五話
妻を助けてくれた感謝とお礼にと、リョホウが食事に招いたが、コウライは丁重に断った。
リョホウとメイリン。
二人の絆は他者が入ることを許さず、また近付くことも躊躇わせる。
それに馬に蹴られたくない。
ユイハも似たような考えらしく、夕食を勧める二人に、宿の手伝いを口実に辞退した。
そして二人は一緒に宿へ戻る。
「随分若くて驚いたよ」
二つの意味で。
薬師として、また知恵知識を借りるものとして、村人から尊敬され頼られているには。
そして辺境の者が早婚の傾向にあるとはいえ。
「二人はいつ一緒になったんだ?」
何気なく聞いてみたコウライは、ユイハが一瞬見せた曇った表情に怪訝になる。
しかしそれも錯覚だったのだろうと思わせる、友人の幸せを我が幸せとする明るい表情で、ユイハは答えた。
「去年の春ですよ」
村までは少し時間がある。
ユイハは二人が一緒になった経緯を話し始めた。
リョホウが村にやってきたのは十歳の時だった。
少年が村に来るまでどのように過ごしてきたのか、本人の口から語られたことはなく、また推し測ることも不可能に近かった。
リョホウは声を失っているのではないかと思うほど寡黙で、感情を表さない子供だった。
だが感受性の欠落には程遠く、内に大きななにかを秘めたが故の能面だということは村人にも理解できた。
だからこそ、なおさら内面を読み取ることができなかった。
沈黙のリョホウの素性については、すべて少年の祖父であるリョゲンからのものだった。
それも断片的で詳細や細部は不明だ。
リョホウの両親、リョゲンの息子夫婦は、村に来る数ヶ月前に亡くなった。
事故だったらしいが、詳しいことはわからない。
ただ必要以上に語られなかったことが、ただの事故ではないことを暗示していたが、深く追求した者はいない。
代わってリョゲンの経歴は誰もが知っている。
元々クオリ村の出身で、代々薬師を営んでいた。
しかし若い頃に、弟のゴウリュウに村の店のすべてを譲り、自分は都で身を立てることに挑戦した。
結果、それなりに成功し都で店を構えることができたリョゲンは、やがて結婚し、息子が生まれ、その息子が嫁を向かえ、そして息子夫婦に子宝が授けられ、つまりリョゲンの初孫、リョホウが誕生した。
店も順調に繁盛し、行く先は明るく穏やかに見えた。
しかしその幸せも長くは続かなかった。
息子夫婦の死である。
突然の息子夫婦の死を嘆き、リョゲンは孫を連れて帰郷した。息子夫婦の思い出が残る都の店は、かえって死別の苦しみを継続させるためだろう。
だが帰郷は心の安寧をもたらすことはなく、さらなる苦しみを与える。
弟ゴウリュウの変貌だった。
薬師としてそれほど腕はよくなかったゴウリュウは、自分の才能のなさに見切りをつけると、異なる商売、金貸しを始めた。
その資金を得るために、小さいながらも十代以上も続いた店を、兄に黙って売り払った。
それを元手に始めた商売のやり方は阿漕の一言につき、護衛と称してならず者を何人も雇い、金を貸した人間を脅し高利を貪った。
貧しい村からどうやってそんな儲けを出すことができるのか、首を傾げるほど短期間で蓄えをつくると、次は繁栄した町へ転居し、そこで同じやり口の同じ商売を始め、そこでも大いに儲けた。
慈悲深い微笑で金を貸し、業悪なる笑みで高利を取り立てる。
借金返済のための仕事を斡旋し、しかし低賃金で、わずかな給金も利息に取り立てられ、牛馬の如く扱われる過酷な労働に、倒れる者も少なくなかった。
長い間、疎遠となっていた血の分けた弟は、金銭欲にまみれた悪行を重ね、心を痛めた兄はそのような行為を止めるよう説得したが、人の心を説く兄をあしらい、大して財を成せなかったことを嘲笑い、見下して追い出した。
リョゲンは都を出る時に売り払った店の金と、わずかな蓄えを全て村人たちの借金の肩代わりに充てた。
それは微々たる額で、全てを助けることはできなかった。
それでも村人に感謝され、少なくともゴウリュウの兄ということで偏見を持って見る者はいなくなった。
息子夫婦の死と弟の変貌は、孫であるリョホウへの溺愛に変わり、自分の薬師としての技術と知識をすべて与えた。
リョホウには才能があったのか、砂に水を注いだように吸収し、十二歳を過ぎる頃には祖父の代わりを務めるようにさえなった。
祖父はそれを純粋に喜んだ。
数年の年月が流れ、ある年、朝廷術士のフェイア道士がこの村に訪れた。
新皇帝が不死の霊薬を探しているという噂が、薬師や医師の間で密かに流れており、それはリョゲンの耳にも届いた。
そして来村した道士が、噂が火のない煙ではないことを証明した。
ゴウリュウは村の代表を自称して道士を向かえ、件の霊薬探索の手伝いを約束した。
そして兄リョゲンを紹介する。
だがリョゲンは首を振った。
「不死の霊薬など存在しない」
「よくわかっておらんようだな。これは朝廷からの命令なのだぞ。不死の霊薬の所在、調合法を教えんとどうなるか。それとも身をもって知るか?」
恫喝に脅迫で兄から手柄の元を吐かせようと問い詰めるが、兄は沈黙で答えた。
しかしそれが弟には、自分の威厳に兄が委縮し慄いているのだと勘違いし、さらに増長させることになった。
しかし霊薬探索をしている当の道士は、薬師の言葉に納得したようだった。
「そうだと思っていましたよ。薬師どの」
寧ろ安心したかのような微笑で告げる道士に、ゴウリュウは戸惑う。
「不死の霊薬など存在しない。始めからわかっていました。そんな物が本当にあるのなら、もっと世の中に出回っているはずです。なにしろ、万人が求めてやまない、不死ですから」
すべてを見通しているかのように道士に、薬師は微笑んでうなずいた。
薬師として極みに達しているリョゲンと、道士として極みに達しつつあるフェイア。
道は違えど、その求める先が同じである二人は、この時お互いの心に少しだけ通じたのかもしれない。
「それでは、これで私は都に帰ることにします」
家を立ち去ろうとする道士に、薬師は一声かける。
「今度はゆっくりしてください」
しかし仕事で忙しい道士は、その後、村に来ることはなかった。
ゴウリュウは霊薬の存在を諦めきれず、道士の帰洛の後も、熱心にリョゲンの下へ通った。
それが兄弟の絆を再び繋げるものであれば良かったが、ゴウリュウはリョゲンを兄とは思っていなかった。
それどころか、兄が霊薬の存在を教えないのは、自分の成功を妬んでいるからだと軽蔑し、やがて憎しみを抱くようにまでなった。
繰り返し不死の霊薬は絵空事なのだと説くリョゲンだったが、ゴウリュウはなかなか信じようとしなかった。
実はこの時リョゲンは嘘を吐いていた。
不死の霊薬は存在し、その調合法も知っていた。
勿論、弟が考えているように、妬みで黙っているのではない。
不死こそは人間にとって最悪の病。
死なないなど病に他ならず、そしてなにより、不死の代償は死ぬよりも恐ろしいものだった。
それ故不死の霊薬はリョゲンが学んだ門派において最大の禁忌とされ、免許皆伝の者の、さらに一部の者にだけ伝えられてきた。
浅はかで強欲な者にはけして教えられない禁忌。
だが、その不死の妙薬の調合法を、溺愛する孫に伝えていた。
幼い子供に教えるなど、一歩間違えれば取り返しのつかないことになる。
それでも教えたのは、人の情に心が曇ったためか。
しかし、リョホウは祖父の言いつけを守った。
「これはけして使ってはならぬ。使えば我らにも、そして服した者にとっても、取り返しのつかぬこととなろう。よいな」
不死の霊薬はそうして封印され続けてきた。
リョホウはその意味を理解したのかわからないが、少なくとも誰にも伝えなかった。
頑なな壁のある心のように、頑なに秘密を守った。
それが新たな不幸を招いた。
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