二十三話

 次の日、リョホウとても嬉しそうに迎えた。

 メイリンはリョホウと自然と手をつなぎ、市場を案内してもらった。

 だが、楽しい時間のはずなのに、メイリンの心の片隅には影が付きまとっていた。

 今日で終わりだ。

 二度と会うことはない。

 その表情が出ていたのか、リョホウは疲れているのかと訊ねた。

 少し休むことになり、茶屋によると、リョホウの友達と出会った。

 彼の友達はとても優しい人たちだった。

 ホウロは彼を弟のように思い、大切にしていた。

 ユイハが彼のことを好きだというのはすぐにわかった。

 ごまかしているつもりのようだったが、しかし自分の感情を隠すのが下手な彼女からは、リョホウにどんな感情を持っているのか、面白いほどわかった。

 メイリンはそのことに安心していた。

 二人のような人がいるのなら、彼はきっと幸せなのだろう。

 少なくとも、自分のように一人ではない。

 三人ともずっと幸せに暮らしているようにと、メイリンは願った。

 そして三人が、四人になることを少しだけ夢想した。

 叶うはずがないのに。



 最後にリョホウは、小高い丘の社からの景色を見せてくれた。

 どこまでも続く草原は、彼を表しているかのようだった。

 緑の平原は、広く深く、なにも変わらない景色がどこまでも続くようで、その実、よく観察してみれば、思いのほか豊かな変化に富んでいる。

 まるで全てを受け入れるかのように。

 リョホウの心のように。

 メイリンは急に泣き出したくなってきた。

 孤独感が押し寄せ、押しつぶされそうになり、それに負ければきっと涙が止まらなくなっただろう。

 ここを離れたら、本当に、二度とリョホウに会えなくなる。

 だが、リョホウとの思い出を笑顔で終わらせたくて、一生懸命堪えた。



 もう二度と会えないと告げると、リョホウはとても動揺していた。

 通路はもうすぐ閉じてしまう。

 そこを通過して父の元へ帰ると、おそらく外の世界へ出ることは二度とないだろう。

 妖魔王の娘として生まれた自分は、常に危険に晒されてきた。

 娘の身を守るために、父である妖魔王はメイリンの存在を隠し、守護者をつけ、危険から遠ざけてきた。

 外に出ることさえ危険を伴うメイリンの身は、このようなことさえめったにないことだった。

 そのわずかな時間は、彼にもう一度会うために使った。

 外の世界で触れたいものは、彼だけだった。

 でも、これが最後だ。

 最初で最後の再会。

 それはわかっていたはずなのに、彼が再び会うことを望むだけで、メイリンはそれに応えたくなってしまっていた。

 いや、彼がなにも言わなくても、彼女は素直に帰ることができただろうか。

 妖魔も人間も強欲だ。一度願いが叶うと、二度目を望む。二度目が叶えば三度目を望み、その連鎖は果てしない。

 メイリンは彼の声を振り切るように走った。

 私は帰らなければならないのだ。

 彼の側にいることはできないのだから。

 人間と妖魔は一緒にいることはできないのだから。

「待ってるから。君がいつかまた来るときに、また会えるように、市の日には、いつもの場所で待ってるから」

 それは約束にならない約束。

 二度と会えないことを知っていながら、かすかな望みをつなぎとめようとする言葉に、メイリンは背を向けて走り、彼の声は夕凪の虚空に消えた。



 通路は遥か彼方と此方をつなぐ。

 遠方の地も、この通路を使えば一瞬で移動できる。

 だが開いている時間は限られている。

 守護者であるタカモクが待っているその通路を、メイリンは前にした。

 彼女は本来いるべき世界へ帰ろうとしていた。

 だが彼女を引き止める者がいた。

 メイリンはそれに逆らえなかった。

 何度も振り切ろうとして、しかし通路を前にしてついに動けなくなった。

 ここを通過すれば二度とあの人に会えなくなる。

 本当に二度と会えなくなるのだ。

「姫、どうされました?」

 守護者の言葉に彼女は答えた。

「先へ行ってください」

 守護者がその言葉どおりにしたのか、彼女は確かめなかった。

 メイリンはきびすを返すと、全力で市へ向かった。

 あの人の待つ、あの場所へ。



 あの人はそこにいた。

 彼女はかけるべき言葉が思いつかなかった。

 彼は彼女を見つめて言葉を待った。

「私、帰れなくなったの。もう、帰る方法なくなったの」

 遥か遠方の故郷へ帰還する手段は失われた。

 通路はもう閉じた。いつ再開されるかわからない。

 それでも、彼女はここへ来た。

 この人に会うためだけに。

 約束にならない約束を違えないために。

 彼は、彼女の言葉の意味を心の奥底に浸透するまで待つかのように、深く呼吸をした。

「じゃあ、僕とずっと一緒にいよう」

 そして手を差し伸べる。

 彼女は知らずに泣いていた。

 差し伸べられた手を握り締めて。

 優しく暖かい手を握り締めて。

 その手にもう一度触れたいと願い、それが叶うと二度目を望み、三度目にはもう放す事などできなかった。



 夜の林の中の湖畔でメイリンは佇んでいた。

 その瞳は虚ろで、闇さえも映さないかのように。

 側に控えていたタカモクが進言する。

「姫、もうおわかりでしょう。人間と一緒になるなど不可能なのです。我らと人間は相容れない存在」

「そんなことは始めからわかっています」

 静かに答えるメイリンは、しかしその場を動こうとしなかった。

「ではなぜ、あの人間に構うのです?」

 メイリンは答えなかった。

 彼女自身、明確に理解していなかったのかもしれない。

 あるいは、言葉にできないことだからなのか。

 ただわかるのは、一度その手に触れた時、とても安らいだこと。

 その手にもう一度触れたいと願い、それが叶うと二度目を望み、三度目にはもう離すことなどできなかった。

 だが、それも終わりだ。

 偽りの幸せ。

 始まりから終わりがわかっていた日常。

 いつか正体を知られてしまう日が来るのはわかっていた。

 正体が判明してしまう危険は何度もあった。

 妖魔が出没したとして道士が朝廷から派遣されたこと。

 ゴウリュウの雇ったゴロツキに襲われた時は、ユイハを助けようとその力を使う寸前だった。

 ゴウエンに襲われた時、もしリョホウとカイウが現れなければ、その正体を現しゴウエンを八つ裂きにしてしまっただろう。

 自分以外の妖魔が現れたことを知った時、その正体を探ろうと村の外へ出て、他ならぬリョホウに姿を見られてしまい、急いで宿へ戻り、何事もなかったように振舞った。

 それ以前にも、何度も正体を知られる危険があった。

 それでもなんとか今迄隠してきた。

 しかし、ついに知られてしまった。

 正体を知られたからにはもう戻ることはできない。

 戻るべきは妖魔の世界。

 だが、その前に解決しておかなければならないことがある。

「あなたは先に通路へ向かってください。後から行きますから」

 タカモクは安易に承諾しなかった。

 その言葉は以前聞かされたことがある。

 そして彼女は戻らなかった。

「姫、ここは危険です。人間たちはすでに我らの存在に気付き、そして我らを滅しようと動いているのです」

「わかっています。ですが、やるべきことがあるのです」

「やるべきこと?」

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