四話

「大の男が寄って集ってなにをしてるんだい?」

 不適に笑みを浮かべるコウライの瞳の奥底に、静寂なる憤怒が燃焼していた。

「うるせえ!」

 男は沈黙を要求する言葉で返し、さらに身の程知らずにも拳骨をくれてやろうと、コウ ライの顔に目がけて拳を繰り出した。

 コウライは拳一つ分だけ体を移動させ、その拳を紙一重で回避すると、そのまま男の鼻柱に掌底を食らわせた。

 何気ないと思えるほど自然で小さな動作から発せられた攻撃は、男の体を十数歩分の距離まで飛ばす。

 それを見た男たちは、少女に構うのを止め、コウライに神経を集中した。

 全員で相手をしなければ倒せない相手だと判断し、油断を止めた男たちだったが、彼らに染み付いた慢心という悪癖は簡単には落ちなかった。

 なぜなら彼らは相手の力量を完全に見誤っていた。

 コウライは正面の男に一瞬で間合いを詰めると、腹部に左拳をめり込ませる。

 男は防御する動作さえできずにまともに受け、悶絶して地面に臥す。

 残った三人の男が同時に飛び掛ってきたが、コウライは頭上を越える高さまで軽く跳躍し、二人同時に連続蹴りを繰り出した。

 顎を的確に捉えられた二人の男は脳震盪を起こして失神する。

「う、うう……」

 最後に残った男は、逃げるという選択肢を忘却してしまったかのように立ち尽くし、恐怖で怯えているのに、戦う意欲だけが本能のように湧き上がって、懐から刃物を取り出した。

 つまりは見境がなくなっている。

 コウライは呆れたように首を振って、男に間合いを詰めようと足を進めた。

 その何気ない動作は隙だらけで、しかし余裕を感じさせ、かえって男の恐怖を刺激した。

 もう少しで限界に達し、我を忘れて攻撃してくるだろうが、そんなものをあしらうことはコウライにとって簡単だった。

「やめろ! 馬鹿野郎が!」

 だが、突然静止の声が響き、男は我に返ったようにその声を主へ視線を向けた。

 地面にうずくまっていた男たちも顔を上げる。

「なにしてやがんだ、てめぇら!」

 暴漢を止めた男は大股で近付き、まだ地面に這いつくばっている男の襟首を掴むと無理やり立たせる。

 筋骨隆々とした男で、他の男たちに比べても大柄だ。

 着ている衣服も高価なもので、貧しい村の中では目立つ。

「朝廷から来た下さった妖魔退治の先生だぞ! 失礼な真似をするんじゃねえ! とっとと警備に行きやがれ!」

 掴んだ男を放り投げるように突き放した。

 彼らの雇い主、あるいはそれに順ずる立場のようだが、そういったことを考慮に入れても男の態度は傲慢で、子供じみた自尊心と親分根性を表していた。

 二人の少女が、救い主であるはずの男に向けた目に嫌悪感しかないことを考えれば、その印象は間違っていないのだろう。

「は、はい」

 男たちは命令に従って、早足でその場を立ち去る。

「……ゴウエン」

 忌々しくも怯えた声で呟く少女に、ゴウエンは嬉しそうな、しかし悪意の混じった目を向ける。

 まるで悪意に満ちた子供が弱者に嫌がらせをする時のような。

「久しぶりだな。会えなくて寂しかったか?」

 ユイハが少女の前に立ち、近付くゴウエンを遮る。

「あんたになんか会いたくないわよ」

「へっへ。そのうちお前のほうから俺のところへ来るようになるさ」

 ゴウエン口元を笑みに歪め、好色な目で少女の体を嬲るように見つめた。

「雇い主も、ならず者とあまり変わらないみたいだね」

 注意を少女から逸らすために、皮肉を聞こえるように口にしたコウライに、ゴウエンは軽く頭を下げた。

 しかし口元の粗野な嗤笑が、謝罪に関する礼儀を完全に損なっている。

「すいません。教育が行き届いていないもので。あとで侘びを入れさせますから」

「いらないよ。それに謝るのはあたしにじゃないだろ」

 わかっているという風に肯くと、改めて二人の少女に顔を向けた。

 だがコウライとは違い頭を下げず、寧ろ見下ろしていた。

「すまなかったな。あとで屋敷に来てくれ。詫びを用意しておいてやるから」

「いらないわよ」

 冷淡にだが、謝罪には程遠い尊大な態度に怒りを滲ませながら、ユイハは即座に断る。

「行きましょ」

 そして友人の手を取りその場を立ち去った。

 コウライはどちらの後を追いかけるか、あるいはその場を立ち去るか、三択の選択肢から、少し逡巡して、少女達の後を追うことに決めた。

 元々彼女達に用があったのだ。

 たいした用件ではないが。



 コウライが追いかけて来ていることにすぐに気付いたユイハは、足を止めて彼女に礼をした。

「コウライさま、ありがとうございます。すみません、お礼を言うのが遅くなって」

 ゴウエンに対する怒りで、少しの間、本当に助けてくれたのが誰なのか忘れてしまっていた。

 ユイハはけして暗愚ではないのだが、一つのことに集中すると他のことに考えが回らなくなる傾向にある。

「いいんだよ。村の治安のために来たんだしね」

 村人から守るべきなのは妖魔だけではない。

 悪漢からもだ。

「家に帰るんだろ。送っていくよ」

「でも、コウライさまは妖魔の……」

「いいから。二人だけで歩くなんて危険だろ。襲われるのは妖魔だけじゃないんだ」

 穏やかに微笑んで二人の安全を請け負うコウライからは、意外なほど優しい母性が感じられた。

 ユイハの友人の少女が静かに頭を下げて、コウライの好意を受ける意を示す。

「そういえば、あんたの名前はまだ聞いてなかったね。なんていうんだい?」

 少女は慎ましやかに答えた。

「メイリンと申します」



 村で唯一富を持つゴウリュウも、その息子のゴウエンも、村では評判が悪い。

 最悪といっていい。

 借金を盾に無理難題を押し付けてくるゴウリュウと、親の権威を笠に好き放題暴れまわるゴウエン。

 この地域を担当している官吏に訴えても、癒着している彼らは甘い汁を贈るゴウエンを取り締まることも、不利になるようなこともせず、結果村人は泣き寝入りしている。

 妖魔が出没した時も、村人たちの嘆願書をまったく相手にしなかった。

 どういう理由かゴウリュウが官吏に手を出さないよう賄賂と一緒に頼んでいたらしい。

 そのゴウリュウ本人が妖魔退治の嘆願書を朝廷に直接送ったというのも妙な話だが、治安に心を砕いているという姿勢を見せるためのものかもしれない。

 村人は朝廷に手紙を出すことも、官吏に頼むこともできない愚鈍な集まりにすぎず、自分こそが村をまとめる者だということを示したいのだろう。

「とにかく酷いんですよ、あの親子は」

 怒りを顕わにして悪状を説明するユイハ。

「あの男たちは?」

「ゴウリュウが雇った警衛です。私兵っていうんでしたっけ? でもゴロツキと変わらないですよ。ゴウエンと一緒に村のみんなに暴力を振るって。あいつらが妖魔にやられればいいのに」

 最後に不穏当な発言があったが、怒りに任せて出たもので、真実味は返って感じられなかった。

「それより、村から随分離れたけど、本当にこっちでいいのかい?」

 村の柵を越えて草原を直線に歩き続けて、四半刻。村の姿が小さくなっている。

「もうすぐですよ。ほら、今の時期は草の色と一緒で判りにくいですけど」

 ユイハが指差す方向、草原の中に小さな家があった。

 周囲には草が天日干しされてある。

 近付いて見るとすべて薬草だ。

 ホウロが村で唯一の薬師の話をしていたことを思い出す。

「ああ、村で唯一の薬師って、あんたのお父さんのことなんだ」

 メイリンは尋ねられたことを上手く理解できなかったようにきょとんとしたが、次にはなにが可笑しいのか含み笑いをする。

「いえ、違います」

「違う? お父さんじゃなく、お爺さんかい?」

「いえ、違います」

 同じ言葉を繰り返すメイリン。

 なにが違うのだろうか。

「もしかして薬師じゃないのかい。じゃあ、これは?」

 薬師なのは他の者なのか。干してある薬草は、例の薬師に頼まれた物なのだろうか。

「いえ、違います」

 同じ言葉を三度繰り返すメイリン。

 その隣でユイハが、子供がいたずらに成功したような、楽しげで意地の悪い笑みを浮かべている。

 二人の少女の表情の意味するところがまったくわからず、コウライは戸惑う。

 違うというのは、どのことなのだろうか。

 疑問に答えるように、呼びかける声。

「メイリン」

 小屋の中から一人の若者が現れた。年の頃はメイリンやユイハと変わらないだろう。質素な身なりなのは他の村人と同じだが、精悍というより優しげな顔表は、少年の面影をまだ多く残している。

「お帰り、メイリン。ユイハ、久しぶりだね。こちらの方は?」

 若者は最後にコウライのことを尋ねた。

「妖魔の件で、都から道士さまと一緒に来られた武術の先生よ。危険だからって、送ってくださったの」

 メイリンは若者の側によると、ささやくように教える。

 二人のその親密な雰囲気は兄妹というものではなく、もっと異なる繋がりを持つ者同士特有の、興味を掻き立てられ、同時にどこか気恥ずかしくなるものだった。

 もしかして? いや、それにしては、若すぎるだろう?

 目の前にいる若者は、青年と表現するより、寧ろ少年といったほうが的確だ。

 メイリンにしても、少女という年代にしか見えない。

「クオリ村へようこそおいでくださいました。村の一員として歓迎いたします」

 二人の関係を理解し始め、しかしどうしても常識に囚われて断定することができないコウライに、若者は一礼し、名を告げた。

「私はリョホウ。妻を送っていただき感謝します」



 夕暮れに差し掛かる頃、フェイアは村から少し外れた、木々が茂る林にいた。

 行方不明になった二人の子供が最後に目撃された場所。

 この小さな林の周辺を歩いているのが、幼い兄妹の最期の姿だった。

 フェイアは二人の足跡をなぞるように林の周りを歩く。

 だが足跡など存在しない。

 しかし彼には二人が歩いた道順がわかった。

 彼を先導するように、二枚の札が宙を舞っている。

 人型のそれは風もなく浮遊し、けして地に付くことはなく、まるで見えない糸で操られているかのようだった。

 やがて二枚の札は停止して、落ち葉のように地面へ落ちる。

 それからは一切の動きを見せない。

 フェイアは内心怪訝に思う。

「どういうことだ?」

 二枚の札は子供の動きを模倣していた。

 正確には精神の動き。

 手足を動かす動作は半ば無意識に行っているが、精神が肉体に作用していることには変わらず、札は場に残留する思念に反応して動いていた。

 二人の子供がどこへ向かっているのか、そしてそれが終わったのはどこなのか。

 しかしなんの前触れも、一瞬の驚愕や恐怖といった兆候もなく札は停止した。

 それは同時に手がかりが途絶えたことを意味する。

 強いて挙げるならば、その唐突さが一つのこと示唆していた。

「厄介だな」

 一人呟くフェイアは、この妖魔討伐が一筋縄ではいかないことを予感していた。

 妖魔は強大な力と命を持つ。

 岩を穿ち、雷を呼び、炎を熾し、水を逆流させ、風をと共に空を飛ぶ。

 そして、人間に比べて遥かに長い寿命を持ち、その肉体の強靭さは猛獣をも圧倒する。

 だが妖魔は、この世ならざる力を得るために、知性あるものを食する必要がある。

 人間だ。

 妖魔が人間にとって敵であるとみなされる最大の理由は、人喰いであるということに尽きる。

 妖魔が人間を好むのは、その脆弱なる体に不似合いな、高度な知能知性にあると思われる。

 それは時に天の神々の叡智に匹敵する者も現れる。

 それにもかかわらずその肉体は、弱く儚く脆い。

 捕食するにこれほど適した存在はいないのだろう。

 妖魔はいわば、人間の天敵だ。

 だが人間も一方的に捕食されるばかりではない。

 神々の英知に到達する者がいるように、神々の戦いの力を得る者もいる。

 フェイアやコウライのように。

 しかし彼は今、頭を悩ませていた。

 妖魔はこの世ならざる存在であるために、必ず妖気という痕跡が残る。

 霧のように、影のように、香りや気配のように、すぐにでも消えそうなほど微量な、しかしいつまでも長く残る痕跡。

 だがここにはそれがない。

 今回の妖魔は妖気を残していないのだ。

 そして妖魔が妖気を残さない方法は一つしかない。

 存在を人間に変化させること。

 他の生物に変化した場合だと必ず妖気が残るにもかかわらず、人間に変化した時だけ、存在を知らしめる妖気までもが完全に隠されてしまう。

 理由は不明だが、それだけは判明している。

 勿論何事も万事都合よくいくわけではなく、人間に変化すると、能力や力の大半も人間の範疇に限定されてしまう。

 また、家畜同然の人間になるということは、妖魔の矜持に触れることらしく、変化の能力を持っていたとしても人間に化けるものは少ない。

 だが、どうやらクオリ村に出没している妖魔は、人間に化けているらしい。

 これを前提に推測すると、二人の子供はこの付近を歩いている途中、人間に変化した妖魔に遭遇。

 子供が警戒していない間に、妖魔は人間の状態のまま、なんらかの形で気絶させ、どこかへ連れ去り、腹の中へ収めた。

 もし他の犠牲者も同じように妖気の痕跡がなかった場合、事態はさらに悪いということが証明される。

「村人に混じっていなければいいのだが」

 妖魔は人間を喰らう。

 それは肉体だけではなく、時に精神も喰らい、そして食べた者の記憶を得ることもできるという。

 そんな妖魔が人間に変化したのなら、すぐ側にいても誰も気付かれない。

 たとえ隣人が妖魔に代わっていたとしても。

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