第49話 決戦4



 アルドには、最後にやっておきたいことがあった。

 魔法でとりあえずの止血をしても、自身の身体が明日の朝まで持たないことはわかっていた。


「無様だな……」


 死ぬことへの恐怖はない。リーザとの契約が失敗だった時点で、遅かれ早かれこうなることはわかっていたのだ。だから、義父の命令に従わず、カゼッラ家を襲撃し、妹と接触した。優先的にやりたかったことを、終わらせたのだから、ある意味で、アルドの一人勝ちだった。


 他人を巻き込むことすらためらわずにできる、どうしょうもない人間だと、彼自身がよくわかっていた。

 それなのに、たった一つだけ後悔があるとしたら、それはやはり彼女のことだった。


義父上ちちうえはクズだけど、俺もクズだから、な……。さて、リーザはなんて言うかな……ざまぁみろ、かな……?」


 北の森の奥深く、誰も立ち入らない場所に秘密の花園があった。今は焼け野原になっている、なんの色彩もないその場所を、アルドは通り過ぎる。クズが終わりを迎えるにはちょうどいい場所だと、彼は笑った。


 焼け野原のさらに奥、モランド家の者にも知らせていない場所に、小屋がある。リーザはそこに隠していた。モランドの屋敷に連れていかなかったのは、どこかでこんな終わり方を予想していたのかもしれない。


 アルドが木製の扉を開けると、真っ赤な巻き髪の女性が背を向けて座っていた。熱心になにかを書き記し、アルドが帰ってきたことくらいわかっているだろうに、振り返ることすらしない。

 彼女は最後まで、憎らしいほど思いどおりになってはくれないのだ。


「……なにをしているんだい?」


「悪あがき」


 アルドが話しかけてもまだ、彼女はペンを走らせる手を止めない。彼が後ろからのぞき見ると「若返り」や「時間を戻す」という言葉の羅列と数式が、女性らしいきれいな文字で記されていた。


「……どういうこと?」


 彼女の言う「悪あがき」というのがなにを差すのか、彼にはすぐにはわからなかった。身体から血が失われたせいで、思考が鈍くなっていたのだ。


「あんたの関係者として監視されながら紋章に殺されるのを待つか、あんたと心中するか……それしかないと思ってたけど、よく考えたらそうでもないのよね」


 アルドは今さらながら、彼女が王立魔法研究所の研究員なのだと思い知った。リーザは死なずに済む方法を、これから研究しようとしているのだ。最後に、彼女が助かる可能性だけでも伝えようと思っていたアルドだが、その必要はなかった。


「君って、本当に強いね」


 もう、立っていることが辛くなってしまったアルドは、リーザの肩に手をかけて彼女にもたれかかる。


「あんたも勝手に絶望してないで、もうちょっと足掻けばよかったのに。いっそバレスティと仲の悪い隣国に亡命でもして、魔法使いの力を高く売りつければよかったのよ。今さらだけど、発想が貧弱すぎ」


「ほんと、厳しいな。俺と君は、同じだと思っていた。真逆だったな……」


 愛してもいない男に、寄りかかられるのは不快なのだろう。リーザは非難するような視線を向けて、はじめてアルドのほうを見た。


「アルド?」


 呼ばない、と言っていたはずの名前を彼女は口にした。肩や脇腹が赤く染まっていることを知ったリーザが手を貸し、古びたソファまで彼を連れていく。

 名前を呼んで欲しい、と頼んだのはアルド自身なのに、いつものようにベネディットと呼ばれたほうが嬉しいような、そんな気分になった。


「義父……、モランド家に裏切られた。……俺を主犯にして、罪を軽くしたいのかな……。実力が評価される正しい国のかたちがなんとやら、って言ってたけど、崇高なこころざしって安いんだよね」


「あ、そう。……痛いの?」


 リーザはたとえいつわりでも“伴侶”だった。だから、彼女なら死に至る重傷でも、治せるのかもしれない。彼女もそれはわかっていて、あえて治癒魔法を使わないつもりのようだ。代わりに、痛みを取り除く魔法だけ、アルドにかけた。

 今、生き延びたとしてもアルドは間違いなく死罪になるはずだ。それくらい罪を重ねすぎた。治療をしないのは、おそらくリーザの優しさなのだろう。

 死に至る呪いをかけた憎むべき相手のことなど、思いやる必要はないのに。


「君って、いつも俺の予想通りに動かないよね……? 本当に、困るよ」


「なんでムカつく奴の思い通りに動かなきゃいけないの? あんたの希望と真逆なら、本望よ!」


 憎んでいると口にしながら、彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「スカリオーネ殿を頼るといいよ。……俺としては、あの人めちゃくちゃ嫌いなんだけどね。……本当かどうか知らないけれど、策があるらしいから。君一人で考えるより、よっぽどいい」


 地位も、才能も持っていて、周囲の目など気にもしないシルヴィオ・スカリオーネという男が、アルドはとにかく嫌いだった。

 妹に幸福を与えて、血の繋がった家族との記憶を薄れさせたのは、全部あの男。あの男が存在しているから、妹は思い通りに動かない。

 リーザについても同じだった。昔のように彼女が本当に一人なら、間違いなく自分の手を取ってくれたはず。そうならなかったのは、あの男を含めた何人かが、平民の彼女を高く評価して居場所を与えたから。だからアルドは、シルヴィオを憎んでいた。


 そんなアルドの額の汗を、リーザが丁寧に拭ってくれる。

 気の強そうな榛色はしばみいろの瞳でにらまれるのが好きなのに、やはり彼女はどこまでも彼の思い通りにはならない。


 リーザは泣いていた。


「リーザは、本当に優しいね」


「あんたのためじゃないわよ。あんたがあたしにしたことは、なかったことにはならないの」


「……そうだね」


 アルドは瞳を閉じた。痛みは感じない。けれど、真冬のように寒くて不快だった。冷えた彼の指先を、なにかが優しく包みこむ。アルドに最後まで残された感覚は、その暖かさを感じること、そして聴覚だけだった。


「あんたが私を利用したことも、昔、私に優しくしてくれたことも、両方ともなかったことにはできないの。あたしがずっと覚えていてあげるから……もう、ゆっくり休みなさい」


 その言葉を聞いたのを最後に、アルド・カゼッラの意識は闇に沈み、もう戻ってくることはなかった。


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