三話

「ようこそおいでくださいました、フェイア道士。心より歓迎いたします」

 正直、この人には再会したくなかったな。

 ゴウリュウから歓迎を受けるフェイアは内心そう思っていたが、腹の内を完全に隠蔽する友好的な微笑で挨拶する。

「お久しぶりです」

「いや、あなたが来てくださったのなら、この村はもう安心だ。さあ、お入りください。飲茶を用意しております」

 ゴウリュウに招かれて、フェイアは屋敷へ入った。

 辺境の田舎には不似合いなほど広く豪華な屋敷は、彼の資産の大きさを物語る。

 ゴウリュウも金銀刺繍が施された高価な衣装をまとっているが、お世辞にも似合っているとは言い難い。

 無駄に増やした脂肪は、貫禄よりも不摂生による醜悪さ目立ち、威厳を出すために蓄えた髭も、傲慢な印象を強くしている。

 なにより、その顔は私利私欲にまみれた者特有の、どこか下卑な笑みを浮かべ、総じて不快感を受ける。

 人を噂や外見で判断するのは問題だろうが、ゴウリュウに関しては見た目通りの、噂と違わぬ人物と断定していいだろう。

 朝廷や都では、こういった人物は珍しくなく、その対応も数々こなしてきた。

 彼がどのような思惑があって朝廷に嘆願書を届けたのか、見極めることはそれほど難しくはないだろう。

 応接間のテーブルに並べられた飲茶は、不必要に豪勢なもので、村人には数年の一度、口にできるかどうかという御馳走だったが、フェイアはありがたく頂くことにした。

 毒が入っているわけではなし、この手の人間はもてなしを断ると機嫌を損ねる。

 普通の人でも、敵を友にすることはあっても、友が敵になった時は、寛容や許しという概念を遥か彼方へと忘却する傾向がある。

 こちらは朝廷に派遣された者なのだと、高圧的な態度で接しても許容するだろうが、もてなしを踏み躙ると間違いなく反発を受ける。

 彼が例外である可能性は低い。

「さあ、どうぞ、道士さま。この土地の名産の菓子です」

「いただきます」

 山と詰まれた菓子から一つだけ摘んで味わう。

 以前、霊薬探索の時も、ほとんど理由もなく歓迎を受け、土産を山と持たされ、ついでに金子銀子が混じっていた。

 客人に対してというより、都の役人に対してという態度で、つまりは商売を繁盛させるため、金銭による友情関係を築いておきたいということらしい。

 しかし他の役人ならばともかく、道士に賄賂を贈ってもあまり意味がない。

 朝廷道士は朝廷において皇帝に直接意見することができる立場にいるが、同時に道士会以外に関して一切の権限や影響力がない。

 魔術、霊術、法術、呪術、仙術など、人の身でありながら、人ならざる者たちの術を修得し用いる者達を総称して道士と呼ぶ。

 人ならざる術を用いる者たちに、人の治世を任せて良いのか。

 人の政ならば、人が行うべきである。

 それが、朝廷道士たちが尊敬を受けると同時に恐れられ、他の立場から一線を引き、それより先に立ち入らせない理由だ。

 そしてそのことは、当の本人たちが一番よく知っている。

 必要とされるのは、同じように人以外のなにかが太平を脅かす時だ。

 しかし、もてなされている限りは害もなく、教える必要もないのだが。

「それでは、妖魔についてお話していただけますか」

 ゴウリュウはわかっておりますという風に大仰に頷くと語り始めた。

「事の発端は一年ほど前、冬が終わり、春が訪れ、村々の市場が開かれるようになった頃です」

 草原や村のはずれで時折不気味な姿が見えるとの噂が村人に広まり始めた。

 その訴えが届けられた当初は、なにかの見間違いだろうと考え、しかし一応は雇っている警衛に警戒させて置いた。

 不気味な妖魔らしき姿はその後も見られたが、なにも被害はなく、脅えた村人が、ただの獣を見間違えたという可能性が高かったため、特別な処置は執らなかった。

 しかし夏が過ぎた頃、村人の一人が市場から帰る途中、異形の怪物に襲われた。

 その姿は恐ろしく、牛の頭と熊の胴体を持った怪物だったという。

 村人は幸い無事逃げたが、商品となる作物は全て喰い荒らされていた。

 そして秋、若い女性が行方不明になった。

 村人総出で探索したが、草原の一角で彼女が着ていたと思われる衣服の切れ端が発見されただけで、それ以上の進展はなく、彼女の消息は不明のままだった。

 それから一ヵ月後、羊飼いの娘が姿を消した。同じように探索したが今度は手がかりも発見できなかった。

 そして冬の始まり、子供二人が消息不明になった。

 村人たちは総出で探索警備に当たったが、発見されたのは、二人の子供のうち一人が履いていた靴が、林の近くに落ちていたのを発見しただけ。

 冬の間、厳戒態勢が引かれたが、妖魔の姿が目撃されたわけでもないのに、一人また一人と村人の姿が消えて行き、春を迎える頃には、十人もの村人が行方不明となっていた。

 そして朝廷に妖魔討伐の嘆願書を送った。

「妖魔がいるのは間違いありません。お願いします、フェイア道士。どうか妖魔を退治してください」

 懇願するゴウリュウだが、それが妖魔討伐は村のためではなく、私服を肥やす源が脅かされるからだと、フェイアは感づいていた。

 しかし妖魔を倒すこと自体は村人達の安全につながることは間違いなかった。

「大体の事情はわかりました。それでは妖魔を目撃したという村人を教えていただけますか」

 必要な情報を得ると、フェイアは調査のためにゴウリュウの屋敷を後にする。

 そのさい渡された土産の中には、銀子が入っていた。

 違法でないなら貰えるものは貰うという、割り切った考え方をしているフェイアだったが、ここまで露骨だと少し呆れる。

 まあいい、後で兵士達に分けよう。

 出張手当は少なく、危険手当も、本当に命を危険に晒していることを考えれば、微々たる物だ。

 それに宿屋主人と村長も宿代で正直頭を痛めているだろう。

 ここから正当な報酬を支払うのが一番いい。

 必要なことを聞き、必要な物を手に入れたフェイアは、最初の目撃者の自宅へ向かった。



 フェイアを見送るゴウリュウは、道志の姿が見えなくなった後、蔑んだ嘲笑を顔に浮かべた。

「どうだった?」

 若い男が屋敷の中から現れた。

 その筋骨逞しい若者とゴウリュウを見比べれば、似通った雰囲気や人相に気づいただろう。

 ゴウリュウの一人息子、ゴウエン。

 ゴウリュウより頭一つ分背が高く、貧しい食事しか口にできない村人に比べて、体格も遥かに逞しい。

 顔は父親に似ていながらも意外と整っているが、しかしその顔つきや目つきは酷く卑しく、見る者は嫌悪で目を背けさせたくなる。

「問題ない。道士といえども、ただの若造よ。すぐにいい気になりおる」

 二人は他者を酷く不快にさせる含み笑いを交わした。



 宿屋の看板娘ことユイハは、友人の少女を家に送りに向かっていた。今は妖魔が出没しているし、彼女の家は村から少し離れている。

「ねえ、一人で大丈夫よ」

 か細い声で自らの安全を請け負うが、まったく信用性のない科白だ。

 自分と同じくらいの年頃のはずだが、運動神経は皆無。

 走った姿を見たことさえない。走ると絶対に転びそうな気がする。

 そしてそのまま風に飛ばされてしまいそうなほど線が細い。

「いいから、いいから」

「でも、ユイハも危険じゃない?」

「わたしは大丈夫だよ」

 村の中では運動神経がいいほうだし、足も速い。

 万が一妖魔に襲われても逃げる自信があった。

 だがこの少女は別だ。

 誰かが守らなければ餌食になるかもしれない。

 それも、妖魔に限ったことではない。

 ユイハの懸念は現実となり、家々の影から五人の男たちが現れた。

 村の若者にしては身なりがよく、食事に困窮したことが体格からもわかる。

 そして荒事全般にかかわっていることも見て取れる。

 ゴウリュウが雇っている護衛だが、実際はただのゴロツキ。

 村を護衛している称しているが、守っているのはゴウリュウの屋敷だけで、村には横暴な振る舞いで逆に損害を与えている。

 男たちは、下品な笑みを浮かべながら、少女を包囲するように距離を狭めていく。

「行こう」

 ユイハは少女の手を取り、先を急ごうとした。だが男の一人が進路を塞ぐ。

「待てよ。そんなに急ぐことないだろ」

 言いつつユイハの腕を掴むが、彼女は即座にその手を払い除け、怯える少女を守るように立ちはだかる。

「いいじゃねえかよ。少し付き合えよ」

「あんな男よりいい気持ちにしてやるぜ」

「おお、俺の逞しいモノでよ」

 男たちは下品な冗談に、下品な笑い声を上げる。

「うるさいわね。どきなさいよ。役に立たないくせに」

 ユイハが言い返すと、男たちは下品な笑みを絶やさずに、しかし目に剣呑な光を灯した。

「なんだって? よく聞こえなかったなぁ」

「妖魔一匹退治できないくせに、護衛なんて笑わせるわって言ってんのよ」

 ユイハの軽い挑発に、男の一人が容易く激情し、ユイハの頬を手の平で打った。

 屈強な男の平手打ちは、軽い体の少女を地面に倒す。

「おいおい、傷をつけるなよ」

「楽しみが減るだろ」

 他の男たちの言葉は、暴力を振るった男を制するようだが、しかしその嫌らしい嗤笑が、さらなる残酷な仕打ちを予告してもいた。

 ユイハは怒りを目に宿して立ち上がるが、その両手を男たちが押さえる。

「く!」

 振りほどこうとしても、単純な腕力では遥か及ばない。

 万力で締め上げられたような痛みが骨にまで浸透する。

「ユイハ!」

 友人の少女が助けようと駆け寄ろうとしたが、他の男に体を抱き抱えられてしまう。暴れもがいても、それは罠にかかった小鳥のように逃れること敵わない。

「俺が最初だ!」

 か弱い少女を優勝商品のように抱える男は、勝ち鬨のように下劣な行為を真っ先に行う権利を主張した。

 だが突然の後頭部への一撃で、地面と熱い抱擁を交わすことになった。

 いつの間に現れたのか、一人の女性が悠然と立っていた。

 鎧こそつけていないが、その衣服は武芸者特有のもの。

 体躯も虎のようにしなやかで無駄な筋肉がなく、相当の修練を積んでいることが見て取れた。

「コウライさま!」

 ユイハは、現れた救い主に感激の声を上げる。

 美丈夫に見える彼女は、ある種の倒錯的な感動を与えた。

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