そしてラッパーになる
MC三郎
A1.ゆれる
ならば、まずは俺の話をしよう。
そうだな、母親を亡くした頃、物心つくよりも前のことだ。
今では感情を露わにすることもあるが、幼い頃の俺は、本当に無感動な子供だった。
笑いもせず、泣きもせず。虫や動物にまとわりつかれても声一つあげなかった。
あまり記憶はないが、周囲からも気味悪がられていたようだ。子供というのはえてして騒々しく喚き散らすものだからな。俺はその例から漏れていた。
伝え聞くところによると、親父の心労は相当なものだったという。親父にとって、俺は母の忘れ形見の一つなのだろうな。責任を感じていたんだろう。
親父は、親父なりに手を尽くした。たくさんの玩具を買い与え、動物園や水族館へと連れて行った。しかしそれでも、俺に変化はなかった。
まいった親父は俺を琴姫さんの元へ連れて行った。悪くない判断だったと思う。
俺も琴姫さんと初めて会った時のことは覚えている。ガキなりに、あそこまで破天荒な人間は衝撃だった。親父も周囲の人間も常識人ばかりだったからな。例えば、初対面の五歳児の顔面にパイを食らわす人間などはいなかった。
琴姫さんはああいう性格だから、俺を新しいオモチャだとでも思ったんだろう。それから俺は、事ある度に、海、山、川、遊園地と、至るところへ連れ回された。記憶はおぼろげだが、その頃はお前も一緒にいただろう。
いま思えば、壮絶な体験だった。海といえば太平洋のド真ん中、山といえばエベレストという人だからな、あの人は。
しかし俺も頑固なもので、だからといって無感動病が治るには至らなかった。
綺麗な景色も爽快なアトラクションも『これはきっと凄いんだろう』くらいの感想を抱くだけだった。アウトドアだけじゃない。映画にゲーム、アニメに漫画に小説なんかも琴姫さんには叩き込まれたが、どれも効果はなかった。琴姫さんのぶっ飛んだ行動には僅かに心動かされたが、まぁそれくらいだ。
変化は、ヒップホップとの出会いによって訪れた。
――またその話かという顔をするな。口に出さずとも読み取れるぞ。
小説で人生が変わった奴もいるだろう。アニメや漫画に感化されて将来の進路を決める奴だっているだろう。俺の場合は、それがヒップホップだっただけだ。
ヒップホップは、それまでに聴いてきたどの音楽とも違った。果たして音楽なのかという疑問すら抱いた。
ヒップホップには、喜びや怒り、悲しみや楽しさが溢れていた。
それだけじゃない。暴力にまみれた世界から抜け出すために。気に入らないあいつを叩き潰すために。人種差別を取り払うために。仲間や家族のために。動機は多種多様だったが、そこには生き様があった。
ただの言葉なら伝わらなかったろう。音に乗っていたからこそ、俺は理解できた。
指先から頭のてっぺんへと徐々に熱が灯った。灰色の世界が彩られていくのを感じた。
あぁ、なるほど。世界はこういう風に出来ているのかと気付いた。
ヒップホップを学び、自分の周囲を俯瞰し、ようやく俺は喜怒哀楽を得たのだ。
しかし俺はそれでもまだ足りていなかった。真っ当な人間まで、あと一歩届かなかった。
俺には信念というものが持てなかったのだ。
金持ちになりたいとか、野球選手になりたいとか、恋がしたいだとか、あいつに勝ちたいだとか、そういう欲望とは無縁で、野望も何もなく、正義も悪もなく、俺は空っぽなままだった。
喜怒哀楽を得て多少は人間らしくなったが、しかし、俺は他の連中には追いつけていなかった。欠陥品だった。人として劣っていたのだ。
悔しかった。感情を持ってしまったばっかりに、そこでようやく俺は自分が恥ずかしくなってしまった。俺にも、人間としての根っこが欲しかった。
お前にわかるだろうか。
俺は、強い信念や生き様を持つ、ラッパーという存在が、心底、羨ましいのだ。
だから俺は、さらにヒップホップへとのめり込んだ。溜め込んだお年玉を注ぎ込んでアメリカや日本のヒップホップを買い漁り、それでも飽き足らず親父の財布から金を借りたりもした。琴姫さんとの付き合いの数も減らし、部屋に篭もってひたすらラップに耳を傾け続けた。昼夜問わず、どっぷりだ。
それもこれも、ヒップホップに触れ続ければ、俺にも見つかる気がしたからだ。俺にとって、誇れる何か、信頼できる何かが。
そうしていつか俺の中に根が生えて、人生の目標が、信念が見つかるんじゃないかと思った。
まぁ、あとはご存じの通り。
短い付き合いだが、それでもわかるだろう。
いまだ、俺は、生き様も信念も見つけられていない。
俺にあるのは、男子高校生という入れ物だけ。中身がない。
あれからずっと変わらないままだ。
俺は、ただただ、ヒップホップを追い続けている。
――――。
短いけれど、以上。これが、俺の物語だ。
これでこちらの話は終わり。次はお前の番だぞ。
さあ、大名賀乙戯。
語ってみろ、お前の物語を。
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