第46話 決戦1



 急いで向かったリーザの家は、すでにもぬけの殻だった。わずかに残されたものから、ここでリーザ以外の男性が一緒に暮らしていたことがうかがい知れた。


 ルーチェは間に合わなかったのだ。


「ルーチェ! ヴァンニの髪を採取しろ。分析するから」


「は、はい」


 もしかしたら、リーザと戦うことになるかもしれない。その前に、ルーチェの予想が正しいのかどうか、明らかにしておくつもりなのだ。

 今後、アルドを捕らえるために行動するとして、リーザが彼の協力者なのか、被害者なのかは重要だった。


 きれいに掃除がされた部屋でも、ほうきを使えば、多少のほこりが集まる。リーザの髪の毛は鮮やかな赤だから、見つけるのは簡単だった。


 シルヴィオが旅行かばんのかたちをした装置をテーブルの上に置き、準備をする。ルーチェは彼に装置の使用方法をきちんと説明していなかったが、彼女の師でもあるシルヴィオに使い方の説明は不要だった。

 装置に魔力を流して、すぐに使えるように準備をしている。


「よくできている。誇っていい出来だ」


 ――――そして 装置が導き出した結果は、「人間の毛髪」と「パヴェロの雌しべ」……リーザの毛髪には、麻薬の成分が含まれていた。


「リーザさん……、やっぱり彼女の意志で契約したんじゃないんですよ! 心が自由になったら紋章に蝕まれてしまう。そんなのひどすぎます」


 リーザをそんな目に遭わせているのが、実の兄かもしれないという事実が、ルーチェには衝撃だった。


「まだ間に合うと言ったはずだ。ベネディット・モランド――――アルド・カゼッラの捕縛、そしてヴァンニの保護、これが今私たちが行うべきことだろう」


「間に合うって、シルヴィオ様は二人の紋章を消し去るつもりなんですか?」


 麻薬を使って無理やり契約をしているのだと仮定すれば、リーザはいずれ死に至る。契約を維持し続ければパヴェロの花が彼女を蝕み、麻薬を絶てば紋章が彼女を殺すのだ。

 けれどシルヴィオは、まだ助けられると言った。考えられる方法は一つだ。


「そうだ」


「……それでいいのですか? そうしたら、私たちはもう」


 別の紋章所有者がいれば、“契約の紋章”は消し去ることができる。けれど、それをするとルーチェたちの契約解消への道は遠のく。


「怖いか? だが、それが最善だと思う」


 ルーチェもできることなら、そうしたいと願っていた。けれど同時に、彼が何年もの歳月を費やした研究を、自身のために使わなくていいのだろうか、と思ったのだ。

 もともとシルヴィオは、ルーチェの命を救うためだけに契約をした。将来の危険性を考えて、やっと紋章を消し去る魔法理論が完成したのだ。だから、きれいごとは抜きにして、まずシルヴィオに助かる権利があるのだとルーチェは考えていた。

 一時的に危険は去ったとしても、何十年先までの保証を彼にしてあげられないのが、未熟なルーチェの現実だった。


「努力の方向が間違っていた」


「努力の方向、ですか?」


 意味がわからず戸惑うルーチェに、シルヴィオがいつもの優しい笑みを向ける。


「将来の危険性を考えて、契約解消の手段を見つけることが、おまえを守るために必要だと思っていた。けれど、その時間をもっとおまえの心を知ろうとするほうに費やしていれば、遠回りすることもなかったんだろう」


「私は、変わるのが怖かったんです。よいほうに変わることすら、怖くて……ごめんなさい」


 シルヴィオが将来どうしたいのか、聞くことすらためらって、勝手に誤解したのはルーチェだ。なんども彼の本心を聞く機会はあった。

 観劇に行ったとき、噂になってもかまわないと言っていた。誕生日の前には、給仕ではなくちゃんとした格好をしろと言っていた。

 彼は少なくともルーチェがなにかをたずねれば、いつもきちんと答えてくれていた。


「これからは、逃げ道ばかりを探すのはやめる。だからこれでいいんだ」


 シルヴィオがルーチェの頭をなでる。二人の関係は変わったはずなのに、彼はやっぱりルーチェを子供扱いする。けれど、彼女はもうせつない気持ちにはならなかった。


「王宮へ行こう。情報がほしいし、ヴァンニに関しては単なる被害者だと事前に説明しておいたほうが、心証がいい」


「王宮へ行くのなら、紋章は隠さないと……」


 最後の記憶を戻す直前に、紋章を隠すための魔法をシルヴィオが解いたのだ。

 これから多くの人間が出入りする王宮へ行くのなら、それではまずい。そう思った彼女は、もう一度紋章を隠そうと反対の手でそれに触れた。


「もう、隠す必要はない」


 彼女がなにをしようとしているのかを察したシルヴィオが、それを止める。そこには誰が見てもわかるほどはっきりとアネモネの花をかたどった紋章が刻まれている。


「でも、人前で戦うかもしれないのに?」


「隠していたのは、主従関係で契約が成り立つことを知られないためだろう? それは無理だと私たちが証明してしまったから、もういいんだ。もしアルドと戦う事態になったのなら、本気を出さなければ勝てない。隠すことなど不可能だ」


「……私の、紋章。もう隠さなくていいんですね」


 五年間隠してきた紋章が、今は確かに二人の手に存在している。紋章も、二人の関係も、そしてルーチェの想いも、これからは隠す必要はないのだ。それがルーチェを勇気づけてくれる。


「今の私たちならアルド・カゼッラに勝てると思う。前回、不甲斐ない姿を晒しておいてなんだが……、私たちの絆が深まったせいか、力が安定している」


「それは、私も感じます」


 シルヴィオの言葉はおごりではなく、冷静な分析だ。

 前回、シルヴィオがアルドに負けたのは、紋章が彼を蝕んでいて、本調子ではなかったせいもある。今の二人は、自分でもそれまでとの違いをはっきりと認識できるほど、紋章の力――――二人の絆を感じられるようになっていた。無理やり契約を結んでいる状態のアルドたちが、それと同じとは考えられない。


「落ち着いて、するべきことをするんだ。アルドの捕縛、ヴァンニの救出。……わかるな?」


「はい、シルヴィオ様」


 これから兄と戦う。兄と戦えるのは自分たちだけ。戦わないと犠牲者がでるかもしれないし、リーザも救えない。

 馬に乗って、王宮までの道のりを急ぐあいだ、ルーチェはそんなことを延々と考えて、ずっと心が落ち着かないままでいた。

 西の塔へ行ったとき、そして先日アルドと対峙したとき。ルーチェは今まで二度、実戦を経験した。けれどその二回は、戦う覚悟のないまま、とっさの判断で魔法を人に向けただけのこと。


 今回はじめて、人――――それも実の兄と、自らの意志で戦うかもしれない。彼女は怖くて怖くて、仕方がなかった。


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