A12.K.U.F.U.


 対策を打つなら、まずは情報収集が基本だ。

 表舞台に初めて姿を見せたのが数ヶ月前だというのに、ネットにはすでに彼女のバトル動画が幾つもアップロードされている。これらを何度も繰り返し視聴し、そのバトルを分析する。


 そして乙戯がAVルームを出た翌日、日曜日、今度は池袋だ。


「うぅ、割と男の人が多いですね……」

「いや、そりゃそうだろ。何言ってんだてめえ」

「女性限定のMCバトル大会だからな。客も女ばかりと予想する乙戯もずれているわけではないだろう。とはいえ、そもそもMCバトルは男社会な面があるし、MCが女だからこそ、というのもある」


 すでにバトル界隈でも有名人となっている、超新星・メトロ。

 おそらく今日の客の中には、彼女のバトルを観に来たという者も多いことだろう。

 その証拠に、第三試合目で彼女が登場すると会場のボルテージは凄まじいものとなった。他のMCに比べ、歓声の量は十倍ほどにも聞こえる。


「目ぇ鼻口から足先まで あたしを目にしてガチガチだぜっ!?」


 勝利。勝利。勝利。

 三度勝利を積み重ね、メトロは決勝に進出する。

 決勝は、以前目にしたのと同じ、新人メトロとベテランラッパーという構図の試合になった。


「挫折と敗北すでに知ってる! 仮説も推測も必要ねえっ! 判決結果あたしの勝ち!」


 宣言通り、会場を味方につけたメトロは、プリンセスMCバトルを制し、優勝トロフィーをその手に掲げた。

 司会にコメントを求められ、メトロは静かに答える。


「数ヶ月前から、バトルに出るようになりました――あ、じゃなくて、なった。敬語の癖が抜けないな……まぁ良いや。あー、バトルに出ようと思ったのは、昔からヒップホップが好きでずっとスキルを磨いてきて、ようやくバトルで自分を試してみようというレベルに達したからだ。超新星なんて呼ばれてるけど、優勝は今日が初だ。純粋に嬉しい。ここからもっと上を目指していこうと思う」


 そこでメトロはだらりと肩の力を抜き、マイクの持ち方を変える。


「しばらくバトルにゃたくさん出るぜ 拡散しろよあたしの強さ 全部勝つ 全部食っちまう怒濤の勢いごぼう抜き サックでワックなMC達は 楽々ばくばく平らげたるわ!」


 歓声に包まれた会場を出ると、乙戯は言った。


「まぁ、あの人は食べられる側なんですけど」


 堂々としたその態度に、俺は嬉しくてたまらなかった。


◇ ◆ ◇


 池袋から帰ってきて、数時間かけてメトロの対策を練った。

 あいつを倒すにはどうすれば良いのか?

 おそらく弱点となるだろうポイントはすぐに見つかった。

 けれど問題は、そこをどう突くかだった。

 誰にでも弱点はある。MCバトルではそこを突くのが定石だ。けれど、だからこそ、弱点を自覚するMCは誰もが防御策を秘めている。素直に攻撃しては躱される。

 工夫が必要だった。

 そしてそのヒントは、メトロ自身を深く分析することにあった。


「だから俺様は真っ向から勝負するっつってんだろ。んな卑怯な真似できっかよ」

「それで勝てるなら良いのだが、お前はこの場所――喫茶『太陽』を守りたいんだろう」

「そりゃそうだけどよ。んでも俺様にもポリシーってもんがあんだ」

「メトロが優勝したらここは売り払うと言っているし、九条は潰して道にすると言っている。乙戯も――」

「まぁ少なくとも、この喫茶店を潰して本棚置いた方が、蔵書が増やせてハッピーですけど」

「だそうだ」

「……おっしゃあ、乗ってやるぜコラあ」


 大会は、メトロに勝って終わりではない。

 乙戯にとっては、九条と切見が残っている。

 切見にとっては、九条と乙戯が残っている。

 二回勝てば優勝という小さな大会ではあるが、それすなわち、メトロを倒したとしても、もう一勝しなければ図書館は獲得できないということだ。

 お互い、ライバルだということは自覚してもらわなければならない。

 そのことを口で伝えると、切見は言った。


「したらよ、他の連中の対策はしなくて良いのかよ」

「お前らはお互いに手の内を知り尽くしているし対策も何もないだろう。全力でやり合えば良い。仮に対策をするにしても、ここでは口にできない」

「ですね。考えたらわかることだと思いますけど」

「おい調子こきやがっててめえ」


「九条に関しては、バトル歴もないし、どんなバトルをするのか見当もつかない。そもそもあいつはヒップホップに興味はなかったはずだしな。ラップの練習をしているのかも疑わしい」

「でも、あの人、基本的に何でも出来ますけど」

「そうだな。だからどうせ、それなりのレベルのラップはするだろう。実力は未知数というのが正直なところだが、甘く見ず、警戒を怠らず、最悪を想定して試合に臨め」

「最悪を想定すると私は死にます」

「すまん。それなら乙戯は深く想定しなくて良い。だが切見はきちんと警戒しておけよ」

「はっ。よくわかんねえけど万羽NLに通ってるお嬢様だろ? んなの俺様の相手になるかよ」

「その態度をやめろと言っている。一応教えておいてやるが、その慢心がお前の弱点の一つだぞ。試合までに治しておけよ」


 メトロの対策が終われば、再び、彼女ら自身のスキルを磨かなければならなかった。

 いくら対策を重ねたところで、実力が伴わなければ意味がない。

 バイブス一つで、意志の強さだけで勝てるのがMCバトルではあるが、それだけで勝負しても勝率が高いわけではない。実力は身につけられるだけ身につけておくべきだ。


 日曜日が終わり、月曜、火曜、水曜――――。

 いつD組の教室を覗いても切見の姿は見当たらなかったし、九条からは「乙戯が登校していないようよ」と連絡もあった。二人とも学校をサボってバトルの練習に励んでいるらしかった。

 それをとやかく言う連中もいるだろうが、そんなもの無視しておけば良いと俺は思う。学業より優先すべきものがあっただけの話だ(出席日数だけは気に留めておく必要はあるだろうが)。


 ライバル意識が強まったのか、木曜になると、乙戯と切見はバトルをしなくなった。

 金曜日、大会前日も同じだ。バトルでなく交互にラップをするだけのサイファー形式で、二人は韻を踏み、ビートに乗った。

 すでに大会の会場である図書館駐車場にはステージが組み上がっており、練習は図書館のホールに場所を移していた。


「明日、戦えるのを楽しみにしてますね」

「こっちの台詞だボケが。殺してやるから覚悟しとけ眼鏡」


 月が空に昇りきった頃、乙戯と切見は、図書館の前でそうして別れた。


◇ ◆ ◇


『やっほ~、シャケくん、明日はよろしくね~』

「ええ、午前中から図書館にいる予定なので、手が必要なら使ってください」

『え~なにそれ助かる~☆ じゃあたくさん使ってあげるねっ! あ、くじょーちゃんだ。電話代わるね~』

「ん、あぁ、了解です」


『……で、なに?』

「いや特に用もないのだが。そうだな、明日の準備は出来ているのか」

『万全だって言っているでしょう。ていうか、そちらこそどうなの。乙戯が学校に来てない件、由々しき事態だと思うのだけど? 学生の本分は勉強でしょう。ただでさえ出席日数が少ない上、成績も良くないのに、どうするのよ、あの子』

「……お前も乙戯の心配をするのだな」

『なに? 皮肉?』

「いいや驚いただけだ。しかし、あいつなら大丈夫だ。むしろ、今の方が以前より健全だろう」

『どこがよ? 健全な要素なんてある?』

「お前も大概だよな。まぁ、九条らしい。明日は楽しみにしておけよ。お前はきっとまだ、大名賀乙戯という人間を知れていない」

『へえ、貴方もそういうことを言えるのね。くだらない。知れていないって、仮にもこれであの子の姉を務めてるつもりなのだけど?』

「これ以上話を続けても平行線だろうし、何より回答は乙戯の口から伝えるべきだろう。続きは、明日だ。じゃあな。よく寝ろよ」

『言われなくとも。おやすみ』


 九条との通話を切る。

 風呂に入って、歯を磨いて、ベッドに身を委ねる。

 カーテンの隙間から差し込む日差しが目蓋を焼き、7月21日、土曜日。

 戦いが始まる。

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