A7.SUPANOVA


 電車に揺られて2時間弱。渋谷駅に到着すると、ハチ公の横を抜けて道玄坂を上る。

 ごった返す人混みに切見は苛立ち、乙戯は不安げに俺の服の裾を握りしめている。

 普段の乙戯を思えば、渋谷の街中を歩けているだけで上出来だ。そのままにさせてやる。

 坂を登り切ったところで脇道に入り、やがて会場に到着。入り口では、すでに客が列をなしていた。客の九割は男だ。若い人間ばかりかと思えば、年をとったのも幾つか混じっている。


「ほ、本当にここへ入るんですか? 今からでも引き返せると思うんですけど。きっと入ったら非道いことされると思うんですけど。身ぐるみ剥がされて海外にポイですけど」

「創造力豊かだなあ、てめえはよお」


 怯える乙戯に切見が舌打ちする。

 短いながらも時間を共に過ごしているからだろう、この二人も出会った頃よりは距離が近付いたようだ。まだ切見の顔を見て話せはしない乙戯だが、たまに小声で言葉を返せてはいる。まったく口をきけなかった時の事を思えば大きな前進といえるだろう。


 入り口へと続く列の最後尾に並ぶと、途端に手持ち無沙汰になった。いや、俺はスマホをいじっていれば良いのだが、切見と乙戯は暇の潰し方というものを知らないようだ。確かに、二人とも機械には疎く見える。まぁ、空いた時間は有効的に使おう。


「お前ら、予習はどのくらいしてある」


 二人には、今日までの課題として、ヒップホップのクラシック音源をひたすら聴きまくること、そしてMCバトルの試合をひたすら観賞することを言い置いてある。そのための円盤はそれぞれ大量に貸してやった。


「とりあえず借りた分は全部聴いたし観たぜ。よくわかんなかったけどな」

「わ、私も一通りは終えましたけど。それがどうかしましたか。もしかして嘘かと疑ってますか。心外なんですけど」

「意味なく敵意を見せるな。まぁそれなら上々だ。さすがに韻やフロウは理解できただろう」


 乙戯は頷くが、切見には「何だよそれ」と返される。駄目だな、こいつは。


「韻というのは、つまりは母音の一致だ。切見、まず母音はわかるのか」

「わかるぜ。これだろ」


 切見が乙戯の胸を親指で示す。乙戯は慌てて腕を胸の前へやった。


「違う。真面目にやれよお前。母音というのは――そうだな、例えば『切見夜音』であれば母音は『いういおうえ』となる」

「なんだそりゃ。赤ちゃんかよ」

「言葉を全て『あいうえお』に置き換えるんだよ。おい、乙戯、試しに『いういおうえ』で韻を踏んでみろ」

「え、えーと、『憎い皇帝』とかじゃ駄目ですか。あ、これだと七文字……ひ、『低い木目』?」

「何も正確に母音を全て踏む必要はない。前者で十分だ。バトルでは、韻を踏むだけでなく、やることは他にもたくさんあるからな。例えば、韻を踏むだけ踏んで意味がまったく通っていないのは問題ありだ。ディスの標的になる。相手のラップにはきちんとアンサーを返しましょう、という話だな」

「ん、んー、聞き慣れない単語が、多いんですけど」

「俺様はなんとなくわかったぜ?」


 切見が見栄を張るのを無視して言葉を続ける。


「フロウというのは、抑揚の付け方をいう。メロディに近いだろうか。例えば、『切見夜音、憎い皇帝』と普通に話すのと、『切見? 夜音? 憎い皇帝?』と、所々区切ったり語尾を上げたりするだけで音が面白くなる」

「お、それはマジでわかるぜ。確かにそうだ」

「じ、実践するのは難しそうですけど」

「練習あるのみだな。とりあえず今日は観てお勉強だ。一字一句聴き逃すなよ」


 そんなことを話していたら、いつの間にか開場だ。

 じりじりと歩を進め、独特の臭いの漂う会場内へと入る。


◇ ◆ ◇


 本日の大会は、十六名のトーナメント戦だ。負ければ即敗退。一回戦ごとに出場者は半数となり、四回勝てば優勝だ。

 知名度はあまり高くないが、出場者は若手からベテランまで揃っており面白い大会だと思う。


「勝敗の判定は、観客が決める。勝ったと思う方に手を挙げろ」

「え、えぇ、そんなので良いんですか。責任重大なんですけど……」

「難しく考えなくて良い。評価の価値基準なんて、観客それぞれだからな。とにかく韻を踏んでる奴を評価したり、フロウが面白い奴を評価したり、あるいはアンサーの是非だったり、かと思えばパンチライン一発で持っていかれたりな」

「パ、パンチライン……?」

「あぁ、なんというか、強烈な一言とでもいえば良いのか。対戦相手や観客へもの凄く響いた言葉のことだな。『これを言われるのは痛いだろう』と感じたら、それがパンチラインだ」


 そこで、ふいに照明が落ちる。観客が静まる。

 再び会場が光を得ると、スポットライトはステージ上にだけ注がれている。


「渋谷、戦国MCバトル、始めるぜ~~~~っ!」


 ステージに立った司会進行役の有名ラッパーが叫び、観客も呼応するように声を張り上げた。

 まずは観客を盛り上げるべく、ライブが始まり、それが終わると、司会によるルール説明だ。先ほど乙戯に語ったような内容が、より丁寧に伝えられる。


 本大会、出場者の中の本命は間違いなく、『シャレパンダ』だろう。

 シャレパンダは一人のラッパーではない。シャインとサグ・ビッグとで構成される2MCのラップユニットだ。数多くの名曲を手がけ日本語ラップ界のレジェンドと称される二人だが、かつては共にバトルの常連だった。抜群のスキルと存在感ある立ち振る舞いが観る者を楽しませる。近年はバトルへの出場は少なく、メディアへの露出が目立つ二人だ。

 二人はトーナメント表の両端に配置されている。他のラッパーには申し訳ないが、おそらく決勝は二人の一騎打ちとなるだろう。見たところ、経歴の長いラッパーの中には彼らを止められそうな者はおらず、あとはほぼ無名の若手ばかりだ。


 一回戦。初戦はシャレパンダの片割れシャインと、KUMAというラッパーのバトルだ。

 じゃんけんに負けたシャインは先行。ビートの始まりと同時に大きく叫んだ。


「よお観客たち元気か イェイエ! 高速ラップ きっかっしてやるぜ! 頭かーらケツまで 刹那的で劇的! フリースタイル熱烈 激烈にデスデス!」


 猛烈な勢いと熱気に、会場中が茹で上がる。

 みれば切見は腕を振り上げて歓声をあげ、乙戯もシャインの姿に強い視線を向けていた。


「マイクチェックてすてす えすえむーで例えりゃ俺がS? 当たり前 あたりさわりない言葉じゃねえ バチバチバチとー攻めてくシャインっ!」


 以上で8小節。輝くレジェンドの姿に怯んでしまったのだろう、対戦相手のKUMAは自分の番が回ってきたのにも気付かず、一瞬、間を空けてしまった。


「――つまりつまり これが俺 俺のやり方!」


 勢いづけて誤魔化すが、それも見抜かれている。


「てめえ雑魚 あっそう どうせ そんなことしか言えねえ チンケなラッパー 死んできなっ!」


 そう返されてしまい、技量の差で、あっさりと――、


「勝者っ! シャインっ!」


 こうなってしまう。

 しかし負けたKUMAは笑顔でシャインと握手、会場を去って行った。爽やかなものだ。KUMAにシャインへのリスペクトがあるがゆえだろう。


 ……少し思いつき、ひゃっほおと奇声を上げる切見に問う。


「お前、どっちに手を挙げた?」

「両方」


 こいつは駄目だ。


「じゃあ、乙戯、お前はどうだ」

「い、いえ、どう見ても先行の禿げた人の勝ちだと思ったので、そちらに挙げましたけど」


 やはり乙戯の方が見込みがあるな。一安心だ。


「あのハゲ――シャインは優勝候補の一人だ。このまま勝ち進むだろうからよく観ておけ」

「は、はぁ、そうなんですか。言われなくても観ますけど」


 二試合、三試合、四試合。五、六、七、八試合。それでようやく一回戦が終わる。


 やはり大会というのは面白く、無名な中にも実力者が大勢眠っているのを知れる。

 一試合目を制したシャインと八試合目を制したサグ・ビッグは言うに及ばず、三試合目の双頭と六試合目のメトロも、二人に届くか否やという逸材だった。特に後者は、ラッパー界には珍しい女性――フィメールラッパーである。無名なMCが頭角を現す姿というのは、観ていて気持ちが良い。


 二回戦が終わり、準決勝。残ったのは予想通り、シャイン、双頭、メトロ、サグ・ビッグの四名となった。


「今更な感想ですけど……」

「どうした」

「あの人達は、即興であれをやっているんですね」


 本当に今更だなあ、と思いつつ、その言葉の意味も理解できる。

 あれを即興でやっている? 本当に?

 画面越しに彼らの試合を観ているうちは疑いを抱いてしまうが、こうして現場で、生で彼らを観ると否応なくわかってしまう。彼らは、確かに即興であれをやっているのだ。


 だが、しかし。


「全てが全て、即興なわけではない」

「ど、どういう意味ですか?」

「例えば、お前が先行だった時のことを考えろ。バトルが一つの会話だとするなら、その会話を切り出すのは自分だ。となれば、自分の得意な話題を準備しておくことはできるだろう。後攻だってそうだ。なにも8小節のあいだ、ずっとアンサーを返しているわけではない。用意しておいた韻を吐く隙間はある」


 だからこそ、常日頃から韻を自分の中に蓄えることが重要になるのだろう。四六時中ラップ漬け。頭の中を韻だらけにするのだ。


 準決勝の一試合目が終わる。双頭が敗北し、勝者はサグ・ビッグだ。双頭も善戦したが、サグ・ビッグの研ぎ澄まされたスキルには敵わなかった。


 二試合目、シャイン VS メトロ。

 レジェンドの一角・シャインと、期待の新鋭・メトロとのバトルだ。

 先行はシャイン、強烈な癖毛をキャップで隠したメトロは、自分のターンが回ってくるまで微動だにしなかった。

 しかしシャインが口を閉じ、スクラッチが鳴った瞬間、彼女は吠えた。


「あぁぁあああ大体40点っ! さいっだいでも60点っ! あたしなら百点満点 ロートルこの勝負どう取るっ!? /爽快だな超快感だよ あたしは夜を徘徊する妖怪 再会首切るお前は後悔 こんなもんでどうだい老害っ!?」


「……は」


 上手すぎて笑ってしまう。なんだそれは。


 今までずっとその牙を隠してきたのか? ……いや、むしろここで全力を出すために、強敵シャインを倒すために、ずっと『蓄えてきた』のか。

 弱点があるとすれば、若干意味が通っていないところか。

 しかし、それにしたってライミングやビートアプローチが上手すぎる。『おおあい』や『あいあい』を織り交ぜてここまで面白く踏まれたら誰だってテンションが上がる。

 致命的なのは、シャインもラッパーとしては同じタイプだというところだろう。言葉の意味よりもライミングやフロウに命を賭けるタイプだ。

 この大会において、これまではシャインがその最上級だったのだが――、


「――チョーさんぎょーさんおったとしても ここでは俺の勝ちだと言うなあ! もう降参かなお嬢ちゃんっ!?」


 今この場において、シャインはメトロの下位互換と化した。

 当たり前のように、シャインも上手いラップをするのだ。

 しかし、対するメトロがそれを上回っている。


「おっさん国産ラップの中じゃーなかなか良い感じじゃんか何か でもチョーさんぎょーさんこーさんとかちょー寒くて散々 観てらんねえっ!」


 一切の甘えを捨て、怒濤の勢いで韻を重ねてゆく。


「よおっ! この弾丸ばんばん がんがん啖呵切って責めてく人生っ! お前は小せえ! 調子いいぜ あたしが超新星っ!」


 結果を見るまでもなかった。

 メトロが口を閉じた瞬間に、会場中から爆音の歓声が巻き起こった。

 彼女はステージ上で輝いていた。この瞬間のために努力を重ねていたことがよくわかった。

 やはりラッパーというのはこうでなくては。

 だからこそ俺はその姿に理想を抱いてしまうのだ。

 どうして俺はああじゃないのか、ああなれなかったのかと、自分の中に何かを捜してもがいてしまうのだ。


 内容に重きを置くサグ・ビッグとは相性が悪かったのだろう、惜しくもメトロは決勝戦で敗北してしまったが、この大会のMVPは間違いなくメトロだった。

 ここで、メトロというラッパーの存在を知れて良かった。

 そしてそれは、乙戯や切見にとっても同じことだろう。


「乙戯。MCバトルがどういうものかわかったか?」

「わかりましたけど、でも、あ、あれを私にやれというのは……その……」

「なにもメトロやサグほど上手くなる必要はない。あいつらはプロ、お前の対戦相手は、所詮、こいつみたいなアマチュアだ」


 俺が切見を指さしてやると、乙戯は幾分か表情を緩めた。


「なるほど。少し安心です」

「おぉお? そりゃあワンパン案件かコラア……」


 会場を出て、渋谷駅へ。

 電車に揺られて万羽市へ戻ると、時刻はすでに夜の9時だ。

 昼間とは打って変わってアルコールの臭いに支配された駅前商店街を抜け、喫茶『太陽』へと入る。趣味でやっているような店だ、こんな時間まで営業をしているのはマスターの気まぐれだろう。

 空いた腹に、マスター手製のなすカレーが沁みる。三人揃ってあっという間に平らげ、食後のコーヒーを口に含んだ。


 さて、せっかく熱に浮かされたのだ。

 切り出すなら、早い方が良い。


「二人とも」

「はい」「なんだよ」

「もう十分だろう。さあ、今すぐバトルを始めるぞ」


 切見は「おっしゃあ!」と叫び、乙戯はやはり「ひぇっ」と短く悲鳴を上げた。

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