第44話 赤い花4



 リーザは、孤児院で生まれ育った。母親も父親も不明だ。小さな頃から魔力が高いことがわかっていたので、少なくとも両親のどちらかが魔法使いだということはわかっていた。

 一番可能性が高いのは、高貴な身分の男が遊びで子を成して、責任をとらなかったという、どこにでもある話だった。

 真相はわからないが、周囲の人間は彼女をそういうふうに扱ったし、自身でも、彼らの言うことはだいたい当たってるのだと思っていた。


 魔法使いの特性を持って生まれた結果、リーザは孤児院で浮いていた。

 彼女にとっては、ほかの孤児たち同様、特権階級の魔法使いは富を独占している嫌悪と羨望の対象だった。それなのに、周囲の人間にとって一番近くにいる魔法使いがリーザなのだ。

 手の届かない本物の特権階級の人間より、罵倒しても誰にも非難されない、都合のよいもどき・・・が近くにいた。


 彼女が孤児院でどんな扱いを受けたかは、誰でも簡単に想像できるはずだ。


 そんなリーザに一人だけ、優しく接してくれた少年がいた。灰色の髪に青い瞳、リーザより三つ年上のベネディットだった。

 彼は内戦で親を亡くし、行く当てがないのだと話していた。

 最初はなぜ、彼が優しくしてくれるのか、彼女にはわからなかった。けれど、一年ほど一緒に過ごした頃、リーザは彼から秘密を打ち明けられた。


「本当は、俺の親は結構な力を持つ魔法使いなんだ。戦争で死んでしまったのは事実だけど、俺は名前を変えて、見た目も変えて、能力を隠さないと生きることすら許されない」


「なに? じゃあ、あたしに優しくするのは後ろめたいから? ばれたら、あんたが私みたいに扱われるのを知っているから?」


「そうかもしれない。でも、それだけじゃない。君を見てると妹を思い出すんだ」


「似てるの? その子と私」


「いや、ぜんぜん? でも、妹も罪人の娘として酷いことをされているんじゃないかって、想像してしまうんだ」


「ふーん」


 優しさが、後ろめたさの裏返しでも、妹の身代わりでも、それでもリーザには嬉しかったのだ。それくらい、彼女は誰かの温かい手に飢えていた。

 彼と一緒にいた期間は長くはない。リーザはその後、才能を見込まれて、魔法を習うために学校へ通えることになったのだ。

 ベネディットもすぐに孤児院を去る年齢になり、どこかの町へ行ってしまった。


 同じ魔法使い同士なら、友人になれるかもしれない。リーザのそんな期待はすぐに裏切られる。結局、リーザは誰とも「同じ」になれなかった。

 大きくなるにつれて、リーザの将来は否応なしに定まっていく。

 彼女は魔法使いの才能を見込まれたのではなく、強い力が危険視されただけだった。国に管理されるだけの立場だった。


 そんな中でも足掻あがき続け、地方都市で努力を重ねた。やっとの思いで正規の魔法使いになり、王立魔法研究所の正式な魔法使いになったのが十五歳。

 ちょうど同じ頃に、副所長シルヴィオ・スカリオーネの助手として、ルーチェと出会った。


 シルヴィオは、若くして様々な論文を発表している有名な魔法使いだ。リーザは密かに彼に憧れ、尊敬していた。

 無駄のない、理路整然とした文章を書く人物なのだから、すばらしい人格者かもしれないと、彼女は勝手に期待して、実際の彼に会い落胆した。

 たしかにほかの研究員とは違い、リーザを生まれで差別することはなかった。というよりも、彼は特別すぎて、リーザとほかの研究員のあいだにある身分的な差をわかっていない、興味もない、といった様子だ。

 シルヴィオが興味を示すのは、研究と、いつも一緒にいる助手のルーチェのことだけ。

 ルーチェはリーザの一つ年下だったが、見た目も言動もかなり幼い。彼女がどういう事情で、スカリオーネ家に預けられているのかは、すぐにわかった。


 彼女は、元十六家の令嬢で、今は身分の定まらない、中途半端な身の上だった。シルヴィオ以外の研究員は、リーザに対する態度よりも、さらに醜悪な……存在を認めないような、そんな態度で彼女に接している。

 ルーチェはそれをわかっていて、気にしないふりをしていた。

 庶民で魔法が使えるリーザと、正統な魔法使いの家系に生まれ、身分を失ったルーチェ。二人は正反対で、少し似ている部分があった。


 だから、リーザはルーチェのことが気になり、いつも彼女の態度に苛立っていた。



(なんで、平気な顔をしてヘラヘラ笑っているのよ! 力を見せつけてやればいいのに。少しは反論したらどうなのっ!)



 なにか起こるたびに、ルーチェに突っかかり、ついでに彼女にいろいろと強要している立場のシルヴィオにも腹が立っていた。


 そんなとき、リーザは任務でベネディットと再会を果たした。


「警備隊所属のベネディット・モランドと申します。今回は西の塔の近くにある警備隊の詰め所まで案内役として、同行させていただきます」


 目の前にいるのは間違いなくリーザの知っているベネディットだった。けれどモランドという十六家に次ぐ名家の姓を名乗ったため、リーザは「久しぶり」という言葉を言わなかった。


「モランド?」


「ええ、でも……俺は養子なんです。だから、そこまで高位の魔法は使えないですよ。軍に所属したあとに腕を買われて、一族の末席に身を置かせてもらっています。……庶民の出、ということについてはヴァンニ殿と立場は似ているかもしれませんね」


 ベネディットはリーザの名前を知っているはずなのに、まるではじめて会ったかのような態度だった。


「そうでしたか。……私の名前、ご存じなんですか?」


 少しの期待を込めて、リーザはそうたずねた。けれど、彼女の望む返答は彼からもらえなかった。


「庶民出身で、若くして正式な研究員になった才女だと有名ですからね。それからそちらは?」


 馬鹿みたいだった。リーザは「なにを言っているんだい? 孤児院で一緒だっただろう」と言ってほしかったのだ。


「ルーチェ・シーカです。私は、副所長シルヴィオ・スカリオーネ様の助手をしています。よろしくお願いしますモランドさん」


「シーカさんだね? 家名で呼ばれることには慣れていないから、ベネディットと呼んでくれるかな?」


「あ、はい。じゃあ私のこともルーチェとお呼びください」


 そのやり取りを聞いて、リーザは内心傷ついてしまった。ルーチェにだけ、下の名前で呼ぶように言ったからだ。



(あ、そう。そういう態度か! べつにいいけどね……あたしにはもう関係ない人だし!)



 孤児院に居たとき、彼はリーザのことを名前で呼んでいた。そして今は、はじめて会ったかのような態度で、わざと姓で呼んだのだ。

 せっかく名家の養子になったのに、平民との関わりなんていらない。俺とおまえは知り合いじゃない。彼はそう言っているのだとリーザは判断した。



(だったら、あんたの望み通り徹底的に他人のふりをしてやるわよ!)



 怒っている時点で、本当は彼の存在が気になっているのだが、リーザは認められなかった。

 以降、西の塔へ向かう任務中も、町や王宮で偶然会ったときも、彼に過去の話は一切しなかった。あくまで、任務で一度だけ一緒になったことがある「ヴァンニ殿」と「モランド殿」という関係に徹した。


 そうやって、彼との関わりはなくなっていくものだと彼女は考えていた。きっとリーザにとってベネディットは初恋の相手だったのだろう。だから、町で顔を会わせるたび、実らず終わったことを虚しく感じていた。そんな感情も、時間が経てば薄れていく。


 十九になったリーザは、研究所の仕事、そして病に倒れた友人のことで頭がいっぱいで、ベネディットのことを考える時間が減っていた。そんなある日、ルーチェの見舞いに行こうと、借りている部屋を出ようとしたとき、ベネディットがやって来た。


「あら、モランド殿? 一人暮らしの女性の部屋を訪ねてくるなんて、家名に傷がつきません?」


「そう言わないで、ちょっと話があるんだ」


 部屋の扉を閉めようとしたところで、ベネディットが足を挟んでそれを阻止する。警備隊の……つまりは軍に所属している肉体派の男性に、リーザが力で叶うはずもない。


「あんたのことなんて、どーでもいいし。ていうか、ルーチェにつきまとって、あの子のご主人様を怒らせたんでしょ? ご愁傷様」


 何年も過去の関わりを否定するような行動をしていて、突然やってくるとはいい度胸。リーザはこれ以上しつこいようなら大声をだすつもりで、彼をにらみつけた。


「リーザ……、他人のふりをしたのは、君を忘れたからじゃない。関わってほしくないと思っただけだ」


「あたしも関わりたくありませんけど?」


「違うよ。ちょっと扉を閉めてもいい?」


 許可を出す前に、ベネディットは勝手に部屋に入ってきた。直後に甘い香りがただよう。男のくせに、こんなに甘い香りの香水をつけている青年に、リーザは違和感を覚える。なんとなく不快だった。


「ルーチェと俺は兄妹きょうだいなんだ。これで、俺に関わって欲しくないと思っている理由がわかるかな?」


 あまりにも唐突な話で、リーザはなんどもまばたきをする。


「旧カゼッラ家の、生き残り……? 嘘でしょ?」


「嘘じゃないよ。俺の本当の名前はアルド・カゼッラだ。内戦で両親を失った、妹がいる、名前も魔力も隠している……それはリーザにも話したはずだ」


 孤児院で彼と過ごした時期と、アルド・カゼッラが行方不明になったタイミング、幼い頃に彼から聞いた話、そしてなによりルーチェと同じ瞳の色……リーザは彼の話を冗談だと、笑い飛ばせなかった。

 瞳をじっと見つめていたら、リーザの足から急に力が抜ける。ベネディットがそれをしっかりと支えてくれた。


 彼女は不思議と、それを嫌だとは感じなかった。


「あの子……最近どうしてスカリオーネ家の御曹司と一緒じゃないのかな? リーザは知っているかい?」


 体調を崩したルーチェは、ずっと屋敷にこもっている。常にシルヴィオと一緒にいるはずの彼女が姿を現さないことを、ベネディットは不自然に感じて、リーザを頼ったのだ。


「病気なのよ。……原因ははっきりとは教えてくれないけれど、少し痩せてしまって、心配だわ。今日も、副所長はどうしても外せない用事があるからって、屋敷に呼ばれているの。話し相手がいたほうがいいからって……」


 リーザの口からは、不思議なほど素直な言葉が出てくる。


「頼む。会わせてくれないか?」


「無理よ。あんた、副所長にめちゃめちゃ嫌われてるじゃない。屋敷にいれてもらえるわけないわ」


 ベネディットがあまりにも真剣なので、リーザはできることならば叶えてあげたいと思った。けれど彼がスカリオーネ家に出入りできるとは到底思えない。本当の身分を明かすわけにもいかないだろう。


「今日、スカリオーネ殿はいないんだろう? 俺の顔を知っているのは彼だけだから、リーザの同僚のふりをすればいれてもらえる……お願いだ」


「……わかったわ。兄妹きょうだいなんだもの……仕方ないわね」


「ありがとう、リーザ。愛しているよ・・・・・・


 その言葉に、彼女は歓喜した。ベネディットに忘れたふりをされて、辛かったのは、彼を愛していたから。彼がリーザを遠ざけたかったのは、巻き込みたくないと思うほど、愛していたから。


「私も……」


 もうベネディットの前で、意地を張る必要はないのだ。リーザの瞳からは嬉しくて涙がぽろぽろとこぼれた。


 甘い花の香りで、心が満たされていく。彼女がずっと感じていた孤独が嘘のように消え去ったのだ。


 そして気持ちが落ち着いてから、二人でルーチェのお見舞いに向かった。


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