A14.超越


 勝った。乙戯が勝った。

 まさか、あのメトロに勝ってしまうとはという驚きはあった。

 けれど延長戦の終盤には乙戯の有利に寄ってきていたし、もしかすると、とは思っていた。

 だから、それ以上に大きいのが、喜びだった。

 韻を繋ぎ、最後に辿り着いた乙戯の叫びの瞬間。俺の胸に押し寄せる熱い感情は、もはや言葉で表現することができないものだった。

 俺の見たかった景色がそこにあった。


 目元が緩みそうになるが、まだだ。まだ残っている。

 一回戦を勝利したところで優勝ではない。決勝戦が残っているのだ。


 観客もこの結果を予想していなかったのだろう。鳴り止まない歓声がステージを包んでいる。


「はいは~い! というわけで、決勝に進むのは、こちら御伽噺っ! 残念だけど、メトロはここで敗退だよっ!」


 名前を呼ばれたことでメトロは、ふいにぐらりと体を揺らすと、こちらへ倒れ込んできた。

 すんでのところで俺が背中を支えてやり、ターンテーブルとの接触を回避する。


「おい危ないな。機材が壊れるところだ」

「……なんで、あたしの、負けなんだ」


 それは俺への質問ではなかったのだろう。体重を俺の右腕へ預けたまま、誰へともなくメトロはそう吐き捨てた。

 しかし、俺はメトロの言葉への回答を持っているのだ。ならば教えてやるのが情けだった。


「乙戯がバトル中に言っていたのを忘れたのか。ここの観客は、普段お前が相手しているヘッズ達とは違う。単なる万羽市民だ」

「――だからどうした」

「お前は、終始、自分のスキルをアピールしていた。フロウやライミングやビートアプローチ。自分の方がそれらを持っていることを誇っていた。確かにその通りではあるだろう。けれど、単なる万羽市民である彼らは、より良いスキルを判断できるほどの知見がない。アピールするなら、分かりやすく分かりやすく伝えてやる必要がある」

「でも、あたしの脚韻は、初心者にもわかりやすいだろっ」

「確かにな。けれどそれも最後には乙戯が持っていった。『あいおう』の韻を連打して自分の方がスキルがあると印象付けた。後攻の有利を最大限に利用したんだ。そしてなにより、お前の敗因はラップの内容にある」

「内容、だと?」


 メトロが振り返る。


「良いか。相手は善良な一般市民だぞ。率直に言って、応援したくなるのはどんな奴だ? 殺すだの馬鹿だのノックダウンだのと言葉を連ねる悪党か? それとも、図書館を守るために立ち上がった文学少女か?」

「ぐ、う……っ」


 俺の指摘を自覚したのだろう、メトロが俯き、声を詰まらせる。


「全ては観客ありき。安心しろ。プロの現場だったら、おそらくこの試合はお前の勝ちだった」

「う、ぅうううううううぅぅ……っ」


 様子がおかしいので覗き込んでみると、メトロはぼろぼろ大粒の涙を零していた。

 あまりの豹変に仰天してしまう。

 いや、まぁ、確かに、プロのラッパーと神格化されてはいても、メトロも乙戯や俺たちと同い年の女子高生だ。そりゃあ負けたら悔しいし涙することもあろう。


「そう気落ちするな。どんなラッパーだって一度くらい負けるものだ」

「そ、そん……どん……ひっく……っ」


 全力で泣いており、まったく言葉になっていない。


 前方では、琴姫さんからマイクを差し出された乙戯がちょうどコメントを終えたところだった。続けて、琴姫さんはこちらを振り返り、「負けたメトロっ! 何かコメントよろ~☆」とマイクを差し出してくる。

 この状態のメトロでは無理だろうと思ったのだが、メトロは右腕で目元を拭うと、琴姫さんのマイクを奪い取って口を開いた。


「きょ、今日は負けたけど、次は、絶対、勝つ! こいつぶっ殺すからあっ!」


 乙戯を指さしてそう言うメトロに、乙戯は「え、えぇ……」とどん引きした表情だ。

 立ち直りが早いな。まぁメトロにも、サグ・ビッグに敗北して優勝を逃した過去がある。あの時もきっとステージ裏では泣いていたのだろう。


「あの、ラッパーこわいんですけど」


 近くへ寄ってきた乙戯が小さくそう口にする。


「そのラッパーにお前は勝ったんだ。誇って良い」


 俺が言うと、乙戯は表情を一変させて破顔する。


「ん……ふふへ。そうですかね。まぁ、私もやる時はやるんですよ?」


 調子に乗る乙戯だが、今度こそはそれに見合うだけの偉業を為した。水など差せるものか。


「その通り。お前は凄い」


 そう言ってやると、乙戯は「ふぅうっ!?」と奇声を上げた。


◇ ◆ ◇


 乙戯とメトロがステージからはけると、琴姫さんが「Bブロック! 始めるよ~っ!」と合図し、ステージ袖から切見と九条が現れた。

 Aブロックの勝者は、乙戯。

 Bブロックの勝者は、決勝での対戦相手となる。


「それじゃあBブロックのMCの紹介に入るねっ! まずはこちらのヤンキー娘っ! 万羽市図書館に併設する喫茶『太陽』を根城にする、チームアマテルズの番長だよっ! あ、でもでも、カタギの人には迷惑かけないから安心してね☆ 代々受け継いできたアマテルズの根城を守るために戦うんだってさっ! 義の人だねっ! はい、その名は、kill me~☆ ひゅ~ひゅ~っ!」


 客席に混じるアマテルズの面々が「姐さんっ!」「やれっ!」「ぶっ潰せっ!」と声を飛ばし、そんな彼女らに切見は手を振って答える。


「対するは、万羽NL学園に通うお嬢様っ! 全国模試は国内トップレベル、高校生の身で大学の研究室にだって足を運んじゃうっ! そのくせテニス部では全国大会に進んでるし、ホント何でも出来て困っちゃうな~☆ 今回獲得した図書館は潰して、駅前から万羽NLまで道路を引くんだってっ! だってとか言って、市の計画ではあったんだけどね~? はい、というわけで、超絶エリート女子高生っ! 九条っ! ひゅ~ひゅ~っ!」


 客席からの歓声を意に介さず、九条はただただその場に屹立する。

 じゃんけんの結果は、九条の勝利。九条は後攻を選択した。九条も後攻が有利なことくらいは調べてきているのだろう。


「シャケくん、ビートちょうだい☆」


 流した曲は『Hip Hop Is Dead』。

 切見や九条の纏う雰囲気にあったビートだろう。


「さあいこ~っ! Bブロック、先行、kill meっ! 後攻、九条っ! スタートっ!」


 スクラッチを鳴らすと、切見はマイクを持つ手を捻り、ぐわんと体をのけぞらせた。

 大きく吸い込んだ息を吐き出すように、切見は先行を切る。


「よお! 俺様切見 夜音 優勝 イルに 取るぜ! 九条 てめえは頭が良いらしいが番長にゃ敵わねえぜ? / ラッパーとしての名前はキルミー レペゼンアマテルズ ただ得るためにここに立つ まずは一発ぶち込むカスは帰りなっ!」


 調子が良いな。持ち前のバイブスの高さはさることながら、切見にしては珍しく韻を踏んでいる。乙戯同様、先行の内容は用意しておいたのだろう。滑舌は良く、気合いも十分だ。


「はあ……」


 九条のターン。彼女は突然にため息をついた。

 切見が顔をしかめ、目を細くする。


「番長って、時代錯誤で恥ずかしくならない?」


 韻もフロウもない、単に話しているだけ。

 けれど、九条の声は会場へ凜と響いた。

 話す速度、そして間の取り方が絶妙に上手いのだ。

 あくまでこの場を牛耳っているのは自分だと主張するように、九条は切見が暖めた空気を一瞬で冷やしきる。

 ……なるほど、九条はバトルの勝ち方がわかっている。


「イルとかレペゼンとか この場にいる人達がどれだけ理解できているのか / 全員の理解できる言葉で話さないの? 観客は置き去り? チームアマテルズというのは 随分能力の低い人をトップに据えるのね」


 九条のこれが音楽かと問われれば、その回答には時間を要するだろう。

 けれど、九条は確かにバトルをしていた。ラップとも呼べるだろう。

 韻やフロウがなくとも、リズムキープは十分。そしてなにより、痛烈なディスは切見に刺さる。乙戯のものと内容は似ているが、攻撃力が乙戯とは段違いだ。

 九条の返しに、切見は目の色を変えた。


「知らねえなら教えてやるぜコラ イルはすげえ奴 レペゼンは代表って意味だ! アマテルズ代表の俺様が これからてめえをぶちのめしてやるぜ! / 代々受け継いだ 番長 わいわい盛り上げる 会場 大丈夫だてめえら安心しとけ! ここで勝―つのは俺様キルミーっ!」


「じゃあ次はその名前についての話ね えーっと キルミー? 日本語訳は『私を殺して』 全然勝つ気ないじゃない / だっさい姿を晒して アマテルズの仲間に恥をかかせて どうしてチームを代表しようと思ったの? うぬぼれかしら? 信じられない本当に恥ずかしいわ」


 きっつ。抉るようなディスだ。言葉選びが研ぎ澄まされている。

 ディスを食らった切見は、九条のターン中、ずっと苛立ちを抑えようとしているのか頭をがしがしと掻いている。


 いや、おい、切見。そうじゃないだろう、お前のすべきことは。

 これは九条の作戦だぞ。乗ってどうする。

 韻を踏め。九条のディスへアンサーしろ。脳内から言葉を引き出してラップを組み立てろ。


「俺様 の話は良いだろうがボケが それじゃあてめえはどうなんだ? あ? 九条? 名前そのまま つまらねえくだらねえぜ! / 俺様バカに出来るほど どんだけてめえが凄いのか あ? 言ってみろよコラ 聴いてやるから俺様に教えてみろよ!」


 切見得意のビートアプローチが殺されている。九条の思惑通りだ。


「私の話? そうね 全国模試で六位とかそういう情報を並べてみれば良いのかしら? それとも先月に書いた論文の話でもしましょうか? / 駅前と学園を繋ぐ道を作るのが生徒会長としての職務よ あなたはどう? アマテルズの居場所を守れそう? ……まぁ無理ね」


「無理じゃねえぇえっ!」


 切見はついに吠えた。


「俺様がやるっつったらやるっ! 万羽高校のはみ出し者達をよお 俺様がまとめて面倒見てやんなきゃいけねえんだよ! / おい 学力自慢の九条よお てめえは学力だけだろ 俺様の力でねじ伏せて 優勝いただいてアマテルズの居場所ぶん取ってやるぜ!」


 九条へターンが渡ると、彼女は二拍ほど、何も言わず困ったような表情で肩をすくめた。


「……あなたの乱暴さ 将来なんの役に立つの? 進学先はよりどりみどり 学力自慢の万羽NLの方が役に立つと思わない? / 客観的に見ても 不良の居場所を作るより 進学校のみんながより勉学に打ち込む場を作る方が良いんじゃないかしら」


 九条はそこで身を90度回転させると、客席の方を向いた。


「ねえ? みなさんはどう思いますか?」


 直後、俺がビートを止め、琴姫さんは「試合終了~っ!」と叫ぶ。

 客席からは「ふっざけんなよ」「舐めてんのか」「姐さんの勝ちだろ」「ぶっ殺す」とアマテルズの面子の野次が飛ぶが、それは切見にとってプラスには働かない。むしろマイナスだ。九条の言葉の証左として捉えられかねない。


 ――九条、もしかしてお前、そこまで計算していたのか?


「はいは~い、みんな落ち着いて、判定に移るからね~☆」


 琴姫さんが声を挟むと、アマテルズの面子は口を噤む。


「じゃあ先行っ! kill meが良かった人っ!」


 アマテルズの連中(とマスター)が手を挙げるが、それだけだ。

 広い会場には少なすぎる叫びが虚しく響く。


「後攻っ! 九条が良かった人っ!」


 残る全ての観客が歓声と共に手を挙げる。


「はい、決まりっ!」


 そして琴姫さんが勝敗を口にする。


「Bブロック、勝者は――後攻、九条っ!」

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