B3.FLASH

 ……延長戦。

 なんとか首の皮一枚繋がったようです。

 実力差は明白。一応タネは蒔けたものの、負けたかと思っていました。

 やはりここはプロの現場とは違います。勝機はそこにあります。


「じゃあ先行後攻入れ替わってね。先行がメトロ、後攻が御伽噺だよ☆」


 ふらふらとメトロがこちらへ歩いてきます。なるほど、先行と後攻が入れ替わる関係で、立ち位置も入れ替わるのでした。

 すれ違いざま、メトロが舌打ちをするのに気付きます。

 ふっふー、上等です。


「シャケくん、延長のビートよろ~☆」


 流れたビートを私は知っています。

 たしか曲名は『Ante Up』といいましたか。社家くんが貸してくれた数多のCD群の中に混じっていました。


「Aブロック延長戦っ! 先行、メトロっ! 後攻、御伽噺っ! スタートーっ!」


 正念場です。初めから本気の本気ですけど、ここがホントの正念場。

 相手をよく観察すること。

 観客をよく理解すること。

 そうしてロジックを組み立てるのです。

 目の前の相手に、勝つ。そのためだけに、頭をフル回転させるのです。


「エェエンティアップっ! えぇんちょう戦には賭け金の支払いを求めるぜっ! なあお前らどうして延長にもつれ込むっ? 失敗だろくだらねえ決めろよ一発で!」


 私とメトロとの距離は先程の半分ほど。彼女の方からこちらへと近寄ってきたのです。

 メトロの声には怒りが纏っているのがわかります。

 それはそうでしょう。

 彼女はプロで、私はアマチュア。ずぶの素人と呼んでも良いくらい。

 そんな私と引き分けだと言われたのです。

 彼女自身、先程の試合は勝っていた自信があったのでしょう。

心中、お察ししますけど――思わず、口角をあげてしまいそうになりますね。

 良い傾向です。


「げええぇむじゃっねえっ! でえぇえすまっち! どっちかが死ぬまで 殴り合い 喧嘩だよ探り合い 腹の中まさぐりあい 殺し合いだ! 消すまでデスマッチ現場でデスマッチっ!」


 あぁ怖い。初めて会った時のヤンキーさんのようです。

 けど、すでにそんな恫喝で退く私ではありません。


「え? 殺し合い? そんな物騒なことを言う人は市長にちょいとつまみ出されてほしいですけど 怖い怖い 儚い齢17歳の私には見せられた話ではありませんね」


 社家くんによる地獄の特訓のおかげで、どもることはなくなりました。

 早口でまくしたてるように、けれど滑舌良く大きな声で、フロウもビートもあったものではありませんが、ただただ言葉を詰め込んで相手へと返します。

 大事なのは、そう、言葉でメトロを揺さぶることです。


「果たしてどちらが勝者としてよりふさわしいんでしょう さあ襟を正して決めましょう ここ万羽市図書館 殺すなんて言うのやめましょう 仲良く言葉を交わしましょうメトロさん?」


 要所要所において母音の『おお』にアクセントを置き、観客にライミングを意識させます。少しでもアピールはしておかないと。喋ってるだけなんて思われても損です。


「仲良く? だからたらふく 食ってやるっつっただろっ? ああっ? はっぱっかけても冷静に返すそっこんとこはっみっとっめてっやるぜ / だがただ さながら 馬鹿野郎のように媚売ってるだけにしか見えねえぞまだまだ 打ち込みが足りてねえんじゃねえの? わかってねえな!」


 なるほど、あくまで自分のフィールドで勝負がしたいんですね?

 ならば返してやりましょう。


「わかってないのは貴女の方です しょうがないから教えてあげましょう ここはクラブでもライブ会場でもありません 今日は子供もいますよ 殺し合い打ち込み? はい? どこの話? / 図書館を手にする大事な試合 貴女は売り払うとか? 愛がないですね 野蛮な奴に出番ありません ご愁傷様です はい決まり 優勝はレペゼン万羽市図書館 御伽噺」


 これで残り半分。


「優勝優勝優勝優勝っ! 大層な夢は捨てろ埋葬してやるぜっ! 一回戦であたしと当たったのが失敗だ 運の尽き カウントスリーでノックダウンだよクソ野郎っ! / お前の勝ち ノットファウンド 見つかりません もっと阿吽の呼吸 合わせなきゃ伝わらねえかこの事実? いびーつなビーツへの乗り方 素人丸出しビーフの意味もわかんねえんだろ? 帰れよばーか!」

「はいはいはいはい」


 社家くんが言っていました。有利なのは後攻。

 その意味が身をもって理解できる試合ですね!


「阿吽の呼吸まるで出来てません 訴求する力が貴女にはありません」


 メトロの目がどんどん細くなっていきます。愉快です。


「貴女がロボットなら操縦手の腕が悪いのでしょう 高級品のようですが可哀想ですね」


 私のラップ中だというのにメトロは「何だと?」と口に出して敵意を露わにします。


「脳みそ空っぽ 会話が出来てません コミュニケーションが取れてません 万羽市図書館で文学を学んでください 日本語に対する愛が足りません だからラップもこんなに へたくそ?」


 ずかずかとこちらへ歩み寄るメトロは、ついに鼻先ギリギリまで顔を近づけました。

 一応、暴力行為防止のため、彼女と私の間にはテープでラインが引かれていたのですが、そんなものメトロには関係ないようです。

 マイクを掲げ、彼女が息を吸うと私の顔へ風があたりました。


「回転回転回転してんぞあたしの頭は! 大丈夫快調だ最高だ 最強のあたしがここに証を立ててやるっ!」


 鼻と鼻が、かすかにぶつかります。


「しがないラッパー 見境無くやってやるしかない / いまマイメンがいたらあたしの背中を押す 近場にあるクラブ 40超えてもきっとあたしは未だにマイクを握ってる! あたしはバイブスもスキルも全て持ってる! 負けるはずがねえだろ!」


 さあ、最後です。

 ここまでは計算通りにきています。

 あとは決めるだけ。

 後攻の本当の有利はここ。相手がアンサーを返せない後攻ラストターン。

 ここで、ばちんと、引き込むのです。


「内容だけじゃないです 当然バイブスもスキルも私にはあります 自分だけが本物なんて驕り 最強名乗ってるような態度がその証拠です」


 私に出来ること。私にだけ出来ること。

 ずっとずっと脳に蓄え続けた日本語を、引き出すだけで良いのです。


「愛嬌を内蔵」


 韻を繋げ。言葉を繋げ。


「舌べろ改造して力を倍増した私こそが最強?」


 まだまだ終わらない。


「貴女は敗走 体調はどう? 内向的才能をとうとう今日解放」


 ラスト2小節!


「大どんでん返し これで私の勝ち」


 ばちばちと日の光が煌めきます。


「今この瞬間 私がスーパースターっ!」


 ――言い切ると同時に、体がよろけました。

 たぶん体力が切れそうなんだと思います。ふらふらします。

 いつの間にか、ビートは止んでいます。


「試合、終了~っ!」


 母の声と共に、「わっ」と客席が騒がしくなりました。

 けれど、音も景色も遠くにあって、それがどこか遠い世界の出来事のように思えます。まるで映画を観ているかのようです。その歓声は、ステージ上の私まで届いてきません。


「わあすごい盛り上がりだねっ☆ すぐに判定いくよ~!」


 母が腕を上げます。


「先行、メトロが良かった人っ!」


 客席に上がる手が見えます。


「後攻、御伽噺が良かった人っ!」


 同じく、客席に上がる手が見えます。

 どちらの方が、数が多いのでしょう。声の大きさはどうですか?

 熱が喉の奥から昇って、吐息となって私の口から漏れます。

 暑さのせいで思考がぼんやりとしているからでしょうか。

 歓声も挙手も同じくぼんやりとしていて、メトロと私とでどちらの勝ちなのか、判断がつきません。


「は~い、これは、決まったね!」


 母へ目を向けると、彼女は笑みを浮かべていました。

 彼女は声のトーンをより一層高くして、叫びます。


「Aブロック、勝者は――後攻、御伽噺っ!」


 あぁ、今度の歓声は、確かに私の耳へ届きました。

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