B4.中庸平凡パンチ


 ヤンキーさん――夜音の姿は、ステージ袖には確認できませんでした。

 客席の中にも彼女の姿は見当たりませんし、おそらくは、彼女はまだ喫茶『太陽』にいるのだと思います。

 でも、だからこそ私は精一杯叫ぶのです。

 私の声が、そして私の想いが、彼女へと届くように。


 対面に立つ九条は私の言葉に少々驚いたようでした。敬語を捨ててみたからでしょうか。ぴくりと眉を僅かに動かします。

 けれどそれも束の間、九条はマイクを持ち上げました。


「夜音というのは先程の番長のことかしら? ころころと戦う理由が変わるのね それも全てが全て私的な理由 貴女の都合 自分勝手に他者の幸せを潰すつもり?」


 あぁ、なるほど、そうくるわけですか。

 本当にバトル巧者ですね、九条。

 社家くんに言われてバトルの動画はたくさん観ました。たくさんのラッパーに触れました。

 その中にも九条のようなタイプのラッパーはいましたが――彼女はその最高峰に近いところにいるように思います。

 韻もフロウもないけれど、口喧嘩には滅法強いし、リズムキープは抜群。

 おそらく彼女は、用意しておいた無数のシナリオの中から、この場に最適なものを選択しているのでしょう。

 ……まったく、何でもできる超人は違いますねっ!


「私は貴女とは違う 万羽NLのために戦ってる 今日のために練習も重ねたわ 乙戯 貴女のスキルは大したことないようだけど ねえ? 本当にそれで練習 したの?」


「どれだけ練習したとか わざわざアピールするのださいと思うんですけど?」


 良いです良いです良いですよ。

 そっちがお涙頂戴に鞍替えするなら、私は全力でそれを冷やかしてやります。


「単なる言葉とかじゃなくてまず ラップで証明して欲しいものですね」


 頭をフル回転。韻を踏み倒してやりましょう。

 ライミングだったら、こっちの土俵です!


「到底肯定できません 貴女の妄言想定通り 穴だらけわたし洞見ただの暴言 超絶スキルこれでどうですかっ!?」


「ふうん なるほど? そういうことなら私もやってみせようかしら?」


 ……やってみせる?

 九条は一拍開けると、体をぴくりとも動かさずに、


「明後日の方 向いてる模様? セイホーとかどうとか勝手にやって? / 遊びじゃなくて私は学び ただ日々過ごしてる ワナビー じゃなくてBe そこが大事 悲しいけれどこれが社会」


 ……いやいや、何でもできるにも程があると思うんですけど! 無茶苦茶巧いじゃないですか、なんなんですかっ!


「わ 私に学びがないとでも?」


 あぁあほら、どもってしまいました。

 駄目です駄目です。負けを意識しちゃ駄目。集中です。勝つために頭を使うのです。

 そう、ライミングは私の方が上なんですからっ!


「幼い頃から文学少女 唐突に舞い降りたラップの世界 私の願い 叶えるためにさあ / 想像 構造は私の世界に近い 同じ日本語 生かす知識 意識 せずに想像あらたな景色っ!」


 ほらほら、こんなもんですよ。

 我ながら怒濤の韻だと思います。

 さあどうしますか、九条! これで最後の8小節ですよっ!


「自分もやってみたは良いけれど ただ韻を繋ぐために韻を踏むのも滑稽なものね」


 ……え、え?


「客席の皆さんに分かりやすい会話を心掛けないと さあ 意義のある会話をしましょう」


 あ、貴女が練習したかとか訊いてきたくせに、自分でそれを覆しますかっ!


「文学少女? 文学しかフォローできてないだけ こちらは数学物理古文地理歴史 スポーツだって出来るわ それが万羽NL 全てをこなす私たちが上でしょう?」


 う、こ、言葉が重い……。

 パンチラインだと思います。私の急所を突いてきます。

 きっと九条は私のコンプレックスを知っているのでしょう。嫌な姉です。

 きちんと返さなければ負けてしまいます。

 さあ、気合いを入れて、アンサーを返すんです、大名賀乙戯っ!


「貴女の知識は広い 私は狭い そこは事実 かもしれないけどそうじゃない広さじゃないっ! 私は深くてそっちは浅いっ!」


 そう、そうです。ロジックで来るならそれを上回るロジックで返せば良いだけ。


「重要なのは深度っ! これは日本語ラップですから ねえ 日本語への愛が深いのはどっちですか? 根っからの文学少女 私が強い 当然ですねっ!」


「試合終了~っ!」


 母の声が響きます。

 ざわざわと客席は騒がしく、どちらの判定にも大きな歓声が起こるのがわかります。

 母は少し悩む素振りを見せた上で言いました。


「決められませ~ん え~んちょ~せ~ん」


 ギリギリでした。正直、負けではないことに胸を撫で下ろしてしまいます。

 けれど、ここからもっときつくなるのです。

 延長では、先行と後攻が入れ替わり、九条に得意の後攻が渡ります。

 ……ただでさえ後攻が有利だっていうのに、厳しい試合ですね。


「シャケくん、ビート☆」


 社家くんの流した曲は『Temptation』です。

 タイトルを知っていることにほっとします。

 もしかして彼は私のために気を利かせて選曲してくれているのでしょうか。


「……落ち着け、落ち着くんです」


 マイクを通さず、誰にも届かないほどの声量で呟きます。

 先行で大事なのは、自分の得意な話題を選ぶこと。

 そして相手の苦手な話題を選ぶことです。

 アンサーが返しづらい状況を作って力で押し切るのです。

 幸いにも、先程のやり取りは意味も通っているし私が押しているはず!


「B! と文学! これはビートに乗る文学です! 貴女に理解できませんだって機会ありません 進学のためだけの勉強 / 意味ありません 学び だけじゃなく遊び 回り回って糧になります 貴女の考え正してやります!」


「回り回らなくちゃ糧にならないものより そのまま糧になるものの方が重要よね?」


 ……あぁまったく、隙を見せたらすぐに突いてきますね、九条っ!


「ヒップホップも文学も私は理解してるわ でもそこに乗るかどうかは別問題よ / 私は私の道を選んだ 貴女は貴女の道を行けば? 応援はしないけど口も挟まない そこに貴賤はないから 貴女は他人の人生に口を挟める身分かしら?」


「誤魔化さないでもらえますか 人生論の話なんてしてないんですけど」


 そっちが話題を逸らすなら、こっちは何度でも引き戻してやる。


「学びが大事だって貴女が言ったんです それに大して私は反論してるだけ 結論は観客が出します / 魚類と夜音と 本を読んでラップして 毎日が楽しいですよ 慇懃無礼な態度ですけど 踊り出します私まるでシンギンインザレインっ!」


 傘を掲げるジェスチャーをして私はくるっとターン。


「あぁ『雨に唄えば』? 随分古い映画が好きなのね これでも勉強だけでなく多少なりとも芸術の教養はあるのよ? 私だけでなく万羽NLのみんなもね」


 後半の4小節。九条の話す内容が私には予想がつきました。

 直接、言葉には出さないけれど、つまり九条はレペゼン万羽NL学園を訴えたいんです。

 優勝の暁には万羽NLのために道路を建設するから。だから自分は努力しているんだと、そういう筋書きを描いているんです。


「ねえ 貴女の方こそ馬鹿にしてるんじゃない? 勉強だけしてると思った? そんなわけないでしょう 勉強も息抜きも大事 そんなのわかりきってるわっ!」


 九条の言葉は、私へ向けているようで観客へと向いています。

 本当に狡猾です。とてつもなく自然なアピールです。


 もう残りは半分。現状では、私はおそらく負けているでしょう。

 巻き返さなければいけません。

 そして、そのためには何をラップすれば良いのか。

 さあ、組み立てろ組み立てろ。

 ロジックを組み立てて、勝利する道を探し出せ。


「……平行線 どれだけ抵抗しても決まりません ならばそう 啓蒙はやめ話しましょう 私の話これまでの話」


 この場の空気を変えましょう。

 なにも九条の話題に付き合ってやる必要はありません。

 単なる口喧嘩なら、きっと九条に軍配が上がる。

 けれど、これは単なる口喧嘩ではないでしょう?

 私たちは、ラッパーとしてこの場に立っているのです。

 観客を魅了する方法というのは一つではありません。

 論じるだけじゃない。訴えるだけでもない。

 私は、ラッパー、御伽噺。

 物語ることができるのです。


「五歳で空気を読むこと覚え 七つで挫折と敗北覚え 十の時には失恋の味 そうして育った私は乙戯」


 スクラッチ。これで私のターンは終わり。

 九条は吐き捨てるように言いました。


「突然に身の上話? 勝ちを捨てたのかしら?」


 ここから先を話しても、きっと九条には、九条にだけは理解できないでしょう。

 貴女がいたからこそ、この想いは生み出されたのです。


「そうしてずっと自分の殻に篭もってれば良いわ 私は貴女の上を走り続けるから」


 けれど私は話すのです。ラップをするのです。

 きっと伝わる。伝わります。

 ラップで感情を伝えるのが、ラッパーとしての務めです。


「ねえみなさん 私が優勝すれば努力家の生徒達が喜ぶの 選ぶなら私の方 お願いします 少しでも彼女たちの負担を減らしてもらえませんか?」


 観客がわっと歓声を上げますが、知ったことではありません。

 ラストターン。だったら私が貴女の倍も沸かせてやれば良いのでしょう。

 ここから先、勝てるかどうかはわかりませんが、私は私のやり方で勝負に挑んでやります。


「十三で恐れて自分の世界へ篭もる 傍にはそう文学の親しみ」


 先程の続きです。

 九条はやれやれといった様子で、ため息をつきます。

 そんな彼女のジェスチャーも、私にとっては気合いの源です。

 さあ、いけ。私は御伽噺。


「そして出会ったのは十七の時っ!」


 密度の濃い時間のせいですでに何年も前のことのように思えますけど、私の部屋のガラス扉が割られたのは、まだ数週間前の話です。


「スーパーな友達とヒップホップっ! くーだらないと切り捨てたものが むーだじゃないと思えたっ!」


 伝えたい相手は、客席にいる誰か。

 そして、なにより遠くで聴いている彼女、もしかしたら背後の彼にも。

 ねえ、九条。貴女から逃げた私ですけど、ここまでやって来ましたよ?


「こんな私でもラッパーっ! 立ち上がれ負け犬っ!」


 言い切った後、こめかみの辺りから汗が垂れるのがわかりました。

 ターンが移ったことに気付かなかったのでしょう、一瞬だけ間を空けると、九条は口を開きます。


「負け犬? 負け犬ってどこの誰? 抽象的でまるで会話になってないわ 会場のみんなだってきっと理解できてない / さっき番長さんにも言ったけれど みんなの理解できる言葉で話してくれない? 乙戯 貴女のは単なる自己満足よ 自分に酔ってるだけ 残念 貴女の負けね!」


 ビートが止みます。母が勝負の終わりを告げます。

 私のと九条のと、歓声を聴き比べますが、やはり私にはどちらが上か判断がつきません。

 判定結果は、母が下します。


「は~い、さ~いえ~んちょ~」


 ――勝負は、まだ終わらないようです。

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