A9.My Name Is


 乙戯と切見のバトルは、毎日、空が赤く染まり出す頃に行われた。

 厳密な開始時刻は決まっていない。

 俺は琴姫さんの依頼で大会の準備を手伝わされたり、CDショップで新譜を購入したりと忙しい(大目に見てほしい。生活の一部だ)。授業を終えて図書館へ向かうまでは日によってタイムラグがあるのだ。二人は俺が到着するまではバトルを始めようとしない。

 バトルを行うのは、きまって図書館の駐車場だ。館内は騒音厳禁だし、喫茶店では狭すぎる。ホールで行うのなら、いっそ外でやろうというわけだ。妥当な線といえる。


「いけっ! 潰せっ!」

「頭からっすよ姐さんっ!」

「アマテルズ舐めやがってあたしが代わりにぶっ殺してやるっ!」

「おら眼鏡テメエの眼鏡かち割ってやるぜえ」


 というような感じで、バトルの判定を務めるアマテルズ構成員共は、初めなかなかに贔屓目が強かったのだが、切見の「公平に審査しねえなら俺様がてめえらを殺してやる」という一言で大人しくなった。さすがボス猿。

 とはいえ、アマテルズの連中の判断基準はあまり優れておらず、どちらかといえば司書の牛谷氏や喫茶『太陽』のマスターの方が信頼に置ける。俺の目にも一方的な試合では、二人は揃って同じ方へ手を挙げた。アマテルズの連中が何故いるのかと問われれば、ほぼほぼ賑やかし以外の意味はないだろう。


 毎日同じ相手とバトルをしていてはネタも尽きるので、バトルにはテーマを定めた。例えば「好きな食べ物」「行ってみたい国」「夏に最適な映画」など、その時その時で適当なテーマを選んだ。この策は功を奏したようで、日々、バラエティに富んだバトルが続いた。

 俺のネタが尽きると牛谷氏の出番だった。嬉々として「ゾウリムシへの想い」とか「お化け屋敷における河童の必要性」とか「恋をしてみたい戦国武将」とか口にして二人に睨まれた。

 二人が怒るのも無理はない。そんな複雑なテーマ、プロでも難しいだろう。

 しかし、どんなネタであろうとも二人はテーマを却下しなかった。牛谷氏の気まぐれに付き合い、頭を捻って韻を踏もうとするのだ。

 実際、本番でも相手がどんな話題を切り出すかはわからないのだから、柔軟性を身につけておくのは訓練として重要だ。二人とも、バトルに対して真摯になってきているものだと思う。


 二人は、バトルの長短がはっきりとしている。

 乙戯は韻を踏むのが得意だ。おそらく長年の読書遍歴で培われた語彙力によるものだろう。巷のラッパーが踏まない韻を踏むので、聴いていて新鮮で面白い。しかし反面、リズム感はあまりあるとはいえない。バトルではついつい話し口調になってしまいがちだし、時折、小節を間違えることさえある。

 切見は、乙戯とは真逆だ。体感でビートアプローチを会得している。初めて耳にしたビートでも、すぐさま乗りこなす。あの感覚は天性のものだろう。しかし、切見のラップに韻や内容が伴っているとはいえない。気を抜くと「あいうえおっ!」とか「パンダゴリラ!」とか意味のない言葉を口にしてしまう。

 全体を伸ばすよりも長所を集中して伸ばす方がバトルでは活きる。

 けれど短所は弱点――つまりディスの対象となる。相手に攻撃材料を与えるのも、なるべくなら避けた方が良い。


「時間は限られている。全てを完璧に仕上げるのは無理な話だ。お前ら、どうする?」


 問いかけると、二人は答えた。


「はっ。苦手なもん気にしたってしょうがねえわ。俺様は長所を磨くぜ」

「わ、私は……相手からあまりディスを受けたくないので……弱点を潰しますけど」


 ここでも対照的な二人だった。


 乙戯の眼鏡が三度も破壊されたり、切見が熱中症で倒れ救急車を呼んだり、なんやかんやありつつも二人のスキルは確かに向上していった。

 決戦まで残り2週間を切り、ようやく、まともに戦える状態までは持って行けたかと思う。


 大会は、8小節4本勝負。判定は観客の手に委ねられる。

 一般的なフリースタイルの大会と違い、万羽市MCバトル大会の観客はヒップホップの客ではない。

 会場には無数の屋台が並べられ、夜には打ち上げ花火も予定されている。大会は、夏祭りのメインイベントという位置づけで行われるのだ。琴姫さんとしては、図書館を賞品とする代わりにここで稼いでおこうという腹づもりだろう。

 だから判定を行うのは、祭りにやってきた万羽市民がほとんどだ。並のラッパーが当たり前だと思っているバトルの前提が通らない可能性もある。出場者はそのことを留意して戦う必要があるだろう。


「それじゃあシャケくんっ! 大会当日はよろしくね☆」


 琴姫さんの一言で、当初の予定通り、バトルDJは俺が務めることとなった。

 多少手心を加え二人の得意なビートを選んでやりたい気持ちはあるが、反面、DJやヘッズとしてのプライドもある。極力、公平なビートにするつもりだ。


「あつい……」


 あまりの暑さに、語彙力は失われている。

 おそらく暑さの原因はアスファルトの照り返しだろう。連日のカンカン照りで、夏の夜闇ではアスファルトを冷やしきれない。

 図書館の駐車場には、人っ子一人見当たらない。つい一週間前まではアマテルズの連中がソフトボールに興じていることもあったのだが、今では彼女らも喫茶『太陽』に篭もるばかりである。アマテルズというチーム名は、おそらくは太陽神であるところの天照大神になぞらえているのだろうに、情けないことだ。


 喫茶『太陽』では、珍しく、乙戯がコーヒーカップを片手にクッキーを囓っていた。


「魚類、汗が湯水のようですけど。あまり近付かないでほしいですけど」


 憎まれ口に言い返す気力もなく、俺は正面へ座りアイスコーヒーを注文する。乙戯は「近付くなって言ったはずですけど」と文句を言った。

 最奥の席にはいつも通り切見の姿がある。「切見」と声をかけると「何だよ」と寄ってきた。

 切見を乙戯の隣へ座らせ、テーブルに置かれていたコショウの瓶を二人の前へ移動させる。


「コショウ……和尚っ! どじょう!」

「路上、塗装、粗相、補導、牛蒡、お香、叙情、旅情、古城、訴状、徒党――」

「乙戯の勝ちだ」

「ふっ。このヤンキー弱すぎだと思うんですけど」

「……おいシャケこら。最近こいつ調子こきすぎじゃねえか。やっぱいっぺん締めてやった方が良いだろ」

「今更だろう。性格がひん曲がっているのだ。大目に見てやれ」

「このままいくと大会も楽勝ですね。開幕早々、私の優勝ですけど」


 まぁ確かに、増長しすぎだとは思うが。

 自信を持つのは良いことだが、持ちすぎるのも良くはない。相手を舐めてかかれば判断を誤る。負けに一歩近付くことになる。

 とはいえ、メンタルの弱い乙戯だからな。あまり苦言を呈してやる気をなくされるのも困る。度を超えない内は放っておくのが吉だろう。


「さて、二人とも、今日は大会へ向けてプロフィールを提出してもらう。事前に伝えておいた通り、MCネームは考えてきたか?」


 MCネームというのは、ラッパーでいう芸名のようなものだ。本名では箔も面白みもないからな。大会ではMCネームを使ってもらう。


「おぉ、考えてきたぜ」


 切見は、俺の言葉にすぐさま反応した。


「Kill me だ!」

「……自殺志願か? 笑顔で答える辺り狂気が宿っているな。悩みがあるなら相談に乗るぞ」

「ちげえよボケ! 『俺様を殺してみろ! 殺せるもんならなあ!』てな意味だよ! あと俺様の名字にかけてんだ!」


 本人がそれで良いと言うのなら、俺が口を挟む権利はないか。好きにさせておこう。


「乙戯はどうだ」

「……ん、私は、あの」

「お、お? こいつこんだけでかい口叩いといてまだ考えてねえのか! はっ! 根暗女はやっぱ口だけだなあ! 口しか出せねえ結果残せねえクソカスタコボケナスっ!」


 意趣返しのつもりか、以前口にした乙戯の言葉を借りて切見が罵倒する。

 乙戯は切見をきっと睨むが、事実、MCネームを用意できていないらしく、言葉にして言い返すことはない。


「い、いくつか考えてはきたんですけど。どれもしっくりこなくて……」

「言ってみろ」


 あまり気乗りしない様子で、乙戯は鞄から一冊のノートを取り出す。ぱらぱらとページをめくり、あるところで手を止めると、「一番良いと思ったのはこれです」と指さした。


『婉娩聴』


「読めねえ」

「えんべんちょう。元々、『しとやかでやさしく目上の人の話をよく聞いて従う』という意味の『婉娩聴従』って言葉があるんですけど……あの、私、戦いに行くんだし従うのは良くないかなと思って、『従』をとってみました」

「目の付け所は悪くないが、お前はしとやかでもやさしくもないぞ」

「え? 何でそういうことを言いますか?」


 ノートに書かれた他の単語を拾うと『しのぶ』やら『アメフラシ』やら。前者は微妙だが、後者は字面自体は悪くない。


「このアメフラシというのはどうなんだ」

「私、アメフラシ気持ち悪くて嫌いなんですけど」

「何故書いた」

「えっと、『龍の子は小さしといえども能く雨を降らす』という言葉があって、才能ある人は幼い頃から頭角を現しますねって意味で……それに比べて……私は……うぅ……」

「何故書いた」


 本格的に行き詰まっているな。もはや選定基準すら失われている様子だ。


「切見になぞるわけではないが、名前そのままにしたらどうだ。『乙戯』という響きは悪くない」

「ホントですか?」


 乙戯は僅かに目を輝かせるが、すぐにテンションを落とす。


「……ああでも、その、本名のままステージに上がるのは少し恥ずかしいといいますか……多少なりとも捻りたい気持ちも捨てきれませんし」


 面倒くさい奴だな、本当に。横で切見が「ぁああああ」とうなり声を上げる。


「だったら『おとぎばなし』で良いじゃねえかよ。おら、捻ってやったぜ」

「おとぎばなし……?」

「――確かに、乙戯らしいといえばらしい。お前、物語は好きだろう。ひらがなでなく漢字で書けばそれなりに箔もある。御伽噺=伝説と捉えれば、言葉通りレジェンド感も出るぞ」

「御伽噺」


 ぼそりと呟き、乙戯はそれで口元へ笑みを浮かべた。


「そうですね。悪くないです。これにします」


 切見夜音、MCネーム『Kill me』。

 大名賀乙戯、MCネーム『御伽噺』。


 こうして、二人のMCネームが決定した。


◇ ◆ ◇


「というわけで、これが乙戯と切見のプロフィールです」

「シャケくんありがと~☆」


 琴姫さんへ二人のプロフィール表を手渡す。

 プロフィールとはいっても、MCネームの他には、記載項目は『賞品の使い道』と『バトルに向けた意気込み』しかない。あとは写真が一枚貼られているだけ。あくまで客へ向けたプロモーションが目的だ。


「うんうん、こういうの見るとみんなラップするんだなあって気がするね。当日が楽しみ~☆」

「結局、出場者は何人になったんですか」


 先週の時点でエントリー締め切りは過ぎている。

 出場者はすでに決定しているはずだ。


「四人だよ~?」


 少なっ。


「その人数で良いんですか?」


 乙戯たちには朗報だろうが、大会としてそれで良いのかという想いがある。

 乙戯、切見、九条。これで三人だから、参加者は残り一名しかいないことになるぞ。


「良いの~。そもそもMCバトルの大会を観に来る人なんて万羽市にはあんまりいないと思うし? 集客は屋台とか花火で出来るしね☆」


 だったらどうして大会を開くのかと問いただしたくなる。

 琴姫さんは「うふふ~」と笑ってさらに言葉を続けた。


「それでもね、私は楽しみなの。だから、シャケくんも楽しみにしててね?」


 意味深に言う琴姫さんは、俺がヒップホップにハマった経緯など全て心得ている。

 そのままの意味で『楽しみに』というわけではないだろう。


「しかし、俺に、何か変化は現れるんでしょうか」

「そうだね~。シャケくんはまだ若いんだし、変わらない人間はいないんじゃないかな~?」


 琴姫さんらしい、適当な物言いだな。


「あまり期待はしないでおきます」

「あはは、それでこそシャケくん。じゃ、次は大会のポスターが出来たら連絡するからね☆ 町中に貼るのを手伝ってもらうから、そのつもりでいるよ~に!」


 その言葉に「了解です」と答え、俺は琴姫さんの部屋を出る。

 と、廊下の先から歩いてくる影が見えた。


「あら、来てたの」

「あぁ、琴姫さんに用があったからな」


 九条の額には、僅かに汗が滲んでいた。

 屋内で、しかも九条が汗をかいているというのは珍しいことだ。


「どうした、ラップの練習でもしていたのか」

「いえ、食事をしていただけよ。辛いものは苦手なの」

「……不安になってきたのだが、ラップの練習はしていないのか? 大会は大丈夫なのか」

「心配は無用よ。つつがなく、優勝はするつもりだから」


 さすが九条、平然と口にする。

 九条は俺たちよりも一学年上だ。今年は大学受験を控えている。あまりラップの練習をする時間もとれないだろうに。

 ――あぁ、いや、推薦入学を狙うつもりなら、そうでもないのか? そもそも頭の出来も違うしな。


「そういえば、私と話していて良いの? 貴方にとってみれば、私は敵にあたるのでしょう」

「どういう意味だ」

「乙戯に稽古をつけているから」


 あぁ、知っていたのか。


「なんだ、お前も稽古をつけてほしいのか?」

「いえ、結構。自分一人で十分よ」


 ――まぁ、こいつはそう答えるだろうな。

 乙戯や切見とは違う。仲間はいない。必要としていない。いるのは、上司や部下だけだ。


「その顔、何か言いたそうだから、察して答えてあげるけど」


 九条は、淡々と言葉を続けた。


「大名賀家長女、大名賀九条。あいにく、この名前にも、立場にも、私なりに誇りを持っているのよ」


◇ ◆ ◇


 7月13日、金曜日。大会当日まで、残り8日。

 朝から、どうにも気が乗らなかった。空は曇り、夏が迫っているなか僅かに肌寒さを覚える気温に、異常を感じ取っていたのかもしれない。

 授業が終わると、D組の切見へ声をかける暇もなく、『ポスター出来たから取りに来て~☆』と琴姫さんに呼ばれて市役所へ顔を出した。


「万羽市立高校に15枚。商店街に15枚。あとは適当に図書館や街中に20枚。頼んだぞ」


 そう言って、父から封筒に入れられたポスターを渡される。ずしりと重みを感じるそれを鞄へ突っ込み市役所を出る。

 薄暗い天気に「一雨きたらポスターが濡れてしまうなあ」と懸念したのだが、いつになっても雨の降る様子はない。

 近場から始めようと高校へ戻り、職員室で許可をもらって一階の掲示板前へ移動。

 鞄を床へおろし、封筒からポスターの束を取り出す。

 ポスターの上部にはでかでかと『万羽市MCバトル開催っ!』と書かれ、各出演者の写真とプロフィールが十字に区切られてデザインされていた。


 エントリーNo.1、MCネーム、九条。

 賞品の使い道『図書館を潰して万羽NL学園まで駅前から道路を引きます』。

 バトルへの意気込み『優勝します』。


 エントリーNo.2、MCネーム、Kill me。

 賞品の使い道『建物をアマテルズの溜まり場に改造する』。

 バトルへの意気込み『俺様が全員ぶっ殺してやるから見とけ!』。


 エントリーNo.3、MCネーム、御伽噺。

 賞品の使い道『素敵な図書館にします』。

 バトルへの意気込み『頑張ります』。


 三人目までは俺も知っていた。

 けれど問題は、四人目の出場者にあった。

 琴姫さんの言った「楽しみにしててね」という言葉は、まさか、単純に、こういう意味だったのか?


「おっ。シャケ。なんだそりゃあ。俺様の写真がのってんじゃねえか」


 背後から切見に声をかけられ、その眼前へ黙ってポスターを突きつける。


「なんだよ、邪魔くせえ。見ろってのか?」


 受け取った切見は、ポスターを注視すると言葉を放った。


「こいつの顔、俺様見たことある気がすんぜ」

「覚えていなかったらさすがに出場を取りやめろというレベルだな」


 特徴的な癖の強い茶髪。深く被ったキャップ。苛立たしげな表情。

 それはまさしく、数週間前に渋谷で見た顔だ。


 エントリーNo.4、MCネーム、メトロ。

 賞品の使い道『売っ払って金にする』。

 バトルへの意気込み『負けるわけねえだろ』。

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