二十二話
メイリンは妖魔の王の娘として生まれた。
妖魔王の実の娘という出生は、本人の意思とは関係なく危険を伴い、妖魔王は娘の安全を図るため、メイリンを妖魔の世界からさえ離れさせた。
人間からも妖魔からも隔てられた、山奥の屋敷で暮らしていたメイリンは、その境遇からいつも一人だった。
守護の命を受けたタカモクは、任務以上に接することは決してなかった。
彼は妖魔王に忠誠を誓い、その誓約は二心のないものであったが、同時にメイリン本人に対する忠誠はなく、あくまでも妖魔王の命令を遵守する立場を崩さず、また必要以上にかかわりを持とうとはしなかった。
その距離を置くこともまた、彼の忠誠によるものかもしれなかったが。
しかし、少なくとも父である妖魔王の配慮と、タカモクのおかげで危険にさらされることは一度としてなかった。
それでも、穏やかで平和だが変化に乏しい生活に、メイリンはささやかな刺激を求めるようになる。
ある日、外の世界を見たいという、出来心のような突発的な衝動に駆られ、自分が外へ出ることさえ忌避するタカモクの些細な隙をついて、その姿を変え、遥か空の彼方へと飛び立った
幸か不幸か、タカモクはまさか守られている本人が自分の目の届かなくなる行動をとるとは思っていなかったのか、メイリンが屋敷から遠く離れたことに、しばらく気付かなかった。
自由に空を飛翔する彼女は、外の世界を見ることができるという期待に溢れた。
だが失敗した。
変化したそのか弱い生き物の姿は、ただの野生生物にさえ標的とされ、襲われたメイリンは辛くも逃げ切ったものの、深い怪我を負った。
山中の岩の陰で身を潜めて、怪我の回復を待ったが、その怪我の状態から、程なくして死ぬことがわかった。
一時の自由の代償はこんなにも重いのだろうか。
メイリンは涙が溢れた。
私はそんなにも大それたことをしたのだろうか。
ほんの少し外の世界を見たかっただけなのに。
少しずつ消えていく自らの命を感じ、絶望と悲しみの中で、諦めが訪れた頃、ふいに暖かい手が包んだ。
メイリンはリョホウに助けられた。
リョホウはメイリンの正体にはまったく気付いておらず、それ故、優しく手当てをしてくれた。
食事を貰い、休養の場所も与えくれた。
リョホウのおかげで怪我は治り、いつでも帰ることができるようになった。
だが、メイリンは帰りたくなかった。
ずっとこのままでいられたら、どんなに素敵だろうか。
ずっと彼の側にいることができたのなら、一人でいるあの屋敷とは比べ物にならないほど楽しく、幸せに満ちることだろう。
だが、冷静な自分が願望に異を唱える。
いつまでもここにはいられない。
妖魔である自分がいつまでも人間と一緒にいるわけにはいかない。
これが知られたら、妖魔王である父は、リョホウをどうするだろうか。
メイリンは傷が癒えると、帰路に着いた。
ささやかに感謝を告げて。
山奥の屋敷に帰ったあと、一人の生活が再開された。
タカモクと父は自分がいなくなったことについてなにも触れなかった。
二人の間にどのような話がされたのかわからないが、自分もタカモクも一切の処分は下されなかった。
いつもと変わらぬ生活が始まり、しかしいつも思うのは、リョホウの暖かい手だった。
数年が経過し、外へ出ることを許された。
短い時間だが、比較的危険の少ない人間の生活する領域へ行くことを許可された。
それは、退屈な日常のために、一人で外へ出るという危険を冒したメイリンに、ささやかな楽しみを与えようという妖魔王の配慮だったのか。それともただの気まぐれか。
真意はわからないが、父にどこへ行きたいかと聞かれると、メイリンはすぐに答えた。
行きたい場所は、一つだけだった。
メイリンはリョホウと再会することを期待して、市場へ向かった。
今度はあの時とは違い、自分の姿を人間に変えた。
これなら以前のように突然、野生生物に襲われることは少なく、また人間の姿をしていれば、たとえこの世ならざる術に通じた道士であっても、けしてその正体を見破られることはない。
怪我をしていた時、リョホウが話しかけていたことを覚えていたメイリンは、リョホウが必ずここに来ると確信していた。
祖父がその時にはすでに亡くなっていたことを知っていれば、生活に変化があったかもしれないと考えたかもしれないが、リョホウは祖父が亡くなったあとも変わらず、定期的にこの市に来ていた。
そしてメイリンはリョホウを見つけた。
あれから過ぎた年月は、少年を成長させ、しかしあの時の面影は確かに残っていた。
だがその後のことはなにも考えていなかった。
だから顔を逸らして、果物を手に買うかどうか思案するふりをして、きっかけを一生懸命考えていた。
だが、彼のほうから気づいた。
そしてとても驚いていた。
手にする薬の原材料を落としてしまうほど。
その様子に自分が誰なのか、もしかすると気付いたのかもしれないと、淡い期待を持って話しかけみた。
だがリョホウは自分が誰なのかわからなかった。
メイリンはそのことに少し落胆したが、それは当然だという思いもあった。
わかるはずがない。
あの時の姿は、今の姿とは大きく異なっていたのだから。
しかし、彼は一緒に市場を歩くことに誘ってくれた。
メイリンは喜んで承諾した。
この人と会うのはこれが最後だ。
再会は、最初で最後なのだとわかっていた。
だから少しだけ話をしたかった。
リョホウは市場のさまざまな場所を見せてくれた。
彼の好きな場所なのか、それとも自分を楽しませてくれようとしているのか。両方なのか。
不意に手と手が触れ合った。
それはささやかなものだったのに、とても驚いて思わず手を引っ込めてしまった。
二人と見つめあい、他愛のないことに反応してしまう自分がおかしくて笑ってしまった。
いつしかその手を握りあっていた。
彼の手はあの時と変わらず優しく、そして意外と大きかった。
あの日々から過ぎた年月は彼を成長させていた。
その日はとても楽しかった。
後悔するほど。
「あの、また会えるかな?」
夕暮れに分かれるとき、リョホウは勇気を振り絞るかのように尋ねた。
それはとても些細なことのはずなのに。
メイリンは明日に来ることを告げた。
もう二度と会わないと思っていたのに、もう一度だけ彼と会おうと考えてしまった。
時間の余裕はある。もう一度だけ会おう。それで終わりだから。
彼と二度と会えないだろうから。
だからもう一度だけ。
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