A15.夜を使いはたして


 決勝戦までは5分間のブレークタイムが取られることになった。

 琴姫さんが、九条が二戦連続でバトルをすることに配慮したのだ。九条は「別に構わないわ」と返したが、琴姫さんが無理矢理に押し切った。


 俺もステージ袖のテントへと戻る。

 テントの中には、九条の姿だけがあった。


「他の連中はどこへ行ったんだ?」

「さあ? メトロは初めからいなかったし、乙戯はあの女を追ってテントを出て行ったわ」


 あの女というのは、切見のことか。

 休憩は5分間しかない。それまでに戻ってくるのなら良いのだが、過信もできないな。


「なに? 連れ戻しに行くの?」

「まあな。決勝までに戻る保証もない」

「そう。どうせ決勝は私の勝ちだけど」


 おぉ、言うじゃないか。まぁ確かに、それだけのことはあるバトルだったが。


「お前のあれは、どこで学んだんだ」

「MCバトルのDVDを何枚か観て研究したわ。あとは戦略を練って、ステージの立ち振る舞いを練習したくらいね。ようは自己流よ。悪い?」

「悪くない。凄いな、やっぱりお前は」

「そうね。でも貴方のほうは――人にモノを教えるのが、あんまり上手くないのね」


 切見の敗北が、俺の教え方が原因ならば申し訳ない限りだ。

 返す言葉もなく、俺は「行ってくる」とテントを出る。


 さあ二人はどこへ消えたのか。

 ひとまず思いつくところから、と喫茶『太陽』の扉を開けると、その姿はあっさり見つかる。


「あぁ、シャケ野郎かよ」


 切見はそう口にしたが、乙戯の方はちらりとこちらを一瞥しただけですぐに切見へ向き直る。


「乙戯、時間は限られている。早く戻るぞ」

「この人、決勝を観ずにここへ篭もるって言ってるんですけど。魚類からも物申してやってください」

「ちっ。うるせえな。落ち込む時間くらい寄越せよ。あんなにばっちり準備したってのに、こんなあっさり負けちまってよお。なんだっつう話だよ。あぁくそ、俺様は、自分が情けねえ」

「……そう言うな。九条からは、先程、お前はモノを教えるのが上手くないのだと言われた。つまりは俺のせいだ。お前が気落ちすることはない」


 俺が言うと、切見は「はあ?」と口を大きく広げた。


「なんだそりゃあ。てめえには感謝はしても責めるつもりなんて一切ねえよ。全部、試合に負けた俺様が悪いに決まってんだろ。おら、わかったらとっとと消えろ。決勝があんだろ、乙戯」


 乙戯は、はあ、とため息をつく。


「決勝、ありますけど。ヤンキーさんがどうしてここで塞ぎ込んでるかわかんないんです。ねえ、もしかして私が負けると思ってますか。図書館がなくなると思ってますか」

「……んな、つもりはねえけどよ」

「だったらっ!」


 乙戯が叫ぶ。


「だったら、観に来てください。教えてあげますよ。あんな、ヤンキーさんにぶつけた言葉は全部嘘っぱちだって。あの人のメッキ全部剥がして、私がボコボコにしてやります」


 乙戯が一歩踏み込み、切見へ顔を近づける。


「私が勝つところ、見たくないんですかっ?」


 乙戯の言葉に、切見は「はっ」と吐き捨てるように笑った。


「人間、そう簡単に立ち直れたら苦労しねえんだよ。アマテルズの奴らにはこんな顔見せらんねえ。まだ、戻れねえよ」

「そうですか」


 乙戯の声は僅かに怒気を孕んでいる。


「だったら、ここまで届くほどの声で叫ぶまでです」


 振り返った乙戯は、俺の顔へ視線を向けた。


「決勝はもう始まりますよね。行きましょう、魚類」


 なんとも頼もしい乙戯は、そう言って喫茶『太陽』の敷居をくぐった。


◇ ◆ ◇


 テントへ戻ると、俺たちの姿を目に留めた九条が間を置かず言葉を放った。


「作戦会議は終わり? それともバトルDJにカンニング? ま、どちらにせよ、ご苦労様ね」

「……お前にしては饒舌だな、九条」

「そう? もしかすると私も浮かれているのかもしれないわね。……思えば、道路建設の話が出たのは半年も前の話。随分と長かったものよ。ようやくそれが達成できるというのは嬉しいわ」


 負けるつもりが微塵もないらしい。もしくは、単なる乙戯への挑発か。


「乙戯、反論はないの?」

「……言いたいことは、上で言いますから」


 乙戯はステージを指さす。

 それならば十全だ。俺は二人へ背を向け、ステージへの階段を上がる。


「あ、シャケくんだ。は~い、みんな~、そろそろ決勝戦を始めるよ~っ!」


 会場のボルテージは最高潮だ。

 この5分間、ステージで琴姫さんが客を煽って盛り上げてくれていたのだろう。

 俺がターンテーブルの前へ立つと、ステージ袖から乙戯と九条も姿を現す。


「はい、それじゃあこちら、まずはAブロックの勝者、御伽噺っ!」


 乙戯がマイクを握りしめ、「あーあー」とマイクチェックをする。


「そしてBブロックの勝者、九条っ!」


 九条もマイクを手に取って屹立する。


「あ、そうそう、実はこの決勝ね、姉妹対決なのっ! う~ん、どっちが勝つのかなあ、お母さん、楽しみだなあ☆ というわけで二人とも~、じゃーんけーん」


 ぽん、と二人は腕を出し、勝者は乙戯だ。


「後攻です」


 ほっと息をつく。

 アンサーの強力な九条に先行は辛いだろう。これで勝ちの目は広がった。

 先刻のバトルの内容からして、会場の雰囲気も乙戯側へ傾いている。物語の主人公のような印象があるからな。九条は少しディスが強すぎたせいでヒールに見られている部分がある。


「シャケくん、ビートをお願いね☆」


 琴姫さんに言われ、1小節だけビートを流す。曲名は『Kick Push』だ。


「それじゃあいってみようっ! さあ、万羽市MCバトル大会、決勝戦っ!」


 すうっと息を吐き、琴姫さんは更に声を大きくして、


「先行、九条っ! 後攻、御伽噺っ! スタートっ!」


 スクラッチ。九条はすっと静かにマイクを持ち上げる。

 そしてあろうことか、体の向きを変えると、客席の方へと語り始めた。


「まずは謝っておくわ ごめんなさい 先程の試合 切見さんへ投げかけた言葉は聞く人によっては辛いものだったかもしれないわ 私は彼女たちのことが嫌いなわけじゃないの」


 ……あぁまったく、本当に巧いな、お前。

 会場の空気を感じ取って、九条は客を味方につけるべく、先程の試合のフォローから始めたのだ。これで、先程のディスから生まれたであろう反感は全て霧散した。


「色々言ってしまったけれどこれも勝負 私も勝つためにここに立っているの だから暴言も吐くわ それを許して さあ御伽噺? 貴女にもごめんなさい 勝つのは私っ!」


 九条は、ここにきて初めて声を張り上げる。

 これも演出だろう。今こそ自分の本音を語っているのだとアピールをしている。

 どこまでも狡猾だ。しかし、これが九条の強力な武器。


 乙戯はそんな彼女を睨み付けると、マイクを口元へと運んだ。


「嘘ばっかり 並べ立ててまぁふざけたものです それがまかり 通るとホントに思ってますか? 策を講ずる貴女に申す / 貴女の罵倒忘れません 傷つけたもの覚えてます だから私は告げます ねえ聞こえてますかっ!」


 乙戯は、持ち前の敬語をかなぐり捨てて、彼女の名を叫んだ。


「仇は取るぜっ! よっ! るっ! ねっ!」

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