劇学校に行くことにしたんだ」


森本は突然のことに理解が出来ないのか。ただ美川を見つめる。

美川の友達の圭は申し訳なさそうにした。


「ごめん。絢子。空気壊しちゃって」

「うんうん。いいのいつか言わないとって思っていたから」

「私、向こう行ってるね」


圭は二人のもとを離れた。


「本当にごめん」

「いいよ。言ったろ?俺は絢子の選択を応援するって」


頭を下げる美川に向かって、森本ははっきりと言った。森川は美川の手を握る。

美川の手には、エメラルドの指輪だ。

何だか私はこの先、どちらかが浮気するのかと邪推した。

そうなっては欲しくない。

けれど、美川がはっきりと【大学時代の彼氏】と言っている。


私の憂鬱な気分とは関係なしに、思い出は切り替わる。

一気に時間が経過しているのか、美川が渡米して、どこかの寮に住んでいる。

美川は英語が決して上手くなく、それでも現地の人と共に上手くやれている。


「Hey! Ayako. Phone from your boyfriend!(ねぇ。絢子。彼氏から電話)」

「OK.Merry.Pick up the phone.(わかった。メアリー。電話に出る)」


美川はメアリーというルームメイトと過ごしているようだ。

森本から電話が掛かってきたらしい。


「ヒカル?私、電話ありがとう」

【めちゃくちゃ緊張したよ。海外に電話するのって難しいな】

「そうね。でも、よく電話できたね。エライエライ」


美川は森本からの電話に凄く幸せそうだった。

留学先でもなんとかやれているようだ。

私は何となく安心した。演劇学校ではどうなのだろう。


【演劇学校はどうだ?】

「うーん。難しいよ。英語が。発音が難しくって」

【そうか。じゃあ、慣れるまでが大変ってとこか】

「うん。でも、ヒカルからの電話は本当に元気が出たよ」

【現金な奴だな。電話はお金掛かるから、またメールするな】

「うん。ありがとう」



美川は電話を終えて、幸せそうな顔をした。その様子に、メアリーがからかう。


「What did you do to talk to boyfriend?(彼と何の話をしたの?)」

「It’s secret.(秘密)」


美川は笑う。メアリーは美川の幸せそうな顔に微笑んだ。

何かを話しているが、私は英語がわからない。

けれど、美川の演劇学校上手くいっているようだ。

これから先、二人に亀裂が起こるような気配もない。

けれど、本当に何かがあって二人の関係は終わるのだろう。


何かがあったとしても、私にはこの行く先を見つめるしか出来ない。


思い出は再び切り替わった。

私は軽くため息をつく。

どこまで見えるのだろうか。少し長い気がしてきた。


今度は美川が演劇学校の同級生と飲んでいるようだ。

私は英語が解らないが、美川は男性に言い寄られている。

美川の美貌は、外国でも通用するレベルなのは間違いなかった。


「Ayako.Have you a boyfriend?(あやこ。彼氏はいるの?)」

「Yes. Sorry, Alex(いるわ、ごめんね。アレックス)」

「OMG!(オーマイゴット)What kind of person are your boyfriend?(君の彼氏はどんな人?)」

「It’s Brilliant!(素晴らしい人)」


美川は森本を絶賛しているようだ。確証はないけれど、言い寄っている男性はイギリス系っぽくみえた。


「Oh! Really?(おう。本当かい?)」

「Yes(そうよ)」

「I'd like to see your boyfriend's picture(彼氏の写真みせてよ)」

「Okey(いいよ)」


美川は、森本の写真をアレックスに見せた。アレックスはまじまじと見つめる。


「Your boyfriend is so cool!(彼氏かっこいいね)」

「Thank you!(ありがとう)」


アレックスは森本をカッコイイと思ったようだ。

ショックを隠せないアレックスは、強がっているようにも見えた。

何か少し可哀相かわいそうにも思える。アレックスは金髪で碧眼。堀が深く端正たんせいな顔立ちだった。

若干、昔見た英国俳優のコリン・ファースの若いころに似ている気がしたのだ。


ちょっと勿体ない。そう思ったけれど、二人の結びつきは絶対なのだろう。何故、二人の関係は壊れたのか。私はもやもやした。


私のもやもやをぶち壊すように、思い出は再び切り替わる。


今度は美川が演劇学校の卒業公演をしている最中だった。

演目は、シェイクスピアの【ロミオとジュリエット】。


とても有名な恋愛れんあい悲劇ひげき戯曲ぎきょくだ。

なんと、ジュリエットの役を美川が、相手役のロミオがアレックスで公演している。


私は驚いた。


人種的なことから、有色ゆうしょく人種じんしゅの人が主演を獲るのは難しいはずだ。

そんな中、見事みごとに美川は主役を張っている。

私は純粋に美川を尊敬した。

美しさだけではなく、しなやかで才能溢あふれる女性。


それが美川なのだろう。誰もが美川にこころかれるのだろうと思った。

卒業公演はどこかのNYのホールでやっているようだ。

私は最初から見たかったと悔やんだ。物語は終盤になっている。

ロミオとジュリエットは死に、悲劇で終わるのだ。幕は閉じた。


観客の盛大な拍手が飛び交う。沢山の声援と、スタンディングオベーションが起こっている。

アンコールで幕が上がり、美川、アレックス、その他の出演者が出てきた。


私は会場に森本がいないか、確認する。

森本を見つけた。

確実にアレックスは森本を意識し、美川を触っている。

私はアレックスの挑発的な態度に驚いた。


アレックスは美川を強引に引き寄せる。美川はそれを剥がそうとした。

しかし、アレックスの力は強い。

アレックスは美川を自分のほうに向けた。

美川のあごを掴むと、強引にキスをした。


その直後、観客席はヒートアップし、盛り上がった。


私は森本の怒りに満ちた表情を見逃さなかった。


幕は閉じる。この後、誤解は解けなかったのだろうか。

閉演後の楽屋で、美川がアレックスに怒っている。


「Why did you kiss me? It’s terrible!(どうしてキスしたの?ひどい)」

「So,you won’t be my girlfriend!(君が僕の彼女にならないからだよ)」


アレックスは悪びれもしない。私はアレックスに苛立ちを覚えた。


「You suck!(最低!)」

「Alex,You are terrible(アレックス、酷いわ)」


メアリーもアレックスを非難していた。他の出演者も、アレックスに非難の目を向けている。


「Shove off!(うるさいな!)」


アレックスは逆ギレをした。

美川は涙目になりながら、楽屋を飛び出していく。美川は森本を探す。


私は胸が痛くなった。二人がこんなことで終わってほしくない。


そう思っても、私の願いは届かない。


劇場の外に森本は居た。美川は森本に近づく。


「来てくれてありがとう」

「ああ」


森本は煙草を吸う。


「さっきのだけど、誤解だから」

「わかっている」


森本の表情は怒っていない。

ただ、何か冷めた空気をまとっていた。

美川はそれを感じ取る。


「これで、二年間の留学終わりなんだ。長かった。やっとヒカルと居られる」


美川は森本に抱きつく。

森本はそれを受け入れるが、抱き締めることはしない。


「俺さ、大学卒業後、警察官の試験受けて合格した。来月から中野にある警察学校行く。半年間だ」

「えー。凄い!カッコいいね!デカになるの?お祝いしないとね」

「ありがとう。そうだな」


森本は美川を自分から離す。 森本は美川を見つめる。


「どうしたの?」

「いや、俺たち、やっぱ別れよう」

「え?」


美川は突然のことで、茫然とする。


「え?さっきのことが原因なの?アレックスとは何もないよ?」

「そうじゃない。俺たちは住む世界が違う。お前はこれから演劇の世界でやっていくべきだ。一緒にやっていくのは、無理だ」


森本は自分の世界と、美川の世界が違うと思ったらしい。

舞台で輝く美川を見て、思ったのだろう。

私は二人の関係が終わるのを黙って見ることしかできない。


美川は何も言えずに森本を見つめた。

美川の目には涙が溢れていた。


「なんで」

「ごめん。本当に今までありがとう」


美川は涙を流している。その涙を手の甲で拭う。

その手にはエメラルドの指輪が輝いていた。


「これからは友達として、お前と」

「もう、いいよ。さよなら」


美川は森本に背を向けて、去ってく。

森本は美川の背中をみつめ、歯を喰いしばっていた。


こうして、呆気なく美川と森本の仲は幕を閉じた。

思い出はここで、見えなくなった。


エメラルドの嘘(中)(了)

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