A2.居場所


 九条から連絡があったのは、新年の挨拶をして以来のことだったかと思う。


『大会の件、母から聞いてる?』


 短いメッセージだった。冷たく感情の篭もらない、九条らしい内容だ。

 風呂上がりのオレンジジュースをぐいと飲み干し、『大会の件』とやらに思考を巡らすが、どうにも心当たりはない。

 仕方なしに『特に聞いていない』と返すと、九条からの返信はすぐにあった。

 返信にメッセージはなく、画像が一つ添付されているのみ。壁に貼られた紙切れを正面から捉えた写真だ。


『万羽市MCバトル大会開催のお知らせ』


 紙切れにはでかでかとそう書かれていた。

 ……MCバトル?

 不思議に思い続きを読み進める前に、九条からさらにメッセージが届く。


『読めばわかるわ。貴方も巻き込まれるだろうから、先に教えておいてあげる』


 なんとも押しつけがましいことだ。ヒップホップに関することならば俺がなんでも喜ぶとでも思っているのだろうか。


「……悔しいことに、事実その通りではあるのだが」


 俺は『ありがたい』とメッセージを返すと、シャツの袖に腕を通し、下にジャージを穿く。

 その間、スマホは音を立てぬままで、九条はそれ以上メッセージを送ってくるつもりはないらしいとわかった。

 ふう、と息を吐き、ベッドへ腰掛ける。

 送られた画像を拡大すると、上から順に目を通していく。



  開催日 :2018年7月21日 17時~

  開催場所:万羽市立図書館駐車場

  参加資格:万羽市在住の18才以下の女性

  優勝賞品:万羽市立図書館(土地の権利書付き)

  ・参加希望の方は、万羽市市役所にて6月29日まで受付。みんな応募してね☆

  ・ルールの詳細は後日発表だよ! お楽しみに!


                         万羽市市長 大名賀琴姫



 MCバトルと書かれているのは、ラッパー同士がトラックに乗せてフリースタイルでラップをしあう、あのMCバトルと考えて間違いないだろう。

 それを、18才以下の女性――おそらくは女子高生同士でやらせる?

 さらに、賞品は図書館? 何故? そんなことが可能なのか?


「ふ、ふ」


 自然と笑いが漏れた。無茶苦茶だ。さすがお姫さま。

 他の人間ならば不可能だろうし、思いつきもしないだろう。

 けれどあの人なら、このくらいやってのけてもおかしくない。

 まったく、どうやって承認を通したのか。


 九条が俺にこの画像を送ってきたのは、「貴方が母をそそのかしたんじゃないの?」と問いかける意味合いもあったのだろう。

 九条にも俺の趣味は知られている。おそらく、もしそうであれば脅迫材料にでもしてやろうという魂胆だ。恐ろしいことだ。


 自室を出てリビングへ入ると、父がソファへ寝そべってテレビを眺めていた。右手には缶ビール、ちびちびと晩酌をしていたようだ。その背中へ言葉を放る。


「親父、これ知ってるか」


 背後からずいと父の目の前へスマホの画面を持っていってやる。酔いが回っているのか、しばし間を置いた後で、万羽市役所の職員を務める父は「あぁ知ってるが」と答えた。


「何故、俺に教えなかった」

「あえて言う必要もないだろう。お前は出られないんだし」

「それはそうだがな」


 その事実が俺にとってどれほど複雑な想いを抱かせるのか、この父は知りもしないらしい。

 仮に俺が女性だったとして、信念を持たないゆえにラッパーになれないこの俺が、はたして大会に出場できるのかという話だ。


 とりあえず脳天気な父には腹が立つので、俺はその手から缶ビールを奪うと、ささっと洗面台へ残りを流してやった。

 父は仰天して「何をする、佐良助!」と声を荒げるが、知らん知らん。そそくさとリビングから自室へと戻る。

 ベッドの上へ倒れ込み、スマホを取り出すと、ちょうどメッセージが届いた。

 差出人欄の名前は、大名賀琴姫。我らがお姫さまだ。


◇ ◆ ◇


「シャケくん久しぶり~☆ え、リアルでは何年ぶり? 20年くらい?」

「20年前だと俺は生まれてないです」


 俺が冷静に返すと、琴姫さんは「うっふふ~~」と身を捻った。

 20年というのは言い過ぎにしても、記憶を遡ってみると、俺が大名賀邸に足を踏み入れたのは7年ぶりになるらしい。小学校低学年の頃にヒップホップにハマり、家へ引き籠もるようになって以来のことだ。

 相変わらず大名賀邸は馬鹿でかく(例えば玄関ホールでは小さなコンサートが開けるレベルだ)、母一人娘二人が暮らすにはあまりにも広すぎる。あぁ、確か家政婦も数人住み込みで働いているんだったか。それにしても、精々六人だ。この屋敷なら数十人は暮らせるだろう。


「MCバトル大会の話って、シャケくん聞いてる?」

「九条からポスターを見せてもらいました」


 琴姫さんが「まっ珍しっ」と両手を広げる。


「あ、でもそっか。あの子も無関係じゃないし、味方は増やしとこうって魂胆なのかな~」


 どういう意味だろう。俺が沈黙すると、琴姫さんが察して言葉を続ける。


「くじょーちゃん、大会に出場するの。凄いでしょ~」


 あぁ、そういうことか。


「しかし九条はヒップホップを聴かないでしょう。一体どうして」

「さあね~? 優勝賞品が欲しいんじゃない?」


 にやにやと笑う琴姫さんは、明らかに事情を知っている風だ。意地の悪い顔をしている。

 気にはなるが、どうせこの人を突いても情報は出てこないだろう。こんなノリでも根は頑固だ。言いたくないことは言わない。


 それでね、と琴姫さんが再び口を開く。


「シャケくん、大会に関わりたいよね?」


 九条同様、見透かしたような言葉選びだ。俺を呼びつけた理由はどう考えてもこれだろう。

 俺が「もちろんです」と答えると、琴姫さんは高笑いと共に言葉を続けた。


「シャケくん、そしたらさ~、大会の実行委員やってみる?」

「はい、やりますよ。具体的に何をすれば良いですか」

「シャケくん話が早くて助かる~。うん、実はね、まだ出場者が一人しかいなくて、このままだと開催が難しいの。シャケくん、参加者集めてきてくれないかな?」


 一人きりの出場者というのは、先ほどの話からして九条のことだ。


「締め切りまで時間はあるでしょう。焦ることはないんじゃないですか」

「ヒップホップに興味のある女の子ってあんまりいないと思うんだ~。賞品もね~、図書館欲しいかって言われると微妙でしょ? うちの図書館しょっぼいし?」


 万羽市立図書館。

 大昔に足を運んだ覚えはあるが、確かにこの屋敷よりも建物は小さかったような気がする。蔵書もあまり充実しているとはいえなかった。

 とはいえ、仮にも市立図書館だ。土地も建物も、売り払えば結構な額になるだろう。

 そう琴姫さんに言ってみると「女子高生には物件の売買ってイメージしにくいよね~」と。そんなものだろうか。


「まぁ承りました。そのくらいならお安いご用です。というか、実行委員の仕事というのはそれだけですか?」

「あはは、そんなわけないでしょ~? 当日のDJもよろしく。あと大会のルール決めもね。もしかしたらお客さん集めとかも相談するかも~」

「……なるほど。俺の仕事、多いですね」


 男子高校生に任せる作業量ではない。


「シャケくんならできるよ☆ あ、参加者集めるのはね、ひとまず図書館に行ってみると良いよ。誰か、いるだろうしね~?」


 琴姫さんは『誰か』という部分をいやに強調する。どうやら心当たりがあるのだろう。

 俺は琴姫さんの命に従い、大名賀邸を去った。


◇ ◆ ◇


 万羽市立図書館は、駅前商店街を抜けた先のT字路に寂しくそびえている。

 手前に広めの駐車場が位置しているせいで、入り口は道路から程遠く、茂った草木も相まって建物は近寄りがたい雰囲気を放っていた。駐車場は仕方ないにしても、雑草やなんかは掃除する人間がいないものなのだろうか。


「暑い……」


 燦々と照りつける太陽がアスファルトを焼いているせいか、駐車場へ足を踏み入れると、むわっとした熱気が俺を襲った。陽炎で遠く図書館が揺らめいている。

 三桁は停められるだろう駐車場に、存在する車は二台のみ。土曜だというのに、客は相当に少ないらしい。

 吹き出す汗を右手で拭いながら懸命に歩を進めると、やがて建物の入り口へ辿り着いた。


 扉を開くと幾分か冷えた空気に身を包まれるが、設定温度はあまり高くないのか、心地良さを覚えるには至らない。

 閑散とした小ホールの右手には併設された喫茶店、左手には図書館のゲートがあった。ゲートの奥には二階に上がる階段が設置されており、そのさらに奥にはトイレが位置している。

 喫茶店の扉はすりガラスとなっており、客の入りはこちらからではわからない。まずは琴姫さんの言う図書館からだろう。


 ゲートへ歩み寄ると、そこにICカードの読み取り機が設置されているのに気付いた。おそらくは入館証のようなものが必要なのだと思われるが、俺は所持していない。ゲート横の受付には誰もおらず、助けを求める相手もいなかった。

 まぁ良いかとゲートを通ると、案の定、びーびーと警報が鳴り響いた。その音が思いのほか大きく、少し身構えてしまったが、どうしようもないので構わず図書館の中を進んでいく。

 すると本棚を二つほど抜けたところで「おやおや」と一人の青年が現れた。ようやく第一村人の登場だ。


「どうしたの。珍しいね。お客さんかな?」


 青年の服装は、スラックスにワイシャツ、首にはカードをぶら提げていた。カードに記載されている情報を見る限り、彼は図書館司書らしい。名は『牛谷』とある。


「客ではありません。少し野暮用があるのです」

「ううん? お客さんじゃないのに、こんな場所に用事? どういうことだろう……あ、今更だけど、入館カードないなら勝手に中へ入らないでね」

「それは、司書のくせに受付にいないそちらにも非がありませんか」


 そう訴えてやると、牛谷氏は苦笑して「じゃあとりあえず入館カードを作ろうか」と続けた。

 受付に戻り、書類へ住所やら氏名やらを記載して牛谷氏へ突きつける。牛谷氏は「はいオーケー」とそれを取ると、受付に置かれたPCの前へ座った。


「入館カードを用意するからちょっと待っててね」


 牛谷氏がPCを操作する。書類に記入した内容を打ち込んでいるのだろう。『ちょっと待ってて』と言うからそのまま放置されるのかと思いきや、牛谷氏は器用にキーボードを叩きながら話を始めた。


「それで? こんな場末の図書館に用があるって、もしかして例の大会関連かな?」

「はい、その通りです。参加者が足りていないので募りにきました。残念ながら、貴方は出場できそうにありませんが」

「見ての通り、男だし、成人もしてるしねえ」


 牛谷氏が笑う。


「ま、それなら喫茶店の方へ行ってみると良い」

「喫茶店? そこに誰かいるのですか」

「説明するよりも行った方が早いよ。なんなら僕も一緒に行こうか? ちょうど昼飯を取ろうかと思っていたところだ。入館カードの登録も――はい、いま終わった」


 たんっとキーボードを叩くと、牛谷氏は引き出しからカードを取り出してこちらへ差し出す。


「ありがたいですが、他にも司書はいるのですか」


 カードを受け取りながらそう言うと、


「いないよ。僕一人」

「ここが空になります」

「どうせ誰もこないし」


 それで良いのかと不安になるが、当の図書館司書が言うのだから口を挟む余地はない。俺は牛谷氏に続いて、喫茶店の扉をくぐった。

 店内は左手にカウンターがあり、そこでマスターらしき女性が新聞を読んでいた。年の頃は二十代中盤というところだろう。

 カウンター以外には、テーブルが四つ。それら全てが女子高生で占められていた。牛谷氏は『場末の図書館』と言っていたが、盛況だな。パンチパーマだったりスカートが妙に長かったりと、女子高生がみなガラが悪いのは気になるところではあるが。

 彼女らは俺たちが店内へ入っても無反応に談笑を続けていたが、マスターが「その子は?」と牛谷氏へ言葉を放ると、揃ってこちらへ目を向けた。興味の目ではない、敵意の目だ。


「こいつらはどうしてこちらを睨むのでしょう」

「それが彼女たちのアイデンティティなんだよ。許してあげて」

「なるほど」


「おうおうおうおう」


 一番手前に座っていた女子高生が勢いよく立ち上がる。真っ赤な口紅にソフトモヒカンというパンクな出で立ちだ。


「テメエ、あたしらの縄張りに何しにきやがった」


 見た目同様、口から出る言葉もステレオタイプのヤンキーそのものである。

 というか、だいぶ着崩してはいるが、よく見れば彼女はウチの高校の制服を着ていた。視線を背後へ移すと、みな同様である。嘆かわしいことだ。そもそも土曜なのになぜ制服なのだ。


「おう、なんとか言ったらどうだテメエ」

「……縄張りも何も、ここはただの喫茶店だろう。俺は客としてここへやってきた。お前もただの客のはずだ。わかったら黙って座っていろ」

「ああン? 売ってんのか、喧嘩をよお? 上等だコラア! アマテルズ舐めんならぶっ殺してやんぜ!」


 恐ろしく話が通じない。

 どうしたものかと隣を見ると、いつの間にか牛谷氏の姿が消えている。視線を動かすと、すでに彼はカウンターに座ってコーヒーを啜っていた。マスターの方も新聞を眺めるばかりで我関せずというスタンスだ。なんなのだ、こいつらは。


「とりあえずテメエ外出ろコラア! 3秒でケリつけてやる!」


 仕方なしに、目の前で吠える土人へ言葉を返す。


「最低限の人としての知性があるなら、少しは俺の言葉を理解する努力をしてくれ。俺は動物の縄張り争いをしに来たわけじゃない。喧嘩をする理由がないと言っている」

「アアア!? よくわかんねえけど、馬鹿にしてることだけは理解できんぜ。テメエ――」


「……よお、待てよソフト」


 店の奥から、声がかかった。ソフトというのは、この土人のことだろう。ソフトモヒカンだからソフトか。

 声を発した彼女は、ゆらりと立ち上がると、こちらへ歩を進めた。刺々しい金髪が整った顔に映えている。


「姐さん、こいつぶち殺さねえんですかい」

「よお、ソフト。てめえは血気盛んなのが持ち味だが、少し気が短すぎるぜ。この野郎にも事情があるかもしれねえだろ」


 言うと、金髪の彼女はこちらへと向き直った。切れ長の鋭い眼が、俺の顔を捉える。


「俺様はアマテルズの番長を務めてる切見夜音だ。てめえは?」

「社家佐良助だ。お前と同じ高校の2年B組に所属している」

「へえ、知らねえわ」

「俺もお前のことは知らないが」


 オウム返しをしてやると、切見は「ああ?」と威嚇の声を発した。


「てめえ、今のは目を瞑ってやるが、次に挑発したらタダじゃおかねえからな」


 今のが挑発に映るのか。少しはまともな奴が出てきたかと思えば、こいつも気が短いじゃないか。


「まあ良いや。そんでお前、何しにここへやってきた。この喫茶店の客は、あたしらと、そこのおっさんだけだ。他の客が来たのなんて初めてだぜ。なんか企んでんだろ、てめえ」

「企みというほどでもない。大会の参加者を募りに来た」


 言うと、切見は「大会?」と眉をひそめる。

 どうやらこいつ、何も知らないようだな。


「MCバトルの大会だ。ヒップホップの、フリースタイルと言えば伝わるか」

「はっ。何だそれ、わけわかんねえわ。出るわけねえだろ帰れカス」

「おい、ヒップホップを愚弄するか、貴様」


 今度は俺が威嚇してやると、切見は「うるせえうるせえ」と一蹴する。


「俺様も暇じゃねえんだ。怪我する前にガキは帰れっつってんだ」

「さすがに『暇じゃない』というのは嘘だろう。ここでとりとめのない話をしていただけだ」


 俺が言うと、切見は「わかってねえなあ」と不敵な表情を浮かべ、


「それがアマテルズの活動内容なんだよ。アマテルズはかたぎには迷惑をかけねえ。楽しく騒がしく、喫茶『太陽』で群れるだけなのさ」


 やはり暇をしているだけではないのだろうか、それは。

 小汚い不良娘集団かと思いきや、実態はただの仲良し女子高生グループだな。見た目で判断するのは良くないよなあと反省する反面、だったらまともな服装をしろと言いたくなる。


 ――いや、しかし、


「それなら、尚更、大会には出場すべきではないか」

「あん? そりゃどうしてだ?」

「大会の賞品は万羽市図書館だ。もちろん併設されたこの喫茶店も含まれている。優勝者の都合如何では、喫茶『太陽』はなくなるぞ」


 俺が言うと、切見の背後で怒号が巻き起こった。「何ふざけたこと言ってやがるてめえ」「なくなるわけねえだろ」「死にてえのかコラ」「殺すしかねえ」「埋めるか」「埋めよう埋めよう」と殺気に満ち溢れている。

 彼女らの怒りを背に、しばし切見は沈黙していたが、やがて獣のように低く唸る。


「あぁああぁ、てめえら、ちょっと黙ってろお」


 切見の言葉を耳にすると、信頼されているのか、ただの恐怖政治か、背後の十数名は一斉に口を噤んだ。

 切見は、一歩こちらへ歩を進めると、ぐつぐつと煮えたぎるような声色で言葉を放つ。


「おい、シャケっつったか。てめえの話、詳しく聞いてやる。そこ座れ」


 親指でくいと背後の椅子を指す。

 俺は「初めからそう言えば良いのだ馬鹿が」と示された椅子へ座った。

 切見は「二度目だボケ」と俺の頭をはたいた後、正面へと座った。


◇ ◆ ◇


 喫茶『太陽』にて、1時間ほど大会の概要やヒップホップについての講義をたれてやると、ようやく切見は大会のエントリーシートに自分の名前を書いた。メンバーの中で一番頭の回る様子の切見でもあまり理解力が高いとはいえず、いささか不安を覚えてしまう。

 なにはともあれ。これで、大会の出場者は二人だ。

 アマテルズのメンバーは十二名にも及ぶ。身内の出場者は多い方が賞品獲得の可能性も高まろうと他の連中も誘ってみたのだが、切見が「俺様一人で良い。仲間内で争いたくはねえし、どうせ俺様の優勝だ」と断った。なんだお前、格好良いな。


 コーヒーを飲み干すと、アマテルズの連中に別れを告げ、俺はホールへと戻り壁へ背を預けた。

 スマホを取り出し、出場者の獲得を伝えるべく、琴姫さんへ電話。はじめは『ありがと~すごいね~』と喜んでいた琴姫さんだったが、次第に『え、一人だけ?』と不機嫌を露わにしていった。


『え~? 切見夜音ちゃんって誰それ? シャケくん、サボってたの?』

「サボっていません。そもそもこの図書館には人がいないんです。これからは他の場所をあたろうと思っているところです」

『ん~、えーっとお? もしかしてシャケくんって、くじょーちゃんとしか、連絡って取ってない?』


 ん、どういう意味だろう。


「九条とも、頻繁に連絡を取り合う仲ではないですが」


 俺が言うと琴姫さんは『はいはいわかったおっけ~』と、機嫌を元通りにする。またもや全て理解できているかのような口ぶりだ。続けて『じゃあくじょーちゃんに代わるね』という言葉があって、静寂が訪れる。

 仕方ないのでそのまま待っていると、しばらくして、『もしもし、九条よ』と声があった。


『何の用? 忙しいのだけど』

「こちらから呼んだ覚えはない。琴姫さんと話していると、突然『くじょーちゃんに代わるね』などと言い出した。それで、次にお前が出てきた」


 そう言ってやると、九条は『ああ』と合点した様子だ。


「きっと会話が面倒になったから私に引き継いだのね」

「だろうな」


 九条が僅かにため息をつき、言葉を続ける。


「で? いま何してるの? なにか問題でも起きてるわけ?」


 訊かれたままに経緯と事情を話すと、九条はすぐさま対案を口にした。


「なるほど、母の言いたいことはわかったわ。それなら、喫茶店でなくて図書館の方よ」

「あちらは閑散として誰もいないようだったが」


 九条は「知らないようだから教えておくけれど」と前置きし、


「ウチね、今は私と母の二人で暮らしているの。他に使用人はいるけれど、それだけよ」


 母と娘の二人きり。なるほど、人数が足りていない。


「妹がいただろう。あいつはどうしている?」

「察しが悪いわね」


 九条が小馬鹿にしたような声色で続きを口にする。


「乙戯は、そこの図書館に住んでいるのよ」

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