B5.Be


 お前はラッパーになれるとか、以前に社家くんが言っていたのを覚えています。

 果たして、私はいま、本当にラッパーになれているのでしょうか。

 そう誰かに問いかけても、きっと人によって返る答えは違うでしょう。

 メトロは「まだまだだ」とか言うかもしれませんし、某ヤンキーは「とっくになってんぜ」とか言ってくれるかもしれません。

 けれど私はステージを降りなかった。認められた。

 少なくともラップで感情は伝えられたようなのです。

 それがラッパーとしての務めなら、すでに私は、ラッパーとしての第一歩を踏み出せているのだと思います。

 後はもう、ただただ歩いて行くだけです。


 再延長戦のビートは『Be』。

 やりますね、社家くん。

 こんなにおあつらえ向きな選曲はありません。


「それじゃ、みんな、再延長戦だよ☆ そろそろ決まると嬉しいなっ! さあ、先行、九条っ! 後攻は御伽噺っ! スタートだっ!」


 すでに疲労困憊の状態ですけど、休憩なんてありません。

 それでも頑張る。あともう一回だけ。

 勝負をつけます。これでおしまい。絶対に、勝ってやる。


「そちらに入ったのは全部同情票ね 貴女はそれしか能が無い 上には立てやしない 再延長まで続けてもらえてるのはただの温情よ わかる? ラッパーの御伽噺さん?」


 九条はそう言って冷たく笑います。

 安い挑発です。ヤンキーさんの時と同じ手を使うつもりですか。

 そんなものに乗ってやる私だと思いましたか?

 全然、私のことがわかってませんね。


「ヒップホップがどうとかもうたくさんよ ただ私は会場へ問いかけるわ みなさん 胸に手を当てて考えて 賞品はこの子たった一人のもの? それとも万羽NLの数百人の生徒たち?」


 ――この人は、いつまで偽りの言葉を紡ぎ続けるのでしょう。

 九条の本性はこんなものではありません。他者のために働くような慈愛など持ち合わせていません。

 けれど良いのです。私は貫くだけ。上辺だけの言葉で私は勝負なんてしません。

 覚悟を決めて、脳を回転させて体の奥から熱を沸き上がらせて、8小節4本に、私の全てを込めるのです。

 さあ。


「Bっ! にBe! と言いっ! ましたがじっ! たいは女子っ! 高生ですっ! けどっ! ビートに乗ります! こんな風に楽しそうにっ!」


 あぁ、間違えました。楽しそうではなくて、実際に楽しいのでした。

 だけどそんな言い間違えは、もはや関係ありませんね。

 もし仮に重箱の隅を突くようなことを言われても、全部無視です。

 アンサーを返せてない?

 いえいえ、アンサーを返すような価値、九条の言葉にはないでしょう?


「華やぐ輝く世界を目にし ハイに舞い踊る私の麗辞」


 そう、これは麗辞です。

 ヤンキーさんではなく、今度はまた別の誰かへ送る言葉。


「夢見た自分はすぐそこ にあるよと 教えてくれてありがとうっ!」


 普段の私なら絶対こんなこと言えないですけど。

 ラップにしたらあんまり恥ずかしくないですし、それにまぁ、誰に向けてるかも明確にしてないですし? とか言い訳をしてみます。

 スクラッチは乱れることなく行われて、さて、届いているのやら、いないのやら。

 気にはなりますけど、今は勝負の真っ最中。

 思考を切り離して、はい、九条のターンです。


「ビートに乗るビートに乗る 乙戯 何回その話を繰り返すのよ」


 確かに同じような言葉を遣いすぎていたかもしれません。そこは反省です。

 とはいえ、大したディスではないですし、私は痛くも痒くもないですけど。

 そこは九条も感じ取ったのでしょう、訂正の言葉を続けます。


「いえ、だったら私も何度でも繰り返しましょう 楽しいだけでは人生はやっていけない」


 ……あぁ、少しずつ、九条の声も熱を帯びてきましたね。

 嫌いでも、言葉を交わしたくなくても、それでも家族は家族です。

 妹ですから。昔から姉のことはよく知っているのです。

 九条、本音を話すつもりになりました?


「真剣に 冷静に 考えてみればわかるでしょう 貴女は芸術高校の赤星に進学したけれど 万羽NLから逃げ出しただけ 本当は気付いてるくせに 今の貴女はただの遊び人よ」


 私が遊び人ですか。似合わない言葉に笑ってしまいます。

 まぁその糾弾にはアンサーを返しません。

 8小節に込められる言葉はごく僅か。

 他に言いたいことがあるのです。九条の相手なんてしてられません。


「ますます増します 会場のボルテージ増します」


 九条は会場の熱気に気付いているのでしょうか。

 もはや観客はバトルの勝敗なんて気に留めていないのかもしれません。

 私や貴女が言葉を紡ぐ度に、沸き上がる歓声が、貴女には聞こえていますか?


「飽くなき言葉の創造 勉学少女は出る幕無く泣く泣く帰るだけ」


 大きすぎる歓声は、私の声がきちんと届いているのか不安を覚える程です。

 でも、これならきっと大丈夫。

 九条も援護射撃をしてくれましたし。

 試してみましょうか。好奇心は裏切れません。


「やる気満々 爛々と光る瞳とハート 暗澹たる想いなんかなし ビートと仲良し そんな私の高校の名前はっ!?」


 客席へマイクを向けると「「「赤星ーっ!」」」と声が返ってきます。

 ……あはは、作戦成功です。楽しいなあ。


「ライブじゃないんだからそういうのやめてもらえるかしら?」


 九条は低く返します。その声には僅かに怒りが滲んでいます。


「ビートと仲良し? は? 母から逃げて 私から逃げて 辿り着いた先がそれ? 笑わせるわ」


 ……あぁ、嬉しいですね。

 ようやく、私と向き合ってくれるんですか。

 長い間、冷たく退けてきただけの、大名賀乙戯と。


「十年後 二十年後 三十年後 人生の終わりまで 頭を使ってよく考えなさい 何が貴女にとっての幸せを形作るか ねえ それに気付かないの?」


 そんな程度の言葉、一撃ですよ。


「自分の考え方を他人に押しつけるのはやめてほしいんですけど?」


 語るようなリズムで返して、はい終わり。

 あとはきちんとビートに乗ります。


「私の憧れ 過去から変わらず明るい場所 スポットライトの下っ! 今ここっ!」


 卑屈さをかなぐり捨てて純粋になってみれば、そう、単にそれは憧れだったのです。

 一ヶ月前の私が今の私を目にしたらなんと言うでしょうか。

 本当に、あれが私? なんて、そんな言葉を吐いたに違いありません。

 あの引き籠もりの大名賀乙戯が、ステージ上で照らされて、歌い踊ってるだなんて、信じられますか。


「日の目を浴びたいっ! 見返したいっ! 初心はそれ でも今はそれだけじゃないっ!」


 部屋の隅で膝を抱えた私を、魚類とヤンキーは引っ張り上げてくれました。

 壊されたガラス扉も、私にとっては大切な想い出です。


「期待されてる願われてるっ! そうですっ! 戦う理由は裏切れないからっ!」


 さあ、九条、ラストターンですよ!


「戦いというなら自己紹介じゃなくて会話をしてほしいものだわ」


 吐き捨てるように言う九条の声には、もはや偽物の色はありません。


「感動ポルノとかお涙頂戴とか大嫌いなの 虫酸が走るのよね」


 あぁ、やっぱり強い、突き刺すようなディスです。


「高揚感にやられてないで 冷静な頭でシンプルに 考えたらわかる 戻ってきなさいっ!」


 戻ってきなさい。

 そんな言葉、言ってくれたのは初めてじゃないですか。


「貴女は私と母に守られていれば良いのっ! どうせ貴女には何もできやしない姉にも勝てないっ! そうでしょうっ!」


 ……あはは。


「媚ばっか売ってないで私の目を見て答えなさいっ! 乙戯っ!」


 良いでしょう。そこまで言うのなら、本音を出してくれるなら、私もアンサーを返してやります。

 ラスト8小節を貴女のために使います。

 九条――姉に向けて、ラップをしてあげます。


「冷静になっていないのは九条の方です 私の生き方をどうして認めてくれないんですか」


 ビートに乗るのはやめです。

 リズムキープだけして、8小節におさまるように言葉を詰め込みます。


「九条のこと凄いと思います 勉強もスポーツも出来るし 実は努力家ですし今日のバトルもたくさん練習したんでしょう」


 ずっと劣等感を抱き続けてきました。

 けれど、それは貴女が凄いと思うからです。ヒップホップでいうならリスペクトです。

 これは、結局、私の問題。九条は何も悪くはないのです。


「ですけどっ!」


 それとこれとは話が別です。


「私は貴女に憧れません! 私の理想は魚類やヤンキーと一緒にいる生き方っ!」


 喉はからからです。声が掠れています。


「貴女に押しつけられた人生なんてくそくらえですっ!」


 頭はもう回ってません。ふにゃふにゃです。

 けれど、お腹から声を出して、精一杯に叫びます。


「姉に勝てないなんて嘘っぱち! 優勝は私だっ! 御伽噺だっ!」


 それで、ビートが止みました。

 ふらついて倒れそうになった私ですけど、なんとか踏みとどまります。

 ここで倒れてしまったら、それこそ姉の言うお涙頂戴ですし?

 勝つのだとしても負けるのだとしても、そんなのは嫌です。


「ちょっとちょっと~☆ みんな落ち着いてね~? 判定するよ~?」


 マイクごしに母の声が聞こえます。

 会場中に木霊するのは、客席からの歓声です。

 各々が好き放題に喋ってて収拾がつきません。

 あはは、滅茶苦茶だなあ。こんなので勝敗がつくのでしょうか。


「あ~も~仕方ないなあ☆ もう判定しちゃうよ? 結果がわからなくなるから少しだけ声を止めて? ね? 決着をつけるよ?」


 あ、声が止みました。やはり母は凄い人ですね。


「うんおっけー☆ じゃあ先行、九条が良かった人っ!」


 ……あぁ、歓声が大きい。手もたくさん挙がっています。

 これは負けたかもしれません。


「後攻っ! 御伽噺が良かった人っ!」


 ぶわっと。

 風圧すら、感じました。


「は~い、おっけ~おっけ~☆ みんなこれは文句ないよね~? いくよ~?」


 すうっと息を吸った母は、言葉を続けます。


「万羽市MCバトル大会っ! 優勝は、御伽噺っ!」


 客席からの二度目の風圧が、私を襲いました。

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