第48話 決戦3



 国王軍と反乱軍は、王都を流れる川を挟んで対峙し、一時膠着状態となっていた。リーザと古本市に出かけた記憶が新しいトルトヴァ橋の一部が、魔法による戦闘で崩壊し、美しい姿が失われつつある。


 そして橋に設置された街灯の上に、灰色の髪の青年――――アルドの姿があった。


「お兄様!」


 ルーチェとシルヴィオは対岸の橋のたもとに立ち、アルドを見上げる。


「兄だとわかってちゃんと話すのは、十年ぶりかな? ルーチェ。やっぱり出てきてしまったんだね? 残念だなぁ」


 彼は笑っていた。その姿はとても残念そうに見えない。心から楽しそう、というわけではない。すべてを諦めてしまっているような、皮肉をこめて世界を見ているような、そんな笑みだ。


「アルド、彼女はどこだ?」


 シルヴィオがあえて「彼女」とだけ言ったのは、リーザの名を伏せる配慮だ。腕輪の石に反対の指先で触れ、いつでも魔法が使える状態だが、まずはアルドと話をするつもりのようだ。


「彼女には、悪いことをしたと思っているよ。だが、もうどうにもならないだろう? 俺にできることは、死ぬ場所を自由に選ばせてあげることだけだ」


「そんなっ!」


「投降してくれないだろうか? ……少なくとも、彼女を救う手段はある。おまえたちの契約は、解消できる」


 たとえシルヴィオに勝利したとしても、アルドには先がない。リーザの意志を無視した契約は、長く続くわけがないのだ。

 契約解消の可能性を伝えることで、無意味な争いを避ける狙いだ。


「へぇ……、スカリオーネ殿に冗談は似合わない。そんなれ言を信じろと?」


「嘘ではありません! シルヴィオ様は、私と契約した五年前からずっと方法を探していました。命の恩人だって言ったこと、お兄様は覚えていませんか?」


 必死なルーチェを見ても、ベネディットはさらに顔を歪めて笑うだけだ。実の兄だというのに、ルーチェの言葉は彼にはまったく響かない。


「……君たち、もしかして契約を解消したかったの?」


「もう、その必要はなくなった。信頼は失うこともあれば、取り戻すこともある。おまえ一人なら知ったことではないが、彼女を巻き込むな」


「ふーん。……もしかしてルーチェの病気や記憶喪失もそれ関連なのかな?」


 ルーチェもシルヴィオも、その問いかけには答えられない。二人の沈黙が、肯定の意味になる。


「……ははっ、そうか! 同じだね。俺は薬で、あなたは魔法で、大切な伴侶の心を操ったってわけかっ!」


「否定はしない」


 シルヴィオはそう言うが、ルーチェは強く否定したい気持ちだった。

 五年前に契約したのは、ルーチェの命を救うための苦肉の策だ。シルヴィオは、契約をしてより強い魔法使いになりたかったわけではない。

 そして幼かったとはいえ、ルーチェも自らの意志で契約を結んだ。ただ、シルヴィオともっと一緒にいたかったという幼稚な発想だが、それでも彼女の意志で選んだのだ。

 前提が違うのに、シルヴィオが非難されるのはおかしいと彼女は憤る。


「まぁ、いいや。もう話の時間は終わりだよ」


「お兄様……やめて、やめてください」


 彼女がどれだけ懇願しても、兄は戦いをやめる気がない。日がだいぶ傾き暗くなりはじめた中、アルドの青い魔力が輝きだす。


「ルーチェは下がっていろ。援護と、味方の護衛を頼む」


「……わかりました」


 シルヴィオが半壊している橋の上を駆ける。彼の足もとに青い光の矢が大量に突き刺さり、石畳を打ち砕きながら霧散していく。同時に、シルヴィオめがけて、対岸の反乱軍が攻撃を仕掛けてくる。

 ルーチェは魔法で壁を築き、二人の邪魔をさせないようにした。


「やっぱり、シルヴィオ様のほうが強い」


 スカリオーネの屋敷を襲撃されたとき、シルヴィオは紋章に身体をむしばまれて、本来の力を出せていなかったのだ。

 今の彼は違う。魔法使いとしての“視る”力が、ルーチェにもそれを教えてくれる。

 シルヴィオが、契約の紋章の力を完全に自分のものにしているのに対し、アルドの魔法にはどこか無駄がある。

 今のルーチェには、それまで見えなかったものがはっきりと見えていた。

 アルドの立っていた街頭が完全に折れ曲がり、彼が地面に降り立ったところで、シルヴィオがぐっと距離を詰める。


「くっ! この前と、違いすぎないか? まったく、なぜこうも思い通りにならないのかなぁ……?」


 肩で息をしているアルドが、そう言いながらまた矢を放つ。けれど、彼の攻撃はシルヴィオに届く前に、黒い闇に阻まれ、光の粒になって消えていく。


「悪いが、捕縛させてもらう」


 壊れた石畳の上を闇が這う。アルドは回避しようと宙を舞うが、シルヴィオが放った闇は、生き物のように標的を追いかける。


「ちっ!」


「おまえに勝ち目はない。投降しろ」


 アルドは周囲に結界を張って、シルヴィオの放った闇の侵入を防ごうとしている。けれど、じりじりとその範囲が狭くなっていく。もう、勝敗は決していた。


「えっ!?」


 まばゆい閃光が、アルドに浴びせられる。それは、ルーチェの予想を超える出来事だった。


「うそ! なんで、お兄様を……?」


 閃光は国王軍ではなく、反乱軍のほうから放たれた。

 シルヴィオに追い詰められたアルドの様子を見て、彼らが裏切ったのだ。アルドは予期せぬ方向からの攻撃に、膝をつく。服は裂け、肩や脇腹から血がふき出す。


「卑怯者!」


 ルーチェは自身の中から、怒りが沸々とわき上がるのを感じた。形勢が不利になったからといって、味方を背後から攻撃することなど、許していいはずがない。


「わ、我らは、その男に……そう、そうだ! ……無理やり従わされていただけだ!」


 身分の高そうな軍服の男が、叫ぶ。


「カゼッラ家の件も、スカリオーネ家の件も……アルドの単独だ! あんなことを、あ、あ、あんなことさえしなければっ!」


 アルドがわざわざ本名を名乗ったこと、そしてルーチェと接触したことによってモランド家に疑いの目が向けられた。男の言う「あんなこと」というのは、アルドがモランド家の命令を無視し、単独行動をしたことをさすのだろう。


「……ははっ! 義父上ちちうえは、本当のクズだなぁ……」


 脇腹を押さえて、アルドがよろよろと立ち上がる。


「父などと呼ぶなっ! 貴様のせいで、すべてが無駄になったではないか」


 さらに攻撃をしようとする男の魔法を、ルーチェが壁を築いて防ぐ。

 今のアルドはルーチェの敵だ。そんな人物を守るような行動は、正しくないと彼女もわかっていた。けれど、身体が勝手に動いてしまった。

 ほとんどアルド一人の能力に頼り切った、無謀な作戦で反乱を起こし、不利になったらすぐに切り捨てる。

 血縁の兄に死んで欲しくない、というだけではない。男のしていることが許せなかった。


「聞くに堪えない。黙っていろ」


 男に闇が襲いかかる。獣の咆哮のような叫び声のあと、彼は闇に飲まれたまま地面に倒れた。闇が晴れると白目をむいて痙攣する男の姿があった。


「涼しい顔して……えげつないね」


「気絶させただけだ。投降しろ」


 すべての力を橋の破壊に充てるような、すさまじいアルドの魔力。シルヴィオとルーチェが足場の確保に気を取られたその隙に、粉じんと水柱がアルドを覆い隠す。


「スカリオーネ殿は、俺を殺せない。あの子の前だからね? ……本当に、さようならだ。ルーチェ!」


 アルドの声が遠くなる。彼の言うとおり、シルヴィオは最初から生きて捕らえることしか考えていなかったのだ。姿の見えない、瀕死の人間に向かって闇雲に魔法を使うことはできない。


「お兄様っ、待って! 待って、行かないで」


 ルーチェの叫びに、アルドが応えることはなく、周囲の景色が見えるようになったときにはすでに、彼はいなかった。


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