あるあるその2 自由を大切にしすぎ
どのビジネス書もコンサルタントも決まり文句のように「自由であることはいかに素晴らしい」事か、同時に「自由でないことはいかに最悪な人生」なのか。というのを語っています。
例えば、毎日毎日乗りたくもない満員電車にすし詰めにされて、上司に怒鳴られてヘコヘコ頭を下げているだけの人生なんかよりも、働くか働かないかをいつでも自由に決められて、好きな時に、好きな場所で、好きなことが出来る人生はいかに素晴らしいか!
などとどいつもこいつも判で押したかのように、あるいはコピペの文章のように、散々目に、あるいは耳にしたかと思います。
そんなビジネス書共やコンサル共が言う大切で価値のある自由というのは、実際のところは思ったほど素晴らしい物じゃないんです。
これにもきちんとした根拠があって、私的な話になりますが私は職を転々としていて、職と職の間に何回か無職だった時期があります。
文字通り無職の間は毎日が休日で24時間を自由に使える上に、実家住まいだったので当分の間のメシにも困らないという、人によっては最高の身分だったのですが、嬉しいと思ったことはこれっぽちもありませんでした。
単に無職で「申し訳ない」気持ちがあったから。というのはありますが、人間何もかも自由だとかえってつらいのです。
これを読んでる方は「そんなバカな話があるか!」とお思いでしょうが繰り返します。「何もかも自由」だと「かえってつらい」のです。
どういう事かと言いますと、自由だと常に選択を迫られて、その上で選択した責任を負わなくてはいけなくなります。誰もケツを拭いてはくれません。
「自由」には「責任」が「必ず」付いて回ります。
繰り返します。
「自由」には「責任」が「必ず」付いて回ります。
フリーランスだといくらでも仕事の手を抜いたりサボる事も出来ますが、手抜きをしたり仕事を放棄してサボった「責任」は必ず負わなければなりません。これ、「人によっては」とんでもなくつらく苦しい事だと思います。それこそ「会社に入って働いていたほうがマシだ」と思う位には。
もちろん、「人によっては」とカッコつきで書いたように人によっては全く苦ではない人ももちろんいるでしょう。それに関してはもう逃げになるかもしれませんが「人による」としか言いようがないですね。
ある意味、会社員っていうある程度「強制的にやらざるを得ない」枠組みが決まってて、責任の尻拭いを他人がしてくれる人生の方が楽な場合もありますし、まともに生きたければそういう人生を送らないといけない、もっと言えば誰にも縛られない職業であるフリーランスに「絶対になってはいけない」人というのも結構な割合でいると思います。
フリーランスをやってた人が会社員に戻って輝きだすなんてもの結構あると思います。
まぁ「会社員最高!」っていう本や記事なんて誰も見たくないので本でもネットでもまず見ませんが。
そんな会社員の事を「会社の奴隷」とか「社畜」とか「ラットレースのネズミ」等と揶揄して「俺はそんなやつとは違って自由ですけどね~」等と偉そうに言っている人も、結局は「市場の奴隷」であり「消費者の奴隷」、もっと言えば「お金の奴隷」に過ぎないじゃないですか。
無論自由を口にする人程、屁理屈をごねてこの事実を認めたがらないというのはありますが。
個人的にはこの手の人が吹き込む「自由」というのが本当に嫌いでそれは「自由」を「自分勝手」と言い換えたものではないのかと思っております。「自由」に生きるんじゃなくて「自分勝手」に生きると言ってるようなものです。
自由と自分勝手の区別もまともにできない人が安易に自由を語ってほしくないとは思っています。それはある意味「語っている」のではなく「騙っている」とさえ言えます。こんな連中を見てると本当に腹立たしく思います。勝手な事を言うな。
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