第40話 嫉妬4



 スカリオーネ家で大規模な夜会が披かれるのは久々だった。

 普段使われない大広間は、数日前から徹底的にほこりが落とされた。高い位置にある装飾も、大きな窓にも一点の曇りもない。

 シャンデリアには魔法で明かりが灯されて、壁や柱の装飾を明るく照らしている。

 人々の熱気を逃がすために明け放れている掃き出し窓の先には、庭へと続くバルコニーがある。

 そこにも今日だけは魔力で灯るランタンが大量に設置され、昼間のような明るさだ。


 ルーチェは給仕の仕事をしながら、夜会の様子を眺めていた。

 遠くには、漆黒の正装姿のシルヴィオがいる。彼はどんなにまばゆい光の中でも、おのれを失わない。ルーチェには、彼だけが景色から浮き出ているように見えた。そして、いつも隣にいたはずの彼が遠くに行ってしまった気がした。


「あら、ルーチェさん。ごきげんよう」


 給仕をしてたルーチェに話しかけてきたのは、スカリオーネ家の分家の娘、オリエッタだった。彼女たち姉妹も当然、夜会の招待客だった。


「オリエッタ様。いい夜ですね」


「なんで今夜はその服装なんですの?」


「なんでって……これが普段の服装ですけれど?」


 この姿でルーチェは何度もオリエッタとあったことがある。それなのになぜ、わざわざ服装のことを指摘するのか、ルーチェには彼女の質問の意味がわからなかった。


「てっきり、シルヴィオ様やスカリオーネの伯父様は、あなたを表にだしてくるのではないかと思っていましたけれど、違いましたのね?」


「私、助手ですから」


「安心したわ。あなたは、スカリオーネ家にふさわしくないもの。たとえ誰よりも魔法使いとしての能力があってもね。……ほら、お姉様とシルヴィオ様よ! お似合いだと思わない?」


 栗色の髪をみごとに結い上げ、清楚な印象のドレスに身を包んだエルサが、シルヴィオに差し出された手を取り、頬を染めて微笑んだ。

 ルーチェのほうからは、主がどんな表情をしているのかはよく見えない。やがて最初の曲がはじまり、ダンスがはじまる。



 もし、シルヴィオが、エルサに微笑みかけたら?


 もし、シルヴィオが、もう一曲彼女と踊ったら?



「え、ええ。とっても、お似合いです……シルヴィオ様にはエルサ様のような女性がふさわしいのかもしれませんね」


 二人のほうから視線を背けて、ルーチェはまた心にもないことを口にした。

 その瞬間、紋章が彼女に罰を与えるように痛み出す。


「ルーチェさん? 具合が悪いのかしら? 真っ青よ」


「いいえ」


 痛みで手が震え、全身から血の気が引いていく。ルーチェは、とっさに震える左の手を隠した。


「ちょっと、どこか悪いのなら下がりなさいよね? わたくしがいじめているみたいじゃない」


 それは彼女なりの気遣いなのだろう。使用人が夜会の最中に倒れるようなことがあったら、スカリオーネ家の恥になる。きっとシルヴィオも心配をするだろう。卑怯な手段でシルヴィオの邪魔をしてはいけなかった。だから、ルーチェはオリエッタの言葉に頷く。


「……はい、ごめんなさい。お気になさらず、オリエッタ様はお楽しみください」


「そう?」


「失礼します」


 その後、ルーチェは近くにいた使用人に「お腹が痛い」と言ってから、私室で休むことにした。使用人の部屋がある場所まで、長い廊下を歩いて行くと、灯された明かりの数が徐々に減っていく。

 彼女は壁に右手をつきながら、這うように薄暗い廊下を進んだ。額に流れる汗が身体から体温を奪い、涙で視界がぼやける。左手はただ、震えるだけで、動かすことすらできなくなっている。

 それならいっそ、感覚もなくなってくれたら楽なのに、痛みだけは消えるどころか増していく。


 やっとのことで私室にたどり着いたルーチェは、そのままベッドに倒れ込み、真っ暗な室内で痛みと孤独に耐えた。

 エルサが頬を染めて、シルヴィオと見つめ合っている様子が頭から離れない。



(嫉妬しているんだ……。私、シルヴィオ様を誰にも渡したくないんだ……絶対嫌なのに……)



 今さら気づいても、もう遅い。紋章はきっと二人の気持ちが乖離かいりしていることを許さないのだろう。シルヴィオの気持ちが親愛なのに、ルーチェはもっと絶対的な唯一の愛情を求めてしまっている。

 この気持ちはすぐに消さなければ、いつか二人を殺すのだ。


「……っ、わたし、どうすればいいの? このままじゃ、シルヴィオ様まで……」


 紋章があるはずの左手を燃やしたら、あるいはナイフで突き刺したら、契約を無効にできないだろうか。永遠とそんなことを考えながら、ルーチェは何時間ももがいていた。


「はっ……はぁっ、いたい、よ……」


 遠くで聞こえる夜会を楽しむ人々の声が、今の彼女には不快に感じられた。そこがシルヴィオの居場所で、あの眩しいほどの光の下で、どこかの令嬢の手を取っているのかもしれないと思うと、消えてなくなりたいと思った。


「シルヴィオ、様……。たすけて」


 起きているか眠っているのかわからない状態で、どれほどの時間が経ったのか。

 ルーチェは、扉のほうから光が差し込むのをぼんやりと眺めていた。


「……チェ、ルーチェ!」


 彼に知られたくないと思っていたはずなのに、ルーチェは名前を呼ばれたことで安堵した。


「シルヴィオさ、ま、たすけて……私の気持ち、消そうと思っても消えてくれないのっ。自分のことなのに、自分でどうにもならない……どうして? 変わりたくないのに。ずっと同じでいたいのに……」


 シルヴィオがルーチェを抱きしめて、震えて自分の意志では動かない彼女の左手を優しく取る。手を温めてもらえるだけで、激痛が少しだけ和らぐ。


「大丈夫だ、それはすぐに死に至るものではない。まだ、大丈夫だから、眠っていなさい」


 廊下からの光だけが差し込む薄暗い部屋で、シルヴィオがじっとルーチェを見つめている。魔法を使っているのだ。ルーチェはだんだん目を開けているのが辛くなり、嘘みたいに痛みが引いていくのを感じた。


「シルヴィオさま?」


「なにも心配しなくていい。ずっとここにいるから眠っていろ」


 シルヴィオは契約した四年前と変わらず、ただ優しい。欲を抱いて、変わってしまったのはやっぱりルーチェだ。彼の想いを裏切っているのに、それでも優しいシルヴィオに、ルーチェは死しか与えられない。


「……いつから、おまえまで・・蝕まれていたんだ?」


 意識を失う寸前、ルーチェは確かにシルヴィオのその言葉を聞いた。


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