第38話 嫉妬2



 シルヴィオの誕生日が一週間後にせまり、ルーチェは彼への贈り物を用意するのに熱心だった。


 これまでは、よく眠れるようにと、ラベンダーの入ったサシェや彼の好きなお菓子を贈っていた。けれど今年は、なにかあるじが喜ぶものを贈るつもりだった。十七という年齢なら、ほとんどの者が働いているし、女性なら結婚だってしているかもしれない、つまりは大人の一員だ。年齢にふさわしいものを贈りたかったのだ。



(私なら、シルヴィオ様に一番よろこんでもらえるものを、用意できるんだから!)



 きっと夜会のときに、彼は多くの人から贈り物をもらうはずだ。

 助手として給金を貯め込んでいても、特権階級の者が用意した贈り物と、金額的な部分で張り合うのは無理だった。

 彼女の強みは、シルヴィオの誰よりも近くにいられること。彼が一番よろこぶものを用意できるのは、自分でありたい。彼女はそんなふうに考えていた。

 それがシルヴィオに「ただずっと仕えていたい」と言ったことと、かなり矛盾しているのに、彼女は気がつかない。


 ルーチェはここ数ヶ月、休日や夜に一人である研究をしていた。もともとはシルヴィオから出された課題の一つだった。


「分析装置……」


 分析装置は薬草などに、どういった成分が含まれているのかを調べる、魔力で動かす機械だ。一般的な大きさは、四人掛けのテーブルと同じくらい。

 いろいろな物質を分析するためには、サンプルになるものを魔力によって分解し、その結果を石の中に情報として記憶しておく必要がある。多くの物質を分析するためには、石の数が膨大になり、設置した場所から移動できないくらいの大きさになってしまうのだ。


 ルーチェは今、その装置の小型化に取り組んでいる。目標は、旅行かばんと同じくらいの大きさだ。

 この装置は、病原菌の特定にも使われている。もし小型化ができれば、たとえば発生地域から持ち帰らないと特定できなかった原因菌が、現地に赴いた時点で分析できるようになる。


 小型化といっても、その技術の主な部分は、シルヴィオが一年ほど前に発表した論文をもとにしている。

 シルヴィオは石から不純物を取り除き、より多くの魔力や情報を封じ込める技術を考案した。

 ただし、純度の高い石を作るためにはとてつもない量の魔力が必要だ。だから、魔法使いが日常的に使う石に転用するのは無意味なのだが、巨大すぎる分析装置を小型化するのなら、有益な技術となる。


 彼女は、“契約の紋章”がもたらす無限に近い魔力を使って、シルヴィオの論文を実践しているのだ。


「完成したら、世界にたった一つしかなくて、しかもシルヴィオ様のお役に立てるものになるはず!」


 彼女は、主の誕生日までになんとか分析装置を完成させるつもりだった。ほかのどんなものよりも、彼によろこんでもらえる自信がある。お金では買えない、彼と同じ紋章を宿すルーチェだけが用意できる、とっておきだった。


「……材料が足りないかな?」


 精製する前の石も、装置に使う金属も、いつのまにか足りなくなってしまった。昼食を食べてから町へ行って調達しようと、ルーチェは部屋を出る。


 食堂でいつものように手早く食事を終わらせてから、出かける準備をする。もちろんきちんとシルヴィオに外出を伝えてからだ。

 彼は、立ち入り禁止の研究室に朝から籠もっていた。あの部屋の中で、主がなにをしているのかを想像すると、ルーチェの左手がちくりと痛む。

 けれど彼女は、またそれに気がつかないふりをした。気のせいだ、紋章が蝕んでいるはずがない。だって、主従の信頼関係は少しも損なわれていないのだから。最近いつも彼女は自身にそう言い聞かせていた。


 痛みを無視してルーチェは扉をノックする。


「どうした?」


「はい、今日はこれから少しだけお出かけをしてくるので、その報告です!」


 扉は決して開けずに、ルーチェはいつもより大きめの声で主に用件を伝える。


「……どこへ行くんだ?」


「え、えっと。リーザさんと、ちょっとお出かけしてくるだけです!」


 装置の完成を急いでいることは、彼に秘密にしていた。だからつい、リーザの名前を出してしまった。彼女とは頻繁に会っているので、疑われることもない。


「そうか、暗くなるまでには必ず帰るように」


「はい! いってきますね」


 今日、買い物を済ませて、遅くまで作業をしたら、きっと一週間以内に完成できる。ルーチェは少し浮かれながら屋敷をあとにした。



 §



 魔法使いの必須アイテムである石は、町の魔法用品店で売っている。魔法使いのほとんどが特権階級であることから、道具は高額なものが多い。

 ほかにも装置に必要な道具を買い込むと、ルーチェの給金二月ふたつき分のお金があっという間になくなってしまった。

 といっても、彼女の衣食住はスカリオーネ家が保証してくれて、給金を使う機会がほどんどなかった。

 住む場所も食事も無料だし、普段着ているお仕着せも支給品だ。あまり着る機会のない私服は、イメルダやシルヴィオが買ってくれた物ばかり。さらに助手として必要だという理由で、石や腕輪もシルヴィオが用意してくれたものだ。


 だからルーチェの蓄えはかなりの金額になっていた。これくらいの出費なら痛くもかゆくもないのだった。

 必要なものを揃えたあと、彼女はお気に入りの菓子店でチョコレートを買ってから帰ろうと、通りを歩く。


 すると突然、通りの反対側から声がかけられた。


「ルーチェさん!」


 行き交う馬車の合間から、手を振っているのはベネディットだった。彼は、馬車が途切れたところで、嬉しそうに走ってルーチェのところまでやってきた。先日、誘いを断る手紙を出したばかりだが、そんなことは気にもしていない様子だ。


「あ、こんにちは」


 この青年と話をすることは、べつに悪いことではない。それなのに、ルーチェの心は落ち着かない。彼の青い瞳を見ていると、なぜか話を聞きたくなるのだ。シルヴィオに対する気持ちとはまったく別だが、彼女はこの人物が嫌いではなかった。

 けれど、いつもなにかがおかしいと感じていた。その違和感の正体をルーチェは突き止められずにいる。


「買い物? 一人だなんてめずらしいね」


「はい。ベネディットさんは、お仕事ですか?」


「いいや、さっき交代して非番だよ。食事をして、買い物をして、今から寝に帰るところ」


「それはお疲れ様です」


 よく見ると、ベネディットは隊服を少し着崩していて、任務中ではないことがわかる。ルーチェたちのような規則正しい生活を送れる職種とは違い、軍や警備隊の任務は昼夜とわず、休日も不規則だった。


「せっかくだから、一緒にお茶でも飲んでいかないか? 俺、けっこう詳しいから。おいしい店を教えてあげるよ」


 にっこり笑って誘われると、つい頷きたくなるような、そんな魅力が彼にはある。けれど常識として、リーザとお茶を楽しむような気軽な気持ちで彼について行っていいはずもない。


「行きません。いつもお断りしていますし、早くお屋敷に戻らなければいけませんから」


「ちょっとだけ、君に話したいことがあるんだけど、な……?」


「私、何度もはっきり言っているはずです! シルヴィオ様の命令じゃなくて、私の意志ですって」


 きっぱりと断ると、ベネディットはひどく傷ついたような顔をする。

 彼からの誘いを断るのは、なぜか罪悪感を覚えるのだ。誘いを受けるのも、断るのも、ルーチェの自由のはずなのに。


「嫌われちゃったかな?」


「そういうことではありません。だけど、もう子供ではないので。男性と二人っきりになるのは、いけないことですから」


 彼がルーチェにこだわる理由はなんだろうか。ルーチェがすぐに思いつくのはやはり、彼女の魔法使いとしての高い能力のことだった。


「くっ……ははっ!」


「どうして笑うんですか?」


 ついさっきまで、傷ついた顔をしてたベネディットが、急に笑い出す。


「だって、おかしいでしょう? 君はいつもスカリオーネの御曹司と一緒にいるじゃないか? 婚約しているわけでもないのにね?」


「それはっ! 主従ですから」


 本当は、二人の関係が周囲からはおかしく見えていることなど、彼女はとっくにわかっている。“伴侶”だから、周囲からどう思われても一緒にいるだけだ。けれど紋章のことは秘密にしているから「主従」以外に二人の関係を説明する言葉はない。


「そうそう、もうすぐスカリオーネ家で大きな夜会があるんでしょう? 実質、御曹司の結婚相手を選ぶ会だと、ずいぶん噂になっているよ」


「なにが言いたいんですか!?」


 ベネディットは夜会があるという事実を口にしているだけだ。けれどルーチェはその言葉で腹を立てて、思わず声を荒らげた。


「俺は君が悲しむのは見たくないんだ。スカリオーネ殿は、君がいくら尽くしても、応えてくれないだろう? 君は旧カゼッラ家の生き残りで、彼は十六家の跡取りだからね」


「そんな気持ちでお仕えしているわけではありません。私の気持ちを勝手に決めないでください」


 ルーチェはなぜ、彼の言葉が心に突き刺さるのか、やっと理解した。彼の言っていることは、ルーチェが不安に思っていて、けれどシルヴィオには言えずにいることだから。

 知っていることをわざわざ他人から指摘されると、ひどく気分が悪いのだ。


「おかしいと思わないのかい? 俺からすると、君とご主人様の関係はすごく歪んで見える。あんなに独占欲丸出しで、君が俺と話すことすら許さないのに、彼自身は……」


「思いません! だって、スカリオーネ家はずっと私を守ってくれて……。ベネディットさんになにがわかるんですか? シルヴィオ様は私の命の恩人なんです。だから対等じゃなくて当然なんです!」


 こんな言葉を、きっとシルヴィオは望んでいない。彼はルーチェを縛りつけることを嫌っているし「できるだけおまえの望みを叶えたい」とも言っていた。彼はいつも、一方的に仕える立場をルーチェに強要していることを、心苦しく思っている。彼女はそれを知っているのに、主の想いとは真逆の言葉で自己を正当化している。


「そう思わされているだけだよ。外は怖い、スカリオーネ家が一番いい、近寄る男はすべて君の魔力が目当て……本当に?」


「……違います、思わされてなんていません!」


「自分たちが正しいと思っているのなら、親しくなることすら禁ずるかな? よっぽど自信がないんだね、君のご主人様は。だから君は、俺のことを知ろうとすらしてくれない。違うかい?」


 それは逆だと彼女は思った。外の世界を怖がっているのも、紋章の絆に縋って主を束縛しているのも、本当はルーチェのほうだ。

 ベネディットにとっては、彼女がいくら説明しても、強制できる立場のシルヴィオが悪だった。ルーチェにはそれがもどかしい。


「あ、あの……私、本当にもう帰りますから。ごめんなさい、さようなら!」


 スカリオーネ家やシルヴィオを庇う言葉を口にすればするほど、ベネディットに洗脳を疑われてしまう。自分の行動が、シルヴィオの評判を落としていることが、彼女には恐ろしかった。


 だから、逃げるように早口で無理やり話を終わらせた。


「こちらこそ、言い過ぎてしまった。……でも、君を心配していることだけはわかってほしい」


 ルーチェはそのままベネディットに背を向けて、石畳の道を急ぎ足でかける。走ったせいで、鼓動が早くなり、心臓のあたりが痛み出す。

 感じていた心の痛みを、息苦しさと早い鼓動が打ち消してくれることを彼女は願った。


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