第45話 赤い花5
『俺の秘密は、君を不安にさせてしまうだろう。いいかい?忘れるんだ……君自身のために』
『愛している。……君も愛してくれているのなら、それを証明してくれないか? 俺には力が必要なんだ。かつて俺や家族を陥れたものたちに、復讐する力……君ならきっとできる。左手を出して?』
『なんで急に魔法が上手く使えるようになったか、だって? どうしたんだい? 君が努力したからだろう? 今ならきっと十六家の直系にだって負けないはずだよ』
リーザは激しい左手の痛みで目を覚ました。むせかえるような花の香りで吐き気がする。
「なに、今の……?」
目が覚めたのは彼女の部屋、そしてすぐ隣には
(恋人? いつから……?)
彼とは孤児院時代に出会って、数ヶ月前につきあい始めたはずだった。けれど、いまのリーザにはどんな話をしてそんな関係になったのか、ぜんぜん思い出せない。
逆に思い出したのは、ルーチェとベネディットの関係と、左手になにかされたこと。そしてリーザ自身の記憶が一部消えていたことだ。
「……おはよう、リーザ。大丈夫? 昨日、具合が悪そうだったよ?」
「あんたっ!……あんたがなんかやったんでしょ? あたしに、なにか、したでしょう!?」
恋人に対して感じていた不安の正体が、今のリーザにははっきりとわかった。そもそも、この男はリーザのことなんて愛していないのだ。
「薬も暗示も、効き目が悪くなってきたんだ? 残念だ……パヴェロの花畑、誰かに焼かれちゃったんだよね。もう資金調達もできない」
ベネディットは笑っていた。
「……くっ、なに言ってんの!?」
パヴェロは幻覚作用のある花だ。彼女も名前くらいは聞いたことがある。
リーザは彼が好むから、少しだけ香水をつけるようにしていた。それは、独特な花の香りをごまかすためだったのだ。
今の彼女は、麻薬におかされ、呪いのような紋章を宿している。不思議と涙は出なかった。人は絶望すると、案外冷静になれるものだと、リーザは心の中で自嘲気味に笑う。
「いつか君の愛情が本物になってくれたら……、俺の痛みもとれると思っていた。俺だって死のうと思ってこんなことをしたわけじゃないんだ。君と俺が、二人でこの国を支配していけると信じていたんだけど」
それはまるで、愛情が本物にならなかったのはリーザのせいだ、と非難するような言い方だ。もう恋人のふりすらやめて、言い訳すらしない彼に、彼女は怒りしか感じない。
「暗示で従わせて……、それでいつか本物って? どれだけばかにしているの!?」
「急いでいたんだ。俺は、かくまってもらった対価として、モランド家に協力しなきゃいけない立場だから。当てにしていたあの子が、ぜんぜん心を開いてくれないしね」
彼の言う「あの子」とはルーチェのことだ。
「……なに言ってるの? あんたたち、
それは実の妹と契約するつもりだった、という意味だろう。
いつも
彼女はいつも強気で、しっかりしているように見えて、本当は孤独で弱かった。
悪意には強いつもりだった。けれど、少し甘い言葉を言われただけで、すぐに心が脆くなり、崩れていく。リーザは優しさにはとことん弱かった。
実際、彼女はこの男と一緒にいられることを幸せだと感じていた。操られていたとしても、彼を好きだと思っていた感情のすべてがいつわりではなく、ほんの少しだけ本当が混ざっていたのだ。
「実の妹でも、試す価値はあったと思うよ。もっとも、あっちはスカリオーネの御曹司ととっくに契約していて見当違いだったから、君を選んで正解だったんだけどね。俺たち以外に契約者がいたことは完全に予想外だったなぁ……」
「あぁ、そうなんだ。あれが本物の“伴侶”なんだ」
あの二人が紋章を宿しているという事実に、リーザはあまり驚かなかった。妙に納得する気持ちだ。本物を見せつけられると、
それは今まで、ルーチェに対し、何度も感じてきた感情だった。
「これから、どうするつもりなの? 警備隊の武器庫襲撃の犯人もあんた?」
「協力はしたけど……主犯はモランド家だよ。あの人たちは、王家と十六家がすべてを支配する今の体制が不満なんだ。って言いつつ、直系の俺を担ぐつもりだったんだから、笑えるでしょ?」
それならば、奪った武器はモランド家にあって、戦の準備をしているはずだ。十六家に次ぐ名家が、盗賊と同じようなことをしていたという事実に、リーザは笑った。
「あんたは支配者になりたいの? ……モランド家に利用されて用済みになった頃には、紋章に蝕まれて死亡、ってことじゃない。ご愁傷様ね」
死ぬのはリーザも一緒だ。もう、取り乱さないことだけが、リーザができる最後の抵抗だった。
「カゼッラ家の、両親の悲願……。目的を達成できれば、俺はもう、それでいい。カゼッラ家を名乗る裏切り者は始末したから、残るは王家だけだ。そのあと、この国を支配するのが俺ではなくてもね。カゼッラ家こそが、最強だと示せればいい」
「違う! あんたは逃げて、隠れて、自分を否定されるのに疲れちゃったんじゃないの? 名前を取り戻したかったんだ? あたしを選んだのも、あたしが何者にもなれない、あんたと同じ孤独な人間だから……そうじゃないの?」
強い魔力を持ったリーザは、特権階級の魔法使いに混ざって暮らすことしか選べなかった。彼女のような存在を、国は野放しにはしない。
力を示せば、上を目指せば、自由と他者からの尊敬が手に入れられると信じて、リーザは今まで必死だった。
けれど大人になるにつれて、いくら魔法が使えても、いつまで経っても、ずっと一人なのだと否応なしに理解させられた。
きっとベネディットも同じだ。本来の身分を隠し、いつわりだらけ。秘密を知られたら、脅され、利用される。そんな生き方から抜け出せる方法は、自分が支配者になるか、死か。
彼にとってのこの状況は、どちらに転んでも望みが叶う、それだけのことなのだ。
「痛いなぁ……君のそういうところ、好きなんだけど。君が俺を愛してくれたら、君は助かるし、誰にも虐げられない身分になれるよ?」
「ばっかじゃないの!?」
こんな状況になっても、リーザはこの男のことを完全には憎めなかった。ベネディットの言うように、自分のような存在を認めてくれないこの国を乗っ取ってしまおうか、という感情も彼女の中にはある。
もし、彼が暗示や薬など使わずに、一緒に自分たちの居場所を作るために戦おうと言っていたら、彼女は心動かされていたかもしれない。だが……。
「君は俺のことが好きだったでしょう?」
「……それは認めるわ。だけど人の気持ちは変わるから。残念でした、思い通りにならなくて!」
「そうか。君なら俺の孤独をわかってくれると思っていたけど。やはりわかり合えないか」
それは違った。リーザが彼の孤独を理解しないのではない。彼のほうが、愛される可能性を最初から捨てていたのだ。彼は人に愛される方法を知らない、愚かな人間だった。
「あたしをどうするつもり?」
「一緒に来てもらう。君を殺されたら、それだけで俺の力がどうなるのか、よくわからないからね。……あまり抵抗はしてほしくないんだけど」
「抵抗したらまた薬漬けってわけ? 本当に、似ていない
昔、彼だけが優しくしてくれた記憶は、リーザの中にまだ残っている。そもそもリーザの命が失われようとしている元凶はこの男なのだから、相殺しても恨みのほうが大きい。
恨みで昔のきれいな思い出が消えてくれたらいいのに、とリーザは思う。でもそうはならなかった。
だから、リーザはこの男が滅びる様を、近くで見守ることにした。
ルーチェとシルヴィオが紋章所有者ならば、ベネディットに勝ち目はない。リーザは協力しないのだから、戦力に差がありすぎて、もう未来は決まっている。
結局彼女の未来は、罪の紋章を宿して国に監視されながら一人で朽ちるか、目の前の男と一緒に朽ちるかの二択なのだ。
「君って本当に……。ねぇ、俺のことはアルドって呼んでくれないか?」
「調子にのらないで! あんたでじゅうぶんだわっ!」
ベネディットは笑っていた。その瞳が少しだけルーチェに似ていて、リーザを苛立たせた。
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